11―ジャック・ザ・リッパーは不器用である


 ロンドン。
 かって地上で大英帝国として、世界を掌握した国の首都。
 そこを模して造られたイギリスの本拠地。
 煉瓦造りの街並みは、霧が晴れる事は無く、常にどんよりと曇っている。
 ジャック・ザ・リッパーはその街を体現したような暗い目を向けた。此処はスイスだが、今宵は何故か霧がたっていた。
 目の前には少女が立っていた。
 黒髪を一つに後ろで留めている。留めている髪飾りは鼈甲だろうか。ジャックはよく知らない。ただ、彼女がキモノという服を着ている事から、日本人だと分かった。それがキモノで合っていればの話だが。ジャックはそれもよく知らない。
 ただ、分かる事がある。
 彼女は、危険だ。
 スイス人の教会からそう離れている訳ではない。
 スイス領はあの教会以外の通行は原則禁止だ。きっと彼女はそこから来た。
 しかし。とも思う。ジャック本人はこうやって密入国している。彼女もそうかもしれない。
 後者の場合、教会に連れて行けば彼女は確実に銃殺される。スイスの方針は絶対中立。密入国者は絶対射殺。そうやって新しい世でも生き残ろうとしている。
 そうやって考えている間に彼女は口を開いた。
「に・・げて・・・」
 ジャックは飛びのく。彼女の手が壁を掴む。
 そのままナイフを抜くが、彼女の手にあるものを見て目を見開いた。
 壁の一部であった煉瓦が、一個丸ごと外され、抜き取られていた。
 小柄な彼女がどうやって? という疑問は考えるまでも無く消された。彼女の手の中で煉瓦がパキリと音を立てて真っ二つになった。
「君は誰だ?」
 ナイフを構えながら彼女に問う。
「声が・・・聞こえるんです・・・」
 声? まさか。
「皇(すめら)が為、お国の為」
 突っ込んでくる。
「敵を殺して、死ね」
 拳が襲ってくる。
 
 時は三日後の夜10時、日本城の堀に移る。
 爆破の焦げた臭いが立ち込める中、幾之助とウラジーミルは到着したアンドレアに「チャオ」と軽く挨拶された。
「アンドレアさん、この度は遠くをありがとうございます」
 幾之助が深々と礼をする。
「なーに、貰うもんは貰うしな。それより」
 軽くアンドレアはひょいっとウラジーミルの腕を掴む。ギロリと睨みつけられるも気にしない。
「何で生えてんだ? 確かに20本全部切り落としたのによお」
 切断面すら分からない指をまじまじと見るのを、不快そうに振り払った。
「さっさとしろ! 日本武士の情報だ!」
 アンドレアは肩を竦めた後、片手のコルセスカ(ヨーロッパの三叉槍。三角形の両刃の穂先に、サポートの刃が二枚ついている)くるりと回した。
「お前らに言っとくけど」
 コルセスカを堀の水面にかざす。
「撃てる準備はしとけよ」
 ぶくぶくと泡が立ち、繋がっている海まで波立つ。
「大体海辺に城建てるのがバカじゃねえの」
 水面が、切れた。
 堀にあった水は一気に海まで流れていき、堀の水が空っぽになる。
「こんな風に攻め込まれるだろうが」
 水底には、無数の兵士たちがいた。刀を、槍を携えた日本武士が。
「船が無ければ、ボンベが用意できなければ・・・」
 日本武士は全てが石を抱えており、その重さによって水底を進んでいた。
 当然息はできない。溺死者は何人も転がっている。
 それなのに、いや、それでも
 命を捨てて城に戻ってきた!
「い・・・飯塚様あ・・・!」
 石を抱いた一人が大声を上げた。
「此処は日本城か!」
「着いた! たどり着いた!」
 日本武士達の歓喜の声が湧く。
「何をしていた! 今迄何処に!」
 幾之助が陸上から問いかけると、日本武士は更に歓喜の声を上げる。
「それは一つ! 我らが忠義の為!」
 彼らの瞳は澄んでいる。迷いなく歓喜の瞳を向ける。
 幾之助は依子の姿を探す。しかし、いない。落胆と死者にいないという事実にほっとする。
「飯塚様、我らは逃げません!」
 ぐにゃりと歓喜の瞳が歪む。
「奸賊、討つべし」
 水底の巨大な石が、こちらに向かって飛んできた。

「やっぱり波乱万丈な方が良いと思うんだ!」
 ロンドンの港にもうすぐ着こうと云う頃、マイケルは明るくこう言った。
「何あるかいきなり」
「だからね、何でもミッションは険しくないとさ、全米は泣かないよ!」
「お前・・・まさか・・」
 二人の耳に着港の知らせが届いたのは同時。

「来た! 離れていたのが、此処に来た!」
 そう言って、ジャックはまた耳を澄ませた。
「ジャックさん、『それ』はロンドンに来たのですか?」
「ああ、君に影響はないか?」
「いいえ、ありません」
 依子が首を振ると、小さく息を吐く。
「俺から離れず、しかし安全な場所に居てくれ」
 腰の皮ケースにナイフがあるのを確認する。
 依子は僅かに微笑した。
「お気遣いありがとうございます。なれど」
 首を傾けて相手を見上げる。
「私も戦士ですから、ご心配なく」
 ジャックは見下ろす。
「いや、危険だ。あいつは、君には危険だ」
 着物の前で一人指を組み、微笑みは崩さない。
「ええ。足手まといにならない程度に、と心得ます」
 お気になさらないで下さい。と、依子は言った。霧が濃くなってきた。