14―倫敦の夢と悪夢


 最初はただの存在だった。
 存在に誰かが舌を付けた。
 舌に導かれた腕たちはナイフを取り、数多の腹を斬り裂いた。
 存在は、やがてロンドンから消えた。
 霧の街は恐怖のみが残った。
 新聞社に書かれた宣伝文句。ジャック・ザ・リッパーHAHAHA!

 崩壊して行く倉庫を、五人は呆然と見詰めた。
 ただ一人、マイケルは笑っていた。
「やっぱり、大統領と云えばタフでキュートじゃないとね! 君もそう思うだろ? そんな陰気な男より僕の方が良いと思わないかい?」
 依子は一瞬肩を竦ませたが、き、と目を向けた。
「よそのお方の建物を勝手に壊してはなりません」
「ははっ! 日本人って固いんだなあ! けどそういう真面目さも大好きだよ!」
 笑顔は崩さない。それが何処か空虚な恐ろしさを感じさせる。
「万人は僕を愛するし、僕は万人を愛するよ。だって、僕自身が愛されてるのに愛し返さないなんてナンセンスだろ! 当ったり前だよ。愛されて嫌な気持ちなんて絶対しない! 君達だってそうだろう? 僕に愛されて嬉しいだろう? ただね、愛してるけど生きていちゃダメな人っているじゃないか」
 マイケルの青い瞳が濁った。それはもう、ドス青く。
「旧型に触れた君たちがその例だよ」
 
 紅玉は理解した。船に乗ってから、否、船に近づいてから、感じていた苛立ちの訳が。
 それはずっと声を発していたのだ。
『皇が為、お国の為、敵を殺して、死ね』
「エミリー、聞こえるか?」
「何が?」
 やはりか・・・・。
 アメリカ人である、エミリーやマイケルには聞こえない。
 同じ東洋人である紅玉には、意識できない耳障りとして聞こえる。
 日本人である依子には、脳髄にガンガン響き渡る。
 そして、日本人は
 キレる。
「・・・・・」
 がくん、と依子は膝から崩れる。
 そして・・・頭を押さえて絶叫した。
「うわああああああああああああ」
「依子!」
 ジャックが絶叫する依子を抑えようとする、それを片手で振り払うと、ジャックは軽く吹っ飛び鉄製のポールにぶち当たり、止まった。
「依子!」
 刹那、ジャックの目が赤く光った。
 アルビノのように瞳が赤くなったのではない。信号機のように赤く光を発したのだ。
 その瞳の点滅が語る。
 し ず ま れ
 ぴたり、と絶叫が止まり、依子が荒い息を吐く。
「す・・すみません・・ジャックさ・・」
「いや・・気にしないでくれ」
 無事を確認すると、ジャックはナイフをマイケルに向ける。マイケルは恐怖をまるで感じず、むしろジェット機を見る子供のような顔だ。
「へえ、旧型もなかなかやるじゃないか。でもやっぱり新型は凄く日本人に効果的だよね。旧型の君は五人しか殺せなかったのに」
「旧型・・・?」
 二人の娘の問いに、ジャックは目を伏せた。
「俺は・・・人間じゃない」

 19世紀ロンドン。そこで大人気のショーがディオラマであった。
 今日の立体模型とは違い、建物内に照射する光を操ることによって、描かれた風景を自在に変化させて楽しむものだ。
 真っ暗な円型の閲覧室を、客はランプを頼りに席にたどり着く。
 すると、そこに繰り広げられるのは美しい名画で描かれた風景。しかもそれが時間ごとに椅子がゆっくりと回転し、別の美しい風景に移っていく。
 観客は夢見心地で帰っていく。
 その空間は、まさにロンドンの夢。誰もが見惚れる光のステージ。
 しかし、その人気は万博の前に凋落していき、1851年、ディオラマ館は閉館した。
 そして時は流れ1880年、ロンドンの社交界でこっそりとこんな誘いをする紳士があった。
「私が個人的に作らせたディオラマがあるのですが、こっそりご覧になりませんか?」
 そのディオラマを客が見た夜、必ずジャック・ザ・リッパーは現れた。
 
「光を一定の時間間隔でチカチカやるとね、人は催眠状態に陥るんだ。その間に「~をしろ」って暗示をかけると、その通りの事をやってしまう。これは有名だよね。でも、殺人みたいな良心が咎める行為は実は中々やらないんだ。殺せと命じられた誰かが目の前に居て、傍らにナイフがあっても「風邪気味だから」とか言って帰ったりしちゃう」
 マイケルの説明は続く。
「ところが、彼はそんな『良心の制止を引き剥がす』効果を持ったディオラマなんだよ。それでいてきっちりと『催眠状態での殺人は命令する』んだ。これは凄い事だよ。全くその気もない殺人犯が出来て、しかも催眠が解けるとそれも忘れちゃう。最高じゃないか!」
 ただ、と少し口の端を歪める。
「ジャック・ザ・リッパーは出来損ないなのか、催眠に成功したのは6人だったけどね。しかも変な方向にテンションが上がっちゃって、犯行声明まで出しちゃうのも出る始末」
 連続娼婦殺しの犯人は全員別人。しかも記憶も無く、お互いのつながりも無い。それでは犯人は見つからない。
「挙句残ったのはその人型をした思念体。嫌だなあ、僕は絶対そんな陰気な男の姿をしたガラクタなんて見たくもないよ。だけどね、僕らはもっと素晴らしい新型を発明したんだ!」
 依子を手で指す。
「日本人ってさ、常に二番手が好きなサムライの国民性なんだよね。おっと、けなしてるんじゃないよ。ただ、忠誠心に訴えかけると凄く暗示にかかりやすい。しかも期待以上の結果を常に出してくれるんだ。その身を削ってね」
「じゃあ・・船に積んでいるのは・・・」
「光は効果が薄いからね、音声で催眠状態になるようにしたんだ。よく効いてただろ? 日本人の体質に合わせるようにしたからね。まあ、東洋人は人種が似てるから、多少聞こえたみたいだけど」
 説明が終わると、マイケルは両腕を開いた。
「これで君たちが死ななきゃいけない理由が分かったかい?」