17―女王の風格


「そんな・・・馬鹿な・・・」
 マイケルが絶望的な声を上げる。
 身体的能力で勝り、数でも勝ったこの戦い。
 ありえない敗北。それを素直に受け入れられるほど彼は大人では無かった。むしろ子供だった。
 だから、その女に縋ってしまった。
 悠然と歩く美しい女性。レースをあしらった帽子に顔は僅かに隠れているが、上品なたちぶるまいと覗く顔から美貌が見て取れる。若草色のドレスを優雅になびかせ、その女性は現れた。
 周囲から驚きの声が漏れる。
「女王陛下・・・!」
「女王陛下がいらっしゃった!」
 ヴァルハラでの最大勢力に最も近いイギリス。その女王が、現れたのだ!
 背後にはメイドが控えている。しかし、そのメイドに握られているのは、ティーポッドではない。黒いシートに包まれた物体が暗闇にうっすら見える。
「ブリトニー! 助けて!」
 マイケルが必死に助けを求める。最早彼にはこの手しか残っていなかった。プライドを優先させるには、彼は幼すぎたのである。
 駆け寄ろうとした直前、ブリタニア女王は扇をす、と前に出した。
 刹那、轟音が響いた。
 対戦車ライフル・・・!
 メイドの腕から放たれたそれは、いともたやすくマイケルの体を吹き飛ばした。
 決して人に向けて撃つべきではないそれ。戦車の機甲をぶち抜くライフル。通常の人間が当たれば木端微塵になる事間違いなしだ。残るのは飛び散った血の水玉模様だろう。
 その細腕でどうやって撃ったのか分からない、しかし決して儚げな容姿ではないメイドは肩に落ちてきた金髪の一房を面倒そうに直す。ライフルを包んでいた黒いシートが風に舞った。
「死んだんすかね」
「死ぬようなら撃たせませんわ」
 事実、マイケルは血でぐちゃぐちゃになった顔を必死にブリタニアの方に向けた。
「どうして・・・」
 ブリタニアの表情は冷淡だった。口調も冷淡だった。
「丸く収める為です。あなたがくたばって済むのならそういうお話。ただ、まだあなたが使い物にならなくなった訳ではないというお話です」
「そんな・・・ママ・ブリトニー・・・」
 マイケルの瞳から涙が零れる。それを見ても女王は、またしても冷淡にメイドに告げた。
「運ばせる手配をなさい」
「うす」
 メイドが何処かに去っていく。それまで、ヘヴンズドアーの面々は一度も口をきけなかった。
 簡単に言うと、圧倒されていた。
 英国女王ブリタニア。彼女の非情な決断と、それを即座に実行する度胸に。
 一度世界を手中に収めたに等しかった大英帝国。その女王は、まさにイギリスの全てに等しかった。
 彼女は扇を上げた。
 それが合図だった。
 再び鳴り響いた轟音。
 戦艦から発射された砲弾は、見事に新型の土くれの腹部に穴を空ける。
 人に造られた彼は、泥のように崩れていった。目玉の赤い光も消えていく。
 海に落ちた新型の欠片は、波間に浮く事なく沈んだ。水葬というよりただの投棄だった。
 そこでようやくジャックが叫んだ。初めて聞く大声で。
「あれは俺が殺す予定だったものだ!」
 ヴァルハラに彼が来た理由はそれだけだった。新型を壊す。これ以上無意味な殺人は起こさせない。その為だけに旧型(ジャック・ザ・リッパー)は生者の地を捨て、自ら壊れたのだ。
 それが今、根こそぎ奪われた。生者の地を捨てた理由は無くなり、ただのガラクタの殺人鬼が残された。
 しかし、ブリタニアは冷笑した。そこには圧倒的優位な者である事実があった。
「生きがいを失くしたなら、どうぞ死になさい。私も大英帝国も何も困りません。元々あなたは失敗作のゴミですから。ゴミがどうなろうと、清掃してしまえば同じことです」
 情は無い。義理も無い。道理だけがある。戦艦はまだユニオンジャックを掲げている。おそらく、新型の破片を回収するのだろう。陸に近づいてくる巨体。
 だから、ジャックはまさか依子を止めなければならない事態が来るなんて、予期していなかった。
 パン
 強い力ではない。掌底ではない。危険はない。
 ただの平手打ち。
 しかし、それを英国女王に見舞うのが如何いう事か、ひしひしと感じられたはずの一打。
 それを依子は行った。
「ジャックさんはゴミではありません」
 無言でブリタニア女王は見下ろす。依子も視線を外さない。
「依子・・・!」
 大砲がこちらに向いている。ジャックは慌てて彼女を引き寄せようと前に出た。
 しかし、ブリタニアは笑っていた。先ほどまでの冷笑ではなく、本当におかしそうに笑っていた。
 二人は息を呑んだ。エミリーと紅玉は武器を構えた。
 それを見つつ、ブリタニアはまだ笑った。そして
「二度目があれば体に穴を空けます」
そう告げると、彼女はこちらに背を向け、ロンドン市民達の方を向いた。
「私の愛する国民たちよ。今夜の事は全てアメリカ合衆国が騒いだだけ。それだけなのです。分かって下さいますね?」
 『分かって下さいますね?』に重きを置く。異を唱える者はいない。恐怖で従うのでなく、イギリスの栄華を信じているのだ。
 先ほどのメイドが戻ってくると、ブリタニアはそれに乗り込んだ。マイケルも別の車に運び込まれる。
 女王は言った。
「お休みなさい。私の愛する国民達」
 自動車が去る。戦艦もゆっくりと遠ざかっていく。
 ロンドン市民も一人、二人と帰り始める。誰だって危なそうな事には関わりたくない。闇がまたロンドンの街を覆っていく。
「って何してるあるかあ!」
 紅玉が依子の頭を思いっきり叩いた。緊張に張りつめていたのがようやく解ける。
「終わったと思った! 完璧終わったと思ったぞおい!」
「お前どっちみち大統領に発砲したよ。これから如何するあるか」
「そうだった! どうしよ、あたしもうアメリカ帰れねえ!」
 エミリーがようやく気づいた現実的危機に頭を抱えるのに、依子がは「何といったらいいか・・と」慰めようとするが「ホントにお前は何言う気か!」と紅玉に邪魔される。ジャックは中に入れず無言で佇んでいたが、ようやく、何かを言おうと口を開いた。
「あのっ」
 見事に依子と被った。
「あ、どうぞお先に!」
「いや・・別に良い・・」
「いえ、そちらからどうぞ」
「・・・いや・・・」
「さっさと言うよろし!」
 紅玉の一喝で、ようやく依子が先に謝る。
「あの・・・勝手な事を致しまして申し訳ありません・・・」
 慌てての否定。陰気な容姿に似合ってぼそぼそとした口調での。
「いや、俺の方こそ・・危険な目に遭わせてすまなかった。それから・・・」
 ジャックは暫く間を置いた。
「ありがとう」
 ジャック・ザ・リッパーは二度と現れない。彼はただのザ・ジャックだ。

 テーブルに腰かけると、メイドは軽く靴を床に落とした。
「ったく、疲れる女だ。」
 ジャンヌと呼ばれていたメイドだ。
「で、お前が来たって事は、あたしはようやく戻れるのか?」
 傍らの男は言った。
「戻って来なくても一向に構わねえが、お嬢様が帰る事をお望みだ」
「僥倖僥倖。さっさと帰ろう」
 ジャンヌの片手がトランクを掴む。
「フランスへ」