24―囚われの天使


 寒さより激しい冷たさがフランス軍司令官の背を駆け巡った。
「ドイツ騎士団の襲撃です!」
 早朝の靄が未だ残る時間である。
「ジルベールとジャンヌがまだ来ていないのに!?」
 震える伝令兵の息も白い。
「連絡が取れません! フォンティーヌ公の元から消えたそうです! それから! フォンティーヌ公ご息女、エレオノール様が誘拐されました!」
 司令官と云うのは決して動揺を兵に悟られてはならない。それは恐怖となって兵達にペストのように伝染していく。
 その才能が、この司令官には欠けていた。
「ドイツ騎士団は東からだな!?」
「はい!」
「全軍東に向けて防衛線を張れ! 良いか! 全軍だ! 案ずるな、『罪の咆哮』にだけ気を付けていれば問題ない!」
 決して「問題ない」口調ではない。伝令兵はそれでも「はい!」と返した。

 同時刻。フランス領、某廃屋。フォンティーヌ公の城からは30キロほど離れている。煉瓦造りの壁も床も朽ち、窓も割れた姿だ。
「あいー、粥があったまったあるよー」
 紅玉が携帯コンロの上の鍋をかき混ぜている。
「待ちくたびれたぜー」
「エミリー、火傷したいならうかつに触るいいね。そのお嬢様は食べるか?」
 毛布にくるまれてぼうっと椅子に座っているエレオノールは、全く目に光も無く返事をしない。
「体が冷えている。食べさせてやってくれ」
「じゃあ食べるよう言うよろし。それからジャック、お前は食べるか?」
 ジャックは暫し黙った。
「食えよ。できてるんだから」
「ええ、紅玉の中華粥は絶品なんですよ」
 笑顔で勧められ、また口ごもる。しかし、結局首を振った。
「俺には必要ない」
 依子は少し眉を寄せ、「分かりました」と言って、エレオノールに粥をよそってやる。
 レンゲを銜えたエミリーが軽くジャックの肩を小突き、「もったいねえ」とつまらなさそうにした。
 エレオノールは粥を渡された儘、ぼうっとしている。
「ドイツ騎士団とフランスの戦闘にはどのくらいかかりそうだ?」
 はふはふと粥を頬張っていた紅玉が答えた。
「地上とこのヴァルハラでは、全然戦闘時間も違うあるよ。地上なら何日もかかるが、多分あの装備なら、一日で終わるね」
「そうか・・・」
「何か問題でも?」
「俺の洗脳は一晩が限界だ・・・。もし洗脳が切れたら・・・」
 更に眉を寄せた依子と違い、他の二人はこともなげだ。
「洗脳効いてるうちに縛り上げれば良いだけの話よ」
「荷に隠しちまえばばれやしねえさ。どうせ連中それどころじゃねえ」
 ジャックは俯いていた顔を上げた。
「それは・・・っ」
「可哀想だとでも言うか?」
 いつの間にか、紅玉がジャックの胸元に指を指していた。
「お前はアホか」
 今の指がナイフであったなら・・・。
 思わず後ろに下がる。
 それを受け止めるように、依子が前に立った。
「ジャックさん、私達に勝つ以上の事など、無いのです」
 その言い方は、とても悲しげだが、真実を告げていた。
 ジャックは言葉を失くした。
 次の瞬間、依子の目つきが代わった。
 木製のドアが、異常な機械音と共に斬られ、壊れた。
 そこに居たのは、金髪の執事。今気づいたが、首には黒いチョーカー。
 地面が割れるような激怒の声。
「お嬢様をこんな所に連れてきやがって・・・、内臓抉りだされる覚悟はできてんだろうなァァァ!」
 そして、軋るように走る、チェーンソー。
「おいおい、ナイフ使いじゃなかったのかよ!」
「ジルベール! エレオノール様は見つかっただろう! 早く陣営に戻るんだ! そういう約束だっただろう!」
 後ろから、男の声が聞こえた。
 一般人の服装をしているが、目を見れば分かる。彼もフランス兵だ。おそらく、「エレオノールを探し出せたら、陣営に戻る」とでも言われていたのだろう。
 しかし、彼の頭はカボチャを割るように割れた。
「知るかァァァ!」
 エレオノール以外は如何でもいいというチェーンソーによって。
 ぱちり、とエレオノールの目に光が戻った。
 洗脳が切れた少女は、天使のように笑った。脳みそをさらけ出している死体の前で。
「ジルはどんな刃物でも使えるのよ! ジャンヌはどんな銃でも使えるの! 二人とも」
 即座に三人が戦闘態勢に入る。
「エルのなんだから!」

「それにしてもあのぶっ壊され方は凄かったぜ」
 高級イタリア車の中で、アンドレアが豪快にクカカカと笑う。
「よく中立地帯であれだけやれるもんだ。でも良いのかよ? お前が店にいなくてよお」
 サマンサは隣で笑みを浮かべた。
「私はあくまで見届けるだけ。今回はイレギュラーな事態なのよ。店自体が壊されるなんてね」
「なかなかお目にかかれねえな。見物に行ったかいあったぜ。おい車停めろ」
 運転手が怪訝な顔をしてブレーキをかける。
「気づいたのね」
「当たり前だ」
 停車した車の前に、機関銃を抱えたメイドが立っていた。
「クソが、ハチの巣になってりゃ良かったのに。ジルも未だ連絡寄越さねえし」
「言葉がお汚くていらっしゃるメイドさんだな」
 アンドレアのからかいにも、ジャンヌは表情を変えない。何故なら既に激怒だからだ。
「まあ、良い、お嬢様を攫ったんだから、その体、原型留められると思うなよ。」
 サマンサは優雅にブロンドを梳いた。
「そう。私からも言わせて貰うけれど」
 メイドの機関銃の焦点が合う。サマンサは静かに、だがこの上なく口角を吊り上げる。
「これは情報から得たものではなく、経験とカンで分かる事よ。あなた、処女じゃないわね?」
 激怒の沸点が飛びきった。
「ブチ殺す!」
 アンドレアはあーあと首を回した。
「お前、如何してそんな人が一番嫌がるところを突けるのかねえ」