34―人魚の目には一人だけ


「で、如何するね?」
 紅玉の言葉に全員が彼女の方を向く。
「如何するって?」
「て? じゃないあるよ、むしろ何で徳圀の騎士団で飼わないか」
 クリスティーナは笑顔で答える。
「我が騎士団の一員になる心を持たない彼を戦わせるのは、主はお望みにならないよ」
「一員にはならない。でも、クリスティーナ、好き」
「ありがとう、和泉君」
 紅玉は呆れ顔を隠そうともしない。
「尼さんにでもなって、『ヴァルハラ1慈悲深い教会』やるいいよ。うちも大哥に聞くあるが、多分断るね。今は我(ワタシ)の国、穏健派ある。お前人一人匿うのにどれだけ注意必要か分かってるか。隠れて住処と生活道具と食料運ぶあるよ」
「頑張るよ! ただ、場所だけはうちのような流浪の者は固定できないから」
「アホか。お前何の得するあるか」
「自らの為より、他者に奉仕する事を主は―」
「もういいある。分かった分かった」
 全く嫌味なくこんなセリフを言うという、人間離れしたクリスティーナに、紅玉はぱたぱたと手だけ振った。
「あの……ジャックさん」
 依子がおずおずと声をかける。
「申し上げにくいのですが、我が国はこのお方の件でソ連、デンマークと交戦中でして……」
「そうだな……」
 それきり何も言えないジャックに、依子も眉を困惑したように寄せる。
「献上してしまえいいあるよ。兄ちゃんに」
「それは……」
 それは彼の意思を無視している。しかし、それはヴァルハラでは当然のことだ。戦場では強者の意思以外は決して通らない。ヴァルハラは、常に戦場だ。
 全員が黙り込む中、エミリーが明るい声を上げた。
「OK! ちょっとした案を思いついた。我ながらニュートンのリンゴの木みたいな発想の転換なんだが、聞くかい?」

 帰宅した幾之助は絶句した。
 帰ってすぐに着物の儘風呂場に連れて行かれ、そこには。
 探し求めていた人魚が、水を満たした浴槽でぷかぷかしていた。
「え? 依子? 如何なっているんですかこれ?」
「ええ、驚かれるのも当然の事かと思います」
「そうですね。驚きますよね。で、如何なっているんですかこれ」
「私がお運びしようと致しましたが、それはジャックさんに止められてジャックさんがこちらまで」
「ツッコミ待ちとか良いですから」
 人魚が口を開いた。涼しげな声が風呂場に響く。
「和泉、取引、したい」
「取引?」
 青い瞳がじっと見つめる。
「阪口さん探してほしい。阪口さん見つかったら、和泉、日本武士のとこ入る」
「そ、それは何よりですが……」
「でも、別の国が阪口さん見つけたら、和泉そこに入る」

 翌日、号外が飛び交った。
「号外号外! 人魚を発見だ!」
 はっぴに鉢巻をした男が配り歩く号外。
 新聞屋は今が花と号外を汗を流して配り歩く。
『人魚の探す男、阪口を発見、確保した国に人魚は属する意向を見せた』
 銀色の前歯を見せて、和菓子屋のおかみさんが号外を受け取る。
「こんな約束守るのかねえ」
「守らせるんだろうさ。おかみさん、うちの国をなめちゃいけねえよ」
 威勢を張って号外を配り歩く新聞屋だが、このおかみさんの言葉が的を得ているとは、本人も知らなかったろう。
 あの海岸でのエミリーの意見はこうであったのだから。

「探させるだけ探させて、見つけたらトンズラしちまえ」
 クリスティーナが眉を寄せる。
「約束を破るのは良くないよ」
 快活に返した。
「戦場のマザー・テレサか? 何も確実にトンズラしろとは言わねえよ。その探し当てた国が、良いならそのまま属せば良い」
「和泉、嫌な国無い。でも、阪口さん見つけてほしいから、何処かの国に捕まるの困る」
「OH! 需要と供給があってるね。で、探し当てた国が気に食わなかった場合、だ。他の国と、戦士である自分の身柄とその国の所有する何かを交換してくれって交渉すれば良い」
 クリスティーナはまだ困り顔だ。
「そんな条件に乗ってくれる国があるだろうか……」
「否否。理解できたあるよ」
 紅玉も笑みを見せる。
「交渉決裂の隙に、他の何処かの国に逃げ込んで、和泉を巡って戦争開始あるな。まあ、戦士一人のやり取り、小競り合いで終わるある。そのどさくさで逃亡するのも、その国に属するのもやりたい放題ね」
「それは結局……約束を破っているのではないかな……」
 しつこく食い下がるクリスティーナだが、紅玉の言葉にのされた。
「じゃあお前如何するか。他に案あるか。戦争状態なら今も同じよ。なあに、お前の騎士団だけは阪口を探さなければ、此処に運んできただけでお手柄ね」
 笑みがあくどくなる。
「さっさと自軍につないでおけば良かったのに。アホな女ね」

 クリスティーナは折れた。
「ただ、なるべくなら、探し当てた国に属してくれ」とは言っていたが。他に案がない以上どうしようもない。
「私の騎士団は、『阪口を探すことはしない』よ」
とだけ残して、自軍に帰って行った。
 和泉は浴槽に張った水を尻尾で弾く。きらきらとした飛沫が光と調和する。
 赤いガラス玉を思い出す。
 阪口と住んでいた家は、いたるところに赤いガラス玉が吊るされていた。
 和泉はそれが好きだった。
 夏は暑くて、デンマークでは聞いた事のないセミという虫が大声で鳴いた。
 デンマークでの記憶はもうあやふやだ。言葉もほとんど忘れてしまった。
 白い足首には、赤い紐がよく映える。
 ころりと横になって、紐を握りしめた。
 自然、和泉は胎児のように丸まった。その格好に安心を覚え、和泉は寝息を立て始めた。
 だから、その甲高い声が聞こえるまで、気付かなかった。
「外人さんや! 着物やけど外人さんや!」
 日本人の子供が、日焼けした顔を障子の向こうに覗かせた。