35―飼われてる外人さん


 くるくると天上から下げられた風車が回る。
 赤いガラス玉と赤い風車の中に、水色の打掛が流れる。
「誰?」
 和泉は澄んだ声で問うた。
 記憶の限り、和泉は阪口さん以外の人間の記憶は無かった。
 かすれたテレビで見るのが、人間と云うものだった。
 硬質な液晶の向こうに居る小さなものと違い、その7,8歳くらいの少年は
 生きていた。
「ヒロシいうよ! 外人さんいつからおるん? 此処は危ないから入ったいけんって母ちゃんが言うとったよ」
「ずっと……」
「ずっと?」
「ずっと……、いた」
 和泉は気づかなかった、己が涙を流している事に。
 少年が慌ててTシャツで頬を拭おうとして、ようやく、汗のにおいで気づいた。
「くさい」
 少し、笑った。
 
 少年は阪口さんが「町での危険度ナンバー1」と呼ばれていて、「シャブの売人」をやっている男だと言っていた。
「なあ、何で外人さん、此処におるん?」
 少年はまた聞いた。
「忘れちゃった……」
「お父ちゃんとお母ちゃん何処におるん?」
「デンマーク」
「知らんなあ」
 少年は首を二、三度振ったが、分からないようだった。しかしはっと思い出した。
「サッカー強い国や!」
「そうなの?」
「うん!」
 和泉は少年にビスケットを渡した。
「また来てくれる?」
「友達も連れて来るき!」
「ありがと」
 少年はまた植え込みを潜り抜けて去って行った。
 和泉は縁側で暫くぼう、と空を見上げて寝転がった。
「ともだち、どんなのだろ」
 打掛の裾にアキアカネが止まり、阪口が帰ってきた。
「おかえりなさい」
 阪口はいつもの日焼けした顔に、黄色いギザッ歯を見せた。
「おう、ただいま。今日はじゃことねぎいれた卵焼きじゃけの」
「卵焼き、嬉しい」
「箸用意しとけ」
「はい」
 茶色い塗りのお箸を出すと、阪口さんは魚のあらを入れた味噌汁と、卵焼きをと白米を持って来た。
「美味しい」
「そうか」
 阪口さんは魚の頭にかぶり付くと口の中で幾度も噛んで、骨を吐き出した。
「阪口さん」
「何じゃ」
「和泉、どれくらい此処に居るの?」
 阪口はいきなり眉を寄せた。
「何じゃ、どないした」
「何でも無い」
「ほうけ」
 今度は白米が口に入った。
「ずっと」
 それが返答なのはよく理解できた。
「ずっと……」
 和泉の足首には、赤い紐が結わえられている。和泉は魚のあらの、むき出しになった骨を見つめていた。

 翌日、ヒロシはまた来た。
「これ友達のヤスな!」
 ヤスと呼ばれた少年は、同じくらいの年ごろで、ヒロシよりやや小さかった。
「これ、ヤスの妹のカエデ!」
 カエデは小さなボンボンを揺らして「こんにちは!」と甲高い声で挨拶した。
「ヤスとカエデ、友達?」
「違う。カエデはまだ下っ端やから、友達に入ってない」
 よく分からなかった。
「可愛いね」
 笑いかけると、カエデはちょっと頬を紅潮させた。
「お兄ちゃん、この外人さんなんて名前なん?」
 ヤスは少し体をびくりとさせた。
「自分で聞けアホ!」
「えー」
 もじもじとしている間に、自分で答えた。
「和泉」
「いずみ?」
「和泉」
「何か日本人みたいな名前やなー」
「外人さんやのにな」
 本当の名前は、もう、忘れてしまった。
「じゃあ和泉さん、今日はお菓子ないんか?」
 ヒロシの言葉にまた笑顔を取り戻した。
「あられあるよ」
「祖父ちゃん家行ったみたいなチョイスやなー」
 それから少し話をした。
 あられはさくさくとお腹に納まった。
「じゃあ、和泉さん、そこから出てないん?」
「うん」
「紐で繋がれてるん?」
「うん」
「他の人に会わんの?」
「うん」
「何や飼われてるみたい」
 飼われてる。
「ヒロシ兄ちゃん、失礼やろが!」
 テレビで見たペットたちは、紐で繋がれて、家に入れられていた。そして飼い主達はとてもその子を大事にしていた。
「うん」
 にこり、と和泉は笑った。
「和泉、飼われてる」
 
 それから、毎日三人は来た。ある時は向こうがおやつを持って来たし。ある時はヒロシの家のごんを連れてきた。ごんはふわふわの雑種犬で、和泉は抱っこしようとしても、嫌がられて出来なかった。
「ごん、和泉、嫌いかな?」
「すぐ慣れるわ! おれん家来た時もこうやったからな! 明日また連れて来る!」
 ヒロシは汗をごんの毛で拭うと、「余計べたべたなった」と言って笑われた。
 
 その晩、和泉はテレビを見ながら、阪口さんに聞いた。
「女の人は、どうしてこんなに男の人と違うの?」
 阪口さんは冷酒を飲みながら、ああ、と呟いた。
「女は孕むからな」
「はらむ?」
「そや。孕んで、子供を産みよる」
「じゃあ、良いんだね」
 阪口さんは途中まで飲んでいた酒を流しに捨てた。
「良うない。あれは産むから、まんこで男を誑かす。まんこに銜え込む事しか考えとらん。タチの悪いもんじゃ」
 カエデも将来タチが悪くなるのだろうか。和泉にはとてもそうは思えなかった。