39―血まみれのサンタクロース


「なあに、心配すんな」
 嗤うエミリー。
 ジャックの頭に記憶が流れ込んでくる。
 死んだ……?

「頼りにしているぞ、アールネ」
 スキー部隊の出撃の直前、彼はそう言った。
 周囲は真っ白に染まり、雪は舞うように降り続ける。
「君に言われるのは光栄だね」
「言うさ。部隊で血まみれのサンタクロースを揶揄するものはいない」
 苦笑。
「そのあだ名は揶揄では? 白い死神よ」

終戦
ソ連軍退却
「お父さん、お帰りなさい! ウッラ=マイヤは元気にしてたよ!」
 娘を抱きしめてやると、更に強く抱きつき返してきた。
 遅くにできた一人娘。白パンのような肌をしている。
 長い人生で見てきた中で最もよく笑い、よく泣く娘。
「毎日「お父さんはまだ? まだ?」って聞いてたのよね」
 目じりに雫を光らせる妻に微笑む。
「大変だったね。君は元気だったかね?」
「ウッラ=マイヤはいつも元気!」
「お前じゃないよ、アホ娘」
 妻はくすりと笑う。
「今にも死んじゃいそうだったわ」
「そうかね。じゃあ、熱いスープでお互いに精をつけよう」
「それがいいわ」
「あたしもお手伝いする!」
 ウッラ=マイヤが大きく手を挙げたところで、玄関がノックされた。
「はいはい、どちら様?」
 とんとんと玄関に向かう妻。
 その背中を見ていたアールネの兵士の直感に、突如電撃のような悪寒が走った。
「出るな!」
「え?」
 開かれたドアの隙間から、投げ込まれる爆弾。
「ソ連軍……!」

「ここはヘヴンズ・ドアー。さあ、あなたの好きなものを選んで?」
 金髪の女がルージュを塗った唇で告げる。
「お母さんはー?」
 泣き出しそうなウッラ=マイヤの体を抱き寄せる。
「あなたのお母さんは、先に来たわ。あなたの好きなリコリス味のキャンディを選んで行った」
「じゃあ、お母さん待ってくれてるかな?」
 急に顔が輝いた娘。女はそれには答えず。再度告げる。
「さあ、選びなさい」
 嬉々としてガラス製のキャンディ入れを選ぶウッラ=マイヤを眺めながら、アールネは黒光りするパイプを選んだ。
「そう、それがあなた達の選択なのね。悪いけど、お母さんには当分会えないわ。あなた達はヴァルハラに行く資格を持ってしまった」
 そして、二人はヴァルハラに入った。

「お父さん、あたしね、好きな人ができたんだよ」
「ほう。どんな料理人かな?」
 パイプを吹かすアールネに、ウッラ=マイヤが抗議の意を示してぐいぐい襟を掴む。
「真面目に聞くの!」
「はいはい。アホ娘」
 むう、と膨れていたが、すぐにはじける笑顔になった。
「ブラギ君って言うんだ」
 こちらは驚きの声を出す。
「ブラギ・インギマルション?」
「あれ? なんで知ってるの?」
 不思議そうな顔に、ため息を吐く。
「アイスランドの大統領だからね。わしも何度か会っているよ」
「そーなんだ! 有名なんだね!」
 手を叩く娘に再度ため息。
「で、ファンレターでも出すのかね?」
「違うよ!」
 にへへ、と歯を見せて笑った。
「ブラギ君に結婚しようって言われたの。ウッラ=マイヤはお嫁に行くよー!」

 なぜ、アールネの記憶が。
 ジャックの疑問はすぐに晴れた。
 アールネは、凍りついていた。
 マスケットの暴発!
 アールネの冷凍弾がマスケットから放たれず、冷気がアールネ目指して爆発したのだ!
 冷気と爆発による破片とエネルギーで、アールネの喉は胸元はざっくりと裂け、凍りついたあばらと急速冷凍された肉が見える。
 しかし、エミリーの分かっていたような発言はなんだ?
 その疑問も晴れた。
「君の仕業かね……?」
 白い息を絶え絶えに吐くアールネの問いに、エミリーが「Yes」と答えたからだ。
 まさか。
「銃口を撃ったのか?」
 軽く親指が立てられる。
「チンパンジーに逆立ちを教えるようなもんだ」
 たやすい、と言ってのけるが、常人には不可能な超精密射撃!
 ゆっくりと倒れていくアールネに、イェンセンが駆け寄る。
「じいさん!」
 白い息がゆっくりと消えていく。
「銃の勝負で負けたのなら、悔いはないよ。それにね、どうやら、間に合ったようだ」
 イェンセンが慌てて顔を上げると、白いスカートの娘がまさに走り寄ってくるところだった。
「お父さん!」
「間に合ったな。アホ娘」
 アールネを抱き起すイェンセンを押しのけ、息を切らせて、ウッラ=マイヤはしがみつく。
「ブラギ君が連れてきてくれたんだよ! お父さん、お医者さん行こうよ!」
「無理じゃよ。これはどうやったって治せない。どんなお医者でも、こんなに肉が裂けちゃね。おまけに凍っとる」
 ひぐ、としゃくり声をあげる頬を、優しく撫でる。雫が手に落ちてきた。
「留守番中は元気にしてたかね?」
 いつもの台詞。
「ウッラ=マイヤはいつも元気……!」
 ぼろぼろと涙の返事。それを聞くと、アールネは静かに目を閉じ、妻の元へ向かった。
 老兵の長き戦の人生に、二度目の幕が下りた。

 ウラジーミルはゆっくりとウッラ=マイヤとアールネの亡骸に近づく。
「フィンランド元帥、アールネ・ラーティノヤの死亡を確認。その娘、ウッラ=マイヤは」
 がちゃりと鳴る特殊警棒。
「これから殺る」
 足音もない。ウッラ=マイヤはまだ気づかない。
 後一メートル。
 イェンセンが気づいた! まだ治っていない骨折を思い出し、慌てて立ち上がろうとする。
「手負いでは分が悪いぞ。デンマーク国王」
 静かな殺気。ドライアイスを大量に置いたような、それ。
 それが爆発する直前、また、別の者の声が響いた。
「分が悪いのはどっちだろーね!」
 その声に、ぱっと上がるウッラ=マイヤの顔。
「ブラギ君!」
 ブラギ・インギマルション「アイスランド大統領」。
「アールネ老、遅参を許されよ、とは言わぬ。だが、援軍は許されよ。貴殿の黄泉路は守り抜く」
 ヤン・ラーソン「スウェーデン王」。
「あなたがいつまでもダイヤを買ってきてくれないから、お兄様に軍を借りてきてしまったわ!」
 シセル「デンマーク王妃 ノルウェー国王の妹」。
 もっとも年長のスウェーデン王が、告げた。
「我らが北欧諸国は、同朋フィンランドの独立を軍事的に支援する。ソ連よ、ヨーロッパの北すべてを敵に回すのが今の得策か考えよ!」
  ウラジーミルは舌打ちを抑えきれず、イヤホンを手に取った。
「全局員に告ぐ。撤退」
 そのイヤホンは、次の瞬間指の力で握りつぶされた。

 数日が過ぎる。
 ジャックは縁側でぼうと座っていた。穏やかな日差しは日差しだが、秋特有の冷えた空気である。
「……はあ」
 意味もなく抜けた声を出すと同時に、背中が軽く蹴られた。
「エミリー、何をするんだ」
 犯人を軽くにらみつけるも、ショートパンツから伸びたしなやかな足は、反省の色が無い。
「何だよ。しけた顔してるから慰めてやったのに」
「どこがだ」
 更ににらむが、本当に反省の色は無い。
「依子がバスが沸いたって言って来いって」
「幾之助は?」
 いつも一番風呂に入りたがる存在を上げると、日本城の方を指さされる。
「人魚の件で、城だと」
「そうか」
 すとん、と隣に座られる。
「納得がいかねえか?」
「そんなことは」
 ふう、と息。
「どうこう言おうと、あれが和泉の望みだ。望み通り、誰もがアンハッピーだ。なあに、たいしたことじゃねえ。アンハッピーなことなんざよくあることだ」
「ああ」
「フィンランドのじいさんはあたしが殺した。罪悪感は無い。それが戦争だからだ。このヴァルハラはいつでも戦場だ。二十四時間年中無休でな。そこが気に入って、あたしはここにいる。あたしだけじゃねえ、ここにいるのは戦争に魅入られた頭のおかしい人殺しばかりだ」
「……」
「まだなんかあんのか?」
 ぽつり、と呟く。
「俺は弱すぎる」
 エミリーがまた立ち上がった。
「依子に言ってみな」
 去る背中を見つめた。日が暮れはじめた。真っ赤に、庭が染まっていく。赤い松を見ながら、「ああ、風呂だ」とまた呟いた。

 アールネの墓石の前で、佇む、喪服の娘。
「ウッラ=マイヤ、雨が降ってくるよ」
 同じく喪服の青年に、くるっと振り返る。
「ブラギ君、あたしは戦士じゃないから、あのアメリカ人には敵わないね」
 止まる青年。彼女の目の前に着いたから。
「そうだね。ウッラ=マイヤじゃ敵わないね」
「でもね」
 口が引き結ばれる。
「ウッラ=マイヤはこのツケは必ず払わせる」
 雫が落ちてくる。
「エミリー・カーター、取立てから逃げられると思うなよ」