46―暇つぶしの始まり


 ヴィンセントの苦笑はいきなり解けた。
 洞窟に見せかけた入口から、人が出てきたのだ。
 否。
 人の形はしているが、その大きさは実に小さい。
 とっくに成人しているのは明らかであるのに、120センチにも満たない身長の男。白雪姫に出てくる小人のようだ。
 ボロボロのジーンズを穿き、上半身には―黒の革ジャン。
 全員が構える。
 黒―すなわち、アンダーグラウンドの一派!
 いつでも発砲できる姿に、男は下品な笑い方を見せた。
「俺はお出迎えだよ。お前ぇらにルールの説明をしに来たのさ」
 ひひ、と笑う歯は、黄色く変色している。
「悪いが言う前に死んでくれ。あたしらは遊びに来たんじゃねえ」
 エミリーがリボルバーを向ける。男は両手を振る。
「まあ聞けよ。お前は窓口の説明を聞かずに、証券会社で株を買うか?」
 リボルバーが、少しだけ下される。
「感謝感激雨あられ。最初に聞くけど、ヒューリック商会のヤリチンは、中に入るか?」
 ヴィンセントはため息をついて片目を瞑る。
「一穴主義者とは言い難いけど、そんな代名詞で呼ばれたくないよ。まあ、入らないけどね。僕は銃は持つけど商人なんだ」
 男はやっぱな。と頷く。
「ボスの言った通りだぜ。ヴィンセント・ファン・ヒューリックは女を防波堤にする腰抜けってな」
「俺は女じゃない。ヴィンセントは戦士じゃない。つまり腰抜けでは―」
 男の上着を掴んで言いかけるのを制す。
「ジャック、こんないつもラリッてる奴の相手を真剣にしなくていいよ。気持ちはありがたいけどね。君が女の子だったら、きっと熱いキスしてる」
 こんな時でなかったら、依子もジャックに好ましい視線を送っただろう。こうやって、人間を尊重するのが彼の美点だ。人間ではないジャックにその美点があるのも不思議な話であるが。
 しかしながら、現在はそんな場合ではない。とりあえず、この男がルールという言葉を使った時点で理解できる。アンダーグラウンドがやりたいのは、命をかけた暇つぶしだ。
「まだ火星に行った事はないぜ。まあいい、ここから先、ルートは二つに分かれてる。片方はカナダ、片方はアメリカ行きだ。まあ、歩きで行ける距離じゃねえから、何処に向かうかは大して気にしなくて構わねえぜ。重要なのはこっからだ。二つに道が分かれてるんだから、グループも二つに分けないとな」
「二人ずつに分かれろって事か?」
「ご明察ぅ。で、10キロ先に、ルートが繋がっている道がある。ゴールはそこだ。ゴールまで行って死ななかったら、お前らの勝ち。値上げは無かったことにしてやるよ。何度でも引き返すのはOKだぜ。ただし、ゴールに来なかったら、値上げは50%にアップ。面白えだろ?」
「そうだな。期待でゾクゾクしちまうよ」
 エミリーの皮肉も笑われた。
「で、そっち、東洋人ばっかりで組まれると加減が利かねえから、アメリカ人と中国人で組んで、日本人とイギリス人で組めよ。なあに、どっちにしろ死ぬんだから、問題ねえさ。じゃ、そんだけ」
 そこまで話すと、男は踵を返そうとした。
 その瞬間だった。
 男が下げていた、ウェストポーチが爆発したのだ。
 激しい爆発音と共に、ジャックは速攻で死んだと思った。
 何故なら、まだ上着を掴みっぱなしだったからだ。
 しかし死ななかった。
 何故なら、依子が爆発を恐れず突っ込み、一瞬でジャックを片手で掴むと、遠くに放り投げたからだ。
 爆発物は小さなものだったのだろう。男の上半身と下半身が別れたが、周囲一帯を皆殺しにはできなかった。
 しかし、依子の着物は破れ、袴に開いた穴からは、ふくらはぎの火傷が見えている。
「依子! 大丈夫か!」
 慌てて起き上がり駆け寄るジャックに、依子は微笑む。真っ二つの死体を目の前に微笑む程度には、この娘も狂っている。
「ええ。大した傷はありません。それより、あの……」
「傷以外にどこか?」
 慌てるジャックに困った微笑。
「水をかけたいので、見ないで頂けますか?」
 かああああっとジャックの顔が赤くなる。
「す、すまない!」
「いえ……」
「はいはい、さっさとこっちに見せるある」
 紅玉が水筒を取り出す。
「じっくり見れば良かったのに」
 ヴィンセントが場違いな軽口を叩いた。
「しかし―仲間に爆発物を仕掛けるととはな」
 死体を見つめて、眉を潜めるエミリーに、紅玉が水筒の蓋を開けながら事もなげに言う。
「どうせなんかやらかした奴よ」
 ざっと依子の白い肌にかかる水。
「ですが、危険な相手なのはよく分かりました。きっと、この人は一秒前まで自分が死ぬなんて思っていなかったでしょう」
 伏せた目に、軟膏の缶が写る。
「大哥の火傷薬よ。よく利くあるから、持っていくよろし」
「ありがとうございます、紅玉」
 頭を下げて、下げた布カバンにしまった。紅玉の兄は薬師だ。その卓越した調剤の腕前には、何度もお世話になっている。
「まあ、頭がマトモなやつなんて、このヴァルハラにはいないから。頑張ってね」
 立ち上がりながら、ヴィンセントに答える。
「はい。必ずや勝利します」
 その瞳が、ほんの少し歪む。
「勝利しなければ、ただの死体ですから」
 そう言って、依子は歩き出した。ジャックも続こうとしたが、ヴィンセントに襟首を掴まれた。
 ぐえと喉を詰まらせる耳元に、そっと囁く言葉。
「君の彼女を尊重してあげなよ」
 返事をする前に、エミリーの声がした。
「何やってんだ。さっさと行くぞ!」
 入り込む洞窟。外では雪が降り始める。
 まるで、世界を分けるように。

 革張りのソファーにだらしなく男が寝そべっている。
 少しウェーブがかかった金髪は、星のようで、その下の肌は、陶器のように白い。
 仰向けの腹部は締まっているのが見て取れた。筋骨隆々というわけではないが、細身でバランスの取れた美しさがある。
 足はかなり大きなソファーでもあるにも関わらず、余ってしまう。
 まるでよくできた西洋人形のような男だ。
「ダニエル」
 男―ダニエルの目が開いた。その瞳は、まるでネオンブルーアパタイトのように青かった。
 この男を見て驚くのは、美貌だけではない。今、「ダニエル」と呼んだ声の主も、全く同じ美しい姿をしているのだ。まるで鏡に映したかのように。
 ただ、表情が違う。
 ダニエルは何処か気だるげな、生気の薄い表情をしているのに対し、もう一人の方はにこにこと活力に満ちた明るさを持っている。
「来ましたか。アダム」
 声をかけた方はアダムという。同じ姿な理由は簡単だ。二人は一卵性の双子である。
「うん。男女と女女に別れたよ。そんなホイホイいう事聞くんなら、最初からお金払えばいいのにねー」
 それが心からの台詞でない事は、承知している。だが、あえて言う。
「それだったら、面白くないでしょう。どうだっていい事を言うのではありません」
「そう言うと思った。楽しんでよね、ダニエル。君がやりたいって言ったんだから」
「勿論です。ああ、それから、あの男はどうなりました?」
「ん? ジャスティンのこと? ちゃんと案内が終わってから爆破したからだいじょーぶ」
「それは大変結構です」
 この双子の弟、アダムの言葉遣いはカリフォルニア訛りがあり、兄、ダニエルの言葉遣いは、アッパークラスの英語だ。
 アンダーグラウンドの支配者は、笑いあう。そこにあるのは、確かな悪。
 暇つぶしが始まった。