51―甘い死の香りを貴方に


 ソファからすうすうと寝息が聞こえる。
 閉じられた瞼はたっぷりの睫毛で縁取られ、たまに動きを見せる。
 ソファから余った足は黒いスラックスに包まれたまま、だらんと下がっている。
「ダニエル、もう夜だよ」
 アダムがそっと揺り起こすが、ダニエルはむずがるような声を上げて寝返りを打った。
 良く寝ているらしい。こんな声はあまり聞かない。
「ベッドで寝なよ。ダニエル」
 薄く瞼が開き、青い瞳が僅かに見えた。しかしすぐ閉じられようとする。
「パジャマにも着替えてさ。運んであげても良いから」
 明らかに半分眠った声。
「ここで寝たいです……」
 アダムはため息を吐くように笑った。
「仕方ないなあ」
 そっと、その白い首に手がかけられる。
「ベッドの方がいい夢見られるのに」
 アダムの右手は、ダニエルの喉仏を、左手は金髪を撫でた。

「はいはい、客人用の部屋はこっちよー」
 青蘭が先導する。
「大姐が本部屋に籠ってるから、我、案内任されたよ! 遠慮する事ないあるぞ!」
「申し訳ありません。お世話になります」
 一礼する依子。と軽く親指を立てるエミリー。
 そして、ピンチのジャック。
「何処まで機械で何処まで人間かのカルテないのか? じゃあ、我がちょーっと調べたいよ。無問題よ。死ぬことないよ。たぶんあんまり痛くもないよー。お薬苦いのも注射ちっくんもその年なら我慢できるあるよー」
 国軒がいやに穏やかな笑みで肩を掴むのを、引きつった顔で剥がそうとするも、剥がされては掴み、剥がされては掴み、を繰り返している。
「大哥! お仕事サボる良くないよ!」
 青蘭のどこかずれた怒り。
「サボってないある。薬なら元々あるよー。もうちゃんと梱包したよ。つまり我は自由よ」
 国軒のどうしようもない返答。
「う……論破されてしまったよ」
「負けないでくれ!」
 がくりと手をつく青蘭に縋る。情けない話である。
「あの、ジャックさんも大事な戦力でして……」
 依子が日本人特有の困った笑顔で止めるが、エミリーの「そうかあ?」で遮られる。
「そ、そうですよ!」
「だって一番弱いじゃん」
「いいえ、強い心根を持っておられます! それに、あのストリートギャングの条件に、私たち四人で来いとあったではありませんか!」
「つまり戦力的には一番弱いんじゃん」
「エミリー、女たるものもっと殿方を立てるべきです!」
「お前も立ててねえよ、それ」
「あ、あの、ええと」
 わたわたする依子を、暗い顔で見つめるジャックに、囁く。
「我の研究成果でもっと強くなれるかもしれないあるよ」
「!」
 振り向いた頭が叩かれた。ついでに国軒も叩かれた。
「ぐらっとくるんじゃないある! 大哥も何しようとしてるか!」
「紅玉……」
「もし壊れちまったら、高く売れなくなるある!」
「売る予定があるのか!?」
 一瞬の感動を見事に潰し、紅玉はふんっと長女の風格を見せた。
「調べもの終わったよ。これからやる事話すから、寝るの待つよろし」
「も、もうですか?」
 あの新聞と本が大量に積まれた部屋に入ってから、まだ一時間と経っていない。あの山を超えた頂きのような資料から、もう探し終えたと言うのか。
「中哥に探させたよ。まったく、新しく入った新聞の増刊号買う約束させられて大損よ!」
「あいやー、あいつ、我にも「資料見つかったから引き換えに本一冊買ってくれ」言いに来たよ」
「大哥にもあるか! 小賢しい三文文士ある!」
「でも、そのおかげでお前の考え通りなの分かったから、薬もうできたよ」
「慰めにならんある! まったく、あいつには暫く粥と焼き餃子以外食わせないある!」
 ひとしきり憤慨すると、紅玉は部屋を指さした。
「まあ、入るよろし」

 翌朝。
 舞台はまたしても地下道入口。
 これから行われるは、おぞましきグランギニョール。
 役者は少女三人、青年三人、他殺され役。
「行くよ」
 紅玉の言葉で、少女三人と青年一人は走り出した。
 青年二人と殺され役が待つ、アンダーグラウンドに向かって。
「昨日より手ごわいあるぞ! 足手まといになるないね! ジャック!」
「分かっている!」
 四人の背には、奇妙なものが背負われていた。
 まるで農薬や水を噴射する農機具のようなもの。
 しかし、それを構えながら走る四人が、農機具を持つわけがない。
 当然、噴き出すものは違う。
 噴き出したのは、煙だ。
 それも煙幕ではない。
 どこか甘い香りのする、パヒュームに近い煙だ。
 それを猛烈な勢いで噴射する。
 此処は地下だ。あっという間に、煙は充満していく。
「来たぞ!」
 黒を纏った、体の一部が欠けた男達が、銃を乱射する。
「じゃあな!」
「はい!」
 四人は二手に別れた。
 昨日と同じく、アメリカ側には紅玉、エミリー。カナダ側にはジャック、依子。
「撃て撃て!」
「殺せ!」
 ストリートギャングは昨日と違った。
 昨日居る分を皆殺しにしてしまったせいもある。
 しかし、違うのはメンツだけではない。
「ごろぜええええええええ!」
 全員、目が異常に血走っているのだ。
 息遣いも荒く、ただ暴れ狂う動脈を止めようと撃ちまくる。
「おい、ホン」
「何か?」
 撃とうと構えた腕に、毒針を投擲して刺し、更に素早く懐に入り込んで、その後ろの敵の顎を、匕首で刺し上げる。
「いいねえ、食い放題だ!」
 相手の眼科を弾丸が貫いた。一人ではない。もう一丁の銃が全く反対方向の敵の頭を弾き飛ばした。
「大哥に伝えておくよ」
「そうしてくれ」
 相手の弾丸が、二人を狙って、壁に穴を空ける。
 こちらを集中して狙うため、敵が密集しているのを見て、エミリーはニタリと笑った。
「ハンバーグ一個出来上がり! YEAH!」
 投げたのは、手榴弾。
 前回ストリートギャングたちが使った、殺傷性の無いものではない。
 きっちり、爆弾だ。
 それを密集したところに投げ込まれればどうなるか。
 ハンバーグ(木端微塵で焦げて生臭い血臭のする肉片)が大量に出来上がる。
 その残骸のここまで吹っ飛んで来た生首を持ち上げて、エミリーは紅玉を見た。
「食いつくしちまったらしい」
「なら、先に進むよ。面倒ない。とてもいいね」

 弾丸の威力があまりに激しいと、肉は死んでからも四散し続ける。
「人間じゃねえ! このジャップ! 人間じゃねえよ!」
 最後の一人の悲鳴を発する喉を、依子は片手で掴んだ。
「人間か人間でないか、それが重要ですか?」
 ごきごきと首の骨が折れる嫌な音がする。
「死ぬ体であると分かれば、それで十分じゃありませんか」
 男はもう声も出ない、ただ、血の混じった泡を吹くだけだ。
「あなたもそのようで何よりです」
 ごきり、と音がして、身長より上に持ち上げられた体はがくんと力が抜けた。
 最期に失禁したのだろう。甘い香りの中、僅かに臭いがする。
 だが、それは甘い香りと対抗し続ける血臭の中では微々たるものだ。漏らしたのも一人ではない事であるし。
「これで最後のようですね。向かいましょう、あの双子の元へ」
「ああ」
「種が割れていては、無意味な能力ですからね。二人そろってお待ちでしょう」
「ああ」
 GO!