54―北ののろし


「名前を言え!」
「ニコライ・レヴィコフであります!」
「出身は!?」
「イルクーツクであります!」
「能力は!?」
「治療であります!」
「所属は!?」
「V部であります!」
「年齢は!?」
「17であります!」
「今答えた事は真実か!?」
「神に誓って!」
「真実を部以外の場所で話すなこのアホが!」
 鉄拳制裁を即座に食らう。
 主にウラジーミルの補佐に当たるドミトリー軍曹は、KGBの中では軍人らしい性質の男だ。
 それはこの新入りのニコライという少年にも共通している。
 故に、鉄拳制裁を受けてすっころんでも即座に立ち上がり、両腕を後ろで組む。
「貴様がこの場にいるのは何のためだ!?」
「ウラジーミル大尉被弾した弾丸を抜き取るためであります!」
「違う! 大ソ連邦の眼となるためだ!」
「は!」
 またしても鉄拳制裁。
「今から、ウラジーミル・グリゴーリビッチ・グリーシャ大尉に対する敬意の払い方を貴様に教える!」
「は!」
「まず、基本的に常に不機嫌だ!」
「は!」
「機械の操作は苦手だ! 貴様が常にしろ!」
「は!」
「理由なく不機嫌さが増してきた時は空腹だ! 食料をお渡ししろ! 貴様の食料は全て大尉の腹に収めるためにあると思え!」
「は!」
「一瞬でも殺気を感じたら、すぐ逃げろ!」
「は!?」
「殺気は体では覚えられん! 通常なら体で覚える猶予があるが、貴様にはない!」
「は!?」
「全力で走って逃げろ! 車両の使用も許可する! ただし、ほとぼりが冷めたころお迎えにあがれ!」
「は!?」
「まず貴様に、口頭で今回大尉が破壊した物品を伝える! これを大尉に知らせるのが貴様の分水流だ! 余計な事は一切言うな! 将軍がお怒りになっている点には一切触れるな!」
「は!」
「まず、電柱5本! ついで車両11台! 家屋半分! そして橋一橋だ!」
「は!?」
「以上だ! お伝えしたら治療に取り掛かれ! そして、貴様の語尾にたびたび「?」が付いている理由を言え!」
「は! 質問を許可願います!」
「何だ!」
「常々お噂は伺っておりましたが、ウラジーミル・グリーシャ大尉とは本当に人間であられますか!?」
「大ソ連邦が認めなければ、すべての者は人ではない! そして、大ソ連邦が認めれば、犬でも人だ!!」
「は!」
 次の瞬間、軍曹は先ほどまでの怒声とは違う怒声を発した。
「逃げろ! ニコライ!」
「は!」
 全速力で即座に走る二人の後ろから、地を這うような声が寄ってくる。
「貴様ら……全部聞こえているぞ!」
 次の瞬間、ベッドが廊下に投げつけられたのを見て、ニコライは理解した。
「軍曹! 我々が逃げる理由は、大尉の鉄拳制裁は人生の終わりを意味するからでありますか!?」
「よく理解した! 貴様はKGBに必要な人材である可能性がある!」

「まず、余の提言だが」
 スウェーデン国王は常に寄っている眉間のしわを濃くした。
「ソ連と敵対する以上、我々の結束を固めておく必要がある」
「そうだな」
「現在、同朋フィンランドは戦士たるアールネ元帥の戦死により、ソ連侵攻に関する危機的状況にある」
「そうだね」
「よって、ソ連の敵対勢力と手を結ぶのを、得策の一つと考えたい」
「お前の頭で絞り出したにしちゃ上出来じゃねえか、ヤン」
「イェンセン、いや、デンマーク国王、いつまでカルマル同盟があると思っている?」
「俺なりにほめたっつの。そういう事考え付くから成り上がれたんじゃねえか」
 体感温度が、明らかに5度以上下がった。
 比喩ではなく。
「ぬくぬくと乳母に育てられた国王は、年長者に対する敬意を知らぬと見える」
「一個上なだけじゃねえか」
 がちゃり、と大ぶりの剣がなる。
「礼儀を教えて進ぜよう」
「お、やんのか? とりあえず、殴りあったら分かりあえるよな?」
「殴りはせん、叩き斬る」
 冷蔵庫に入ったような気温と、がちゃりと鳴る酒瓶。
 一戦始まるかと、思った瞬間、イェンセンが殴られた。
「あなた! いちいち喧嘩売るんじゃないの! もうお酒没収するからね!」
 密かに逃走し、妹でありデンマーク王妃でもあるイェンセンの妻に、ノルウェー国王より告げ口がなされたらしい。
「閣下、お体が冷えます」
 ついで、ヤンスウェーデン国王の前に、暖かい茶が置かれる。
 スウェーデン王妃は決して表に出ないが、こういう熱の冷ましかた(気温は冷えているが)を心得ている。
 席に着いた二人の国王に、アイスランド大統領が大げさにため息を吐く。
「困っちゃうよねー、すぐ喧嘩しちゃってさ。ね? ウッラ=マイヤ」
「喧嘩はダメだね! ブラギ君!」
「僕たち喧嘩したことないもんね、ウッラ=マイヤ」
「そうだね、いつもあたしが勝つからね! ブラギ君!」
「うん、微妙な矛盾も気にしないよ! ウッラ=マイヤ!」
「小さい事を気にしないのは良い事だよ! ブラギ君!」
 ……最初からずっと言いたかったのは、ヤンスウェーデン国王も、イェンセンデンマーク国王も同じだ。
「何故」
「何で」
「ウッラ=マイヤがここにいる?」
 ウッラ=マイヤ、フィンランド元帥のアールネの娘である。
 そして、アイスランド大統領、ブラギ・インギマルションの妻だ。
 しかしながら。
 戦士でもないどころか、軍務経験も無い。治政経験も同様に無い。
 言ってしまえば、ただの小娘だ。
 しかし、少しもひるまず、ブラギとウッラ=マイヤは
「ウッラ=マイヤと!」
「ブラギ君は!」
「いつも一緒!」
 びしっと何かかっこいいらしいポーズを決めた。
 再び、両国王の声が重なった。
「つまみ出せ」
 かくして、ウッラ=マイヤとブラギは愛を引き裂かれる羽目になったのである。

 王妃達のお茶の誘いも断ってしまった。
 いつもは楽しい年上の女性とのお茶。
 しかし、ウッラ=マイヤは今日はそんな気分ではない。
 否。
 父を、あの、エミリー・カーターというアメリカ女に殺されてから、ずっとそんな気分ではない。
「すぐ戻ってきなさいよ!」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ……」
 心配そうな二人の王妃の顔が頭に浮かぶ。
 ついで、浮かぶのは
「お前は可愛いだけが取り柄だな、アホ娘」
そう言って撫でてくれた、父のごつごつした手だ。
 その手は、奪われた。
 あの、ヘヴンズ・ドアーのイカレ店員ども―。
 ぎり、と奥歯が噛みしめられる。
「ちょいとお嬢さん」
 いきなり声をかけられ、慌てて顔をあげた。
 目の前に立っているのは、背の高い女だ。
 口元の黒子がやけに艶めかしい。
 白い肌。
 ぱっと人種を考えた。そして睨みつける。
「ソ連人……!」
 女はふっと笑う。実に婀娜っぽい。
「違うよ。そう怖い顔をおしでないよ」
 まだ警戒は解かない。
「あたしゃ、火を貸して欲しくてねえ。躾のなってない犬が暴れるんで、忘れてきちまったのさ」
 とん、と煙草を見せる。
「持ってないよ」
「そいつあ残念」
 ビルの陰から、また女の声がした。
「火程度なら貸してさしあげますわよ」
「誰!?」
 ウッラ=マイヤは鋭い声を上げる。
「わたくしの声でわかりませんの、このションベン臭い小娘は」
「声じゃ分からないさ。それより、火だよ」
 ライターが放られる。
「悪いねえ」
「いえいえ。これからもっと貸してさしあげますわよ、ドデカイ火を」
 気づいた。
 ライターには、」ユニオンジャック(英国国旗)が彫られていた。
「あたしはネクラーサ・ダヌィレーンコってんだ。ウクライナ革命軍って聞いたことあるかい?」
 ウッラ=マイヤは硬直する。肉が、震える直前の硬直だ。
「そいでこちらが、ブリタニア女王。まあ、お察しのようだがね、大英帝国のクイーン様さ」
 にっと口角が上がる。
「あたし達を、アンタの復讐に混ぜておくれでないかい?」

 ポリポリとクッキーを頬張っているブラギに、咎めの声が降る。
「ブラギ、妻もお前も年若い故、難しいかもしれぬが、公私の区別をつけろ」
 ブラギは背もたれにもたれる。
「だって、ウッラ=マイヤが放してくれないんだもーん」
「鎖付けられてるわけじゃねえし」
「うーん、ある意味つけられてるかも」
「?」
 ブラギは、冷めた紅茶を一気に飲んで、明後日を見た。
「あーあ、心配だなあ。ウッラ=マイヤ。僕以外にナンパされてなきゃいいけど」

 ニコライがゴム手袋を外す。
「弾は摘出できました」
「そうか。帰る」
 ベッドをもう起き上がろうとしたウラジーミルに、慌てて制止の手が入る。
「いけません!」
「理由を言え」
「は! 弾が抜けましたが、まだ、周囲の筋肉が鉛の毒素を受けております! 入院が必要です!」
「違う」
「は!?」
「貴様が許可なく俺の体を抑えつけている理由を言え」
 ニコライの顔が真っ青になった。
「ああああああの、動いては、いけないと、思って、俺、じゃなくて自分は!」
「最期に何が言いたい」
 あわあわと手が周囲を彷徨う。
「つ、常々尊敬していたウラジーミル・グリゴーリビッチ・グリーシャ大尉のお傍に寄れて、幸せでした!」
 舌打ち。
「誰だこんな奴を局に入れたのは」
「あのッ」
「命は助けてやる。飯」
「は! あのッ、食事時間はまだですので」
 ギロリ、と先日、一人でウクライナ革命軍のアジトを殲滅させ、電柱と車と家屋と橋を壊した男に睨めつけられ、ニコライはとっさに胸ポケットに手を入れた。
「クッキー……召し上がりますか?」
「……よこせ」
 この間に、前途の女たちは手を組んだ。