56―アムステルダムの白


「店長、あたしを疑わねえのか?」
 遺体を車に詰め込み終わる。
 サマンサは口元に手を当てた。
「疑って何になるのかしら?」
「何にって……」
 にっこりと笑み。
「時間の無駄になるわね」
「エミリー! 早く車出すよろし! 虎児が追いかけて来るよ!」
「ロビンさんに追いつかれる前に早く!」
 ……。
 一瞬目を見開いた後。
「OK! Let'GO!」
 アクセルを全開にした。
 車が猛スピードで走り去る。
 サマンサは店に戻るとダイヤルを回した。
「ジャック、今から自宅の傍に車が通りかかるから、塀に上がりなさい。仕事をあげるわよ、無職居候君」
 
 車の天井が開いた。
 依子が両手を開いて微笑む。
「来てください、ジャックさん」
「いや、来てくださいって」
 飛び込み、枠に体をぶつけてうめき声をあげる。
「停めろ!」
 そう、彼は、走っている車の天井から飛び込む事を強要された。成功したが、どう考えても怪我をする可能性の方が高かった。
「お見事です!」
 依子の笑顔が若干虚ろに見える。
「スピードは落としてやったよ。勇気のない男は出世できんある」
「とりあえず、一時的なアルバイトは引き受けられたぞ」
「大出世あるな。無職」
 紅玉の悪口にも慣れつつある、かってイギリスを恐怖のどん底に陥れたジャック・ザ・リッパー(元)。
「で、チャイナ方面に向かえって言われたが、具体的にどこに向かうんだ?」
 運転席からの声に、椅子に座り直しながら答える。
「アンダーグラウンド入口だ」
「Oh! こないだのドンパチの後でか? 店長も酷な事言うぜ」
「と、いうか、アンダーグラウンド使って何処に行くか?」
「全ては行ってから伝える」
 ふうっと座席にようやく落ち着く。
 そして、いつもの依子のフォローが無いのに、気付き、横を見る。
「依子、BARは如何したんだ?」
 愛銃が、無い。
「店長が置いていくように、と」
 いつもの感情を隠したアルカイックスマイルが返ってくる。
 納得した。とは言えなかった。

 兄様!
 兄様兄様兄様兄様兄様!
 ヘヴンズ・ドアーまでの道のりがおかしい。
 何故、誰もが
 脇を銃で膨らませている!?
 ここは市場だ! 市場のはずだ!
 何故、誰もが
 自分に向かって発砲してくる!?
「どけええええええええッ!」
 ロビンの鞭が一閃。
 壁からドバっと溢れる鮮血。
 ついで斬りおとされた壁の向こうから、4人の顔を隠した兵士が体を斜めに斬りおとされて、崩れ落ちる。
 そのアサルトライフルを拾うと、露店に向かって発砲する。
 銃声が響き渡り、果実が、ジュースが、皿が、クスリが、銃を構えた兵士が、血を噴き出して倒れていく。
 クスリ!?
 周囲を回転しながら、アサルトライフルを弾切れまで撃ち、その露店に向かう。
 落ちるのは薬莢だ。
 光る、薬莢だ。
 拾い上げてくれたのは、兄様だ。
 ヴィンセント兄様だ。
 クスリのプラスチック製の瓶を拾い上げる。
 ギリ、と歯を食いしばる。
 それを懐に入れた。
『ロビン、我慢、我慢だよ』
 ヴィンセントの声が聞こえた。
「飲みません、飲みませんから」
 口に出した瞬間、再び背後にめがけて鞭を振るった。
「こんな物を持っていながら、どうして近づいたんですか?」
 振り返った先に居た男が持っていたのは、ライフル。
 アサルトライフルと違い、その威力は破壊しれず、大抵の障壁なら貫通する。
「ねえ、何故ですか?」
 口元が威嚇の笑みを見せる。返り血どころか、今まさに流れる血で汚れながら、ロビンは問う。
「何故、わたくしを兄様のところに行かせてくれないんですか?」
 兵士の上半身のみを持ち上げて問う。
「答えなさい!」
 答えようがないのだ。
 その男には、もはや上半身しかないのだから。
 投げ捨てた。
 そして、走り出した。
 走るたびに一個ずつ、ピンを抜いた手榴弾を落とした。
 爆発と絶叫が響いた。
 こうして、大いなるタイムロスが起き、ヘヴンズ・ドアーの店員たちは、店を立ち去ることができた。

 アメリカンカントリーの店のドアが、荒々しく開かれる。
 ヘヴンズ・ドアーの店員たちは、いない。
 代わりに、木製の椅子で男が一人、チョコバーを齧っている。
 ガリガリサクサク、という音と、荒い息遣いが暫し響く。
「ソ連軍……!」
 チョコバーを齧っている男は、右手を口元から退けた。ガリガリサクサクは止まった。
「まあ、そういう事にしておこう」
 何を言っている。
 男の着ているのはソ連陸軍のスチールブルーの軍服だ。ソ連軍以外なんだというのだ。
「今の奴らはソ連軍ですか?」
 男の灰色の目がじっとロビンを見据えた。
「俺は物を食う時は集中したい」
 だんっと、足を踏みならす音。
 掴まれる軍服の胸倉。
「兄様は何処ですか?」
 男の目は冷えている。ロシアでは灰色の目は射撃に向いている、という定説があるらしい。
「連れて行ってやろうか?」
 投げつけられる何か。
 それは血臭にまみれたロビンには一瞬に分かる香り。
 兄、ヴィンセント・ファン・ヒューリックの白ジャケットに染み込んだ香水!
 男はこちらに銃を向けている。
 理解した。
「お前が殺したのか?」
「いいや、ヘヴンズ・ドアーのエミリー・カーターと握手をした瞬間」
 床を指さす。
「何処だ」
「誰がだ」
「奴らは何処に行った!?」
 ソ連の男は、懐から地図を取り出すと、また投げつけた。
「そこだ。行け。行きたければな」
 懐からプラスチックの瓶を取り出した。
 中から錠剤を、直接口にぶちまける。
 そして、白い、兄の香りの染み込んだジャケットを着た。
 ぶかぶかだった。
 ロビンの体はこれ以上健康的になる事は無い。
 アムステルダムでの日々が、ロビンの体を蝕んだ。
 白から引きはがしてくれたのは、きざったらしい軟派な男。
 怪しげな商売人。真っ当な道は歩いていない。
 だけど、クスリを求めて泣き叫び、糞尿を垂れ流すロビンを抑えてくれたのは。
 白いスーツを纏って現れた兄様。
『こーら、悪さする女の子はお尻ペンペンだよー』
 そう言って笑って抱き上げて。
 そして、ロビンは愛を知った。
 しかし
 今のロビンは、部屋を駆け出して行った。
「さて、俺たちも」
 チョコバーを一気に噛み砕き、飲み込む。
 ウラジーミルは無線を繋いだ。
「征くぞ。同志諸君」
 軍帽を被るKGB大尉。
「反逆の芽吹きは、御旗と同じく赤き焔で焼きつくせ!」