60―治療拒否の病院


「は?」
 車内電話に向かって、ダニエルは険のある声をあげた。
「治療を受け付けないとはどういう事ですか?」
 パーシーは電話の向こうで落ち着きを必死に保ちながら、返答する。
「言った通りだよ。受け付けないとは言ってない。僕が、患者の治療を兄さんの分まで引き受ける」
「貴方の馬鹿兄、あれ以外の治療をなさってましたっけ?」
 皮肉にも逆上はしない。
「医者には書類仕事だってあるんだ。何より、兄さんがいないと世界で一番困るのは君じゃないか、ダニエル」
「今回は違いますよ。困るのはヘヴンズ・ドアーのお嬢様方です」
「とにかく、カナダはイギリスの影響下にある。イギリス女王の命令なら、カナダ国立病院は従わざるおえないんだ。分かるだろう、大人なんだからさ」
「ええ、畏まりました。大人の対応を致しましょう」
 電話が静かに切られる。
「如何したんだい? ダニエル」
 はあっとため息。
「カナダ国立病院が、治療を拒否なさいました」
「つまりどういう事だ?」
「エミリー、いや、皆様もよくお聞きください、裏の業界ではちょっとした有名人がいましてね。先ほど申し上げたでしょう。死者を一定の条件さえ揃えば蘇らせられる人物」
「ああ、ヴァルハラで一番の狂人(イカレ)だとか」
「それが、カナダ国立病院の医者なんですよ」
「はあ!? 医者なのかよ!? あたしゃてっきり神官かなんかだと」
「ゲームのやりすぎでございます」
「勿論、正式な医師免許を持って医者として勤務してる訳じゃないよ。ただ、生き返らせるのと書類専門の医者として―でも、書類仕事ちゃんとやってるの見た事ないな。」
 繋いで入ったアダムの言葉を更に繋ぐ。
「とにかく、それが先ほど電話で治療をお断りになった、パーシー・コレットの兄、ケネス・コレットなのです」
 それが断られたとなると―。
 嘆かわしそうにぱちんとライターを開く。
「大人(ストリートギャング)の対応をするしかありません」
 煙草を銜え、赤い唇から紫煙が吐かれた。
「誘拐か。医者を一人誘拐するなんて、子供の仕事よ」
「紅玉、それが特殊部隊を派遣しても難しい事なのですよ」

 もう、何十年か前になる話。
 サマンサは、珍しく、悲しげに眉を潜めた。
「あなたほどの狂人は見た事がないわ」
「そうござりますか? 結構いるかと思っておりました」
 にこにこ笑いながら、ケネスは絆創膏をなぜる。
 それは、この店で受け取ったものだ。
 店の商品を選ぶとき、彼は、たった一枚の絆創膏を選んだ。
「いいえ、あなたほどの人はいない。このヴァルハラのどこにもいないわ。だから、それほど強力な力を得られたのでしょうね」
「あらー、強力なんですかー」
 のんきな口調。
「ねえ、普段は私から取引を持ちかけるなんてめったにないのだけれど、その力を対価に、すべてを忘れる事もできるのよ? 如何かしら?」
「えーと、そうですねー」
 口元に手を当てる。
「忘れるほどのことじゃないから、いいです」
 にっこり。
「そう」
 店内にいつもの娘たちはいない。
 サマンサは、それを幸運と感じた。
「あなたほどの狂人はいないし、これからも出てほしくないわ。あなたは、自分に一切の価値を感じていないのね」
「当たり前じゃないですかー」
 ケネスは絆創膏を貼り終えた。
「わたくし、モノの価値くらい分かりますよ。ね、パーシー」
 絆創膏は、弟、パーシーの、何でも無い擦り傷に貼られた。

「ケネス・コレットは生死を自在に操る医者。触れたところから、生気を吸収(エナジー・ドレイン)し、内臓を壊死させる。それを受けたものは、数日内に確実に死亡する」
「しかし、生気(エナジー)を死体に叩き込み、蘇生させる事も可能。本人さえその気なら、あんな小さな世界で終わる男じゃない」
 双子の説明に、問い。
「小さな世界?」
「ケネスはパーシーから自由な外出を許可されていません。その強大過ぎる力故に、狙われる可能性があまりに高いですから」
「様々な陰謀の世界に踊りだせば、世界の一翼さえ担えるのにね」
「「しかし、彼は病院という箱庭に住み続けている。自分に何の価値も感じていないから」」

 最後の説明が同時に行われると同じ頃、パーシーはもしものときのための用意をした。
 ケネスは、退屈に身を任せた。

 ロビンは、瓦礫から這いだし、カナダ行のもう一方の、使われていない、車も通れぬ細い道を見つけ出した。
 落ちる血など、気にならなかった。

 地上では、ウクライナ革命軍とKGBも交えたソ連軍の死闘が行われていた。
 ウラジーミルは頭部を粉砕した死体を投げすてながら、通信を取った。
「ニコライか。如何した?」
 通信の向こうでは驚いた声がした。
『あれっ繋がっちゃいましたか!?』
「通信ミスか」
『すみません! あの、俺、じゃなくて自分、今、初めて敵を一人射殺しましたっ』
 その声と同時に、回し蹴りを放ち、ウクライナ革命軍の内臓を潰す。
 血を吐いて頭一つ大きい男が倒れる。
「嬉しいか」
『あの、ごめんなさっ。はい?』
 静かに、問うた。
「嬉しいか、と聞いている」
 明るい返答
『嬉しいですっ! 初めて武功を立てられましたっ! すっごく嬉しいですっ!』
 嘘のない声だった。
 ウラジーミルは顔から表情を消した。
「貴様は立派だ」
『え!? お、俺、初めて大尉に褒められっ』
「ああ」
 脳裏に泣き叫ぶ少年が浮かんだ。血まみれの手で大人の首を絞めながら、叫んでいた。『ごめんなさいっ、殺さないと、食べ物を貰えなくてっ、だからっごめんなさっ』
「昔の俺より、ずっと立派だよ」