64―クズの家族


 我慢できる方に我慢させるのって楽だよね。
 何もしなくて良いのと同じさ。
 僕らはそんなクズの家族だった。

 物心ついたころにはそうだった。
 僕は癇癪持ちでね。
 しょちゅう喚いては暴れる子供だった。
 家族の事なんて考えた事も無かったな。
 何でもさせてくれて当然、とすら考えて無かった。
 うちは上流家庭の医者の家でね。
 立派な花瓶なんかあったけど、僕は叩き割った。
 その時兄さんが叫んだんだ。
「うるさいよ! やめて!」
 僕は腹を立ててますます暴れた。
 家はめちゃくちゃになった。
 母さんは何も言わなかった。
 ただ、父さんは違ったね。
 叱りつけたんだ。
 兄さんを。
「このぐらい我慢しろ!」
ってね。
 そのまま、兄さんを物置に押し込んで、僕は暴れやんだ。
 それが中学生くらいまで続いたな。
 だんだん兄さんはうるさいとも僕に直接言わなくなったし、母さんや父さんに言ってもね、自分が叱られるから、誰にも何も言わなくなった。
 中学生になったら、流石に癇癪はなくなってね。
 すると、父さんは今までの欠片も無かった威厳を取り戻したくなったらしいんだ。
 僕にやられっぱなしだったからね。
 まあ、腕力じゃもう僕には及ばなくなっていたから、お金しかない。
 僕の通ってる学校に多額の寄付をするようになったんだ。
 あちこちで当然賞賛されたよ。クラス委員だって、毎回僕だった。
 ただ、兄さんはその間に高校をやめた。
 僕は聞くべきだったんだ。
 その時、「何で?」って一言ね。
 そんな当然の事を僕は思いつきもしなかった。
 部屋にこもりっきりの兄さんに声もかけなかったな。
 一緒にサッカーしようよ、とか、その程度で大分違ったはずなのにね。
 父さんは賞賛と同時に苛立ちも覚えて、些細な事で怒鳴り散らすようになった。
 まあ、一人で怒鳴ってる場合もなくはなかったけど、大概は兄さんに怒鳴ってたよ。
 兄さんは笑顔で聞き続けた。すると
「何をへらへら笑ってるんだ!」
って更に怒鳴った。
「いえ、何でもありません。わたくし、こんな顔に生まれついているのでござります」
「そんな顔に作った覚えはない!」
 兄さんの口調がどんどんおかしくなっていったのにも、僕は気にも留めなかった。
 そのまま高校へ行って、大学は下宿した。
 ただ、唯一気がかりなのは、大学へ進むとき、唯一、ほんの唯一、兄さんが
「行かないでくださいまし」
って泣いた事だった。
 兄さんが泣くのは久しぶりに見たから、吃驚したけど、もっと驚いたのは父さんが
「弟の進学を喜べないのか! 物置に入っていろ!」
って兄さんを叱った事だった。
 だって、兄さんはずっと家にいるけど、とっくに大人なんだよ。
 でも、兄さんは物置に入って、僕は見送りを受けずに家を出た。
 大学生活は楽しかったな。
 アイスホッケーのサークルに入ってね。毎日走ってた。
 医師免許を取って卒業する時に、留年と浪人をしまくってる先輩に出会うまでは、うちの事なんて考えた事もなかった。
「お前、ケネス・コレットの弟なんだって?」
 その先輩は何度目かの禁煙を破って、僕に話しかけた。
 僕は煙をよけながら
「はい」
と答えた。
「俺、同級生なんだけど。あいつ、何で高校やめたの?」
「さあ、知りません」
 その瞬間、先輩に思いっきり殴られた。
「じゃあ、教えてやるよ! あいつはなあ、お前の親父がお前の学校に寄付する金が足りなくなって、学費削るためにやめさせられたんだよ! 学校に親父が怒鳴り込んできて大騒ぎになってたよ! それをさあ、知りませんだ? ふざけんじゃねえ! あいつだって学校行きたかったんだよ!」
 僕は唖然とした。
 先輩に叱られるまで、僕は兄さんの事なんて考えた事がなかった。
 慌てて荷物抱えて実家行の列車に飛び乗った。
 実家に帰ったら、兄さんの好きなお菓子を山ほど買ってあげて、そして謝ろう。それから、兄さんを連れて家を出るんだ。僕はもう医師免許を持ってる。兄さんを守れる。やり直せる。
 息せきって実家に着くと、母さんが笑顔で迎えてくれた。
「卒業おめでとう。お祝いはスーツでいいかしら?」
「いや、それより兄さんは!?」
 次の言葉を聞いた瞬間、僕は足元が揺らいだ。
「ケネスなら、まだ物置に入っているわよ」
 一瞬理解できなかった。母さんは笑顔でコーヒーを淹れに行こうとした。
 その肩を掴んだ。
「如何いう事だよ!? 何で、何でだよ!? まさか、僕が大学に行ってる間ずっと」
 母さんは僕を呆れたように見た。
「だって、お父さんが許すって言わないんだもの」
 僕は唖然とした。
 異常だ。
 いや
 ずっと異常だったのに、僕が加担していたんだ!
 僕は走って物置に行った。
 地下の扉を開けると、埃っぽい臭いと、薄暗い部屋。
 すっかり痩せこけた兄さんが居た。
「兄さん……!」
 兄さんは目が落ちくぼんで、しがみつく僕の背に手を回した。
 そして言った。
「今更何をしに来たんですか」
 ぞっとした。
 その目にあるのははっきりとした憎悪だった。
 兄さんにとって世界は家族が全てで。
 その家族は憎悪の対象だった。
「ごめん、ごめんね、兄さん、これからは僕が守るから」
 兄さんは笑った。
 心から。
「わたくしなんか守る必要ありませんよ。それより、医者の腕を磨きなさい」
 心から。
 兄さんは自分に価値を感じていなかった。
 僕らを憎みすぎて、忘れてしまった。
 いかに自分が優しくて、素敵な人だったかを忘れてしまった。
「パーシー!」
 そこに父さんが入ってきた。
 僕は子供の癇癪のように喚いた。
「父さん! これは犯罪だ! 完全に犯罪だ! 狂ってる! 兄さんをここから出すよ!」
 父さんは
 もっと癇癪を起した。
 僕に思いっきり物置に置きっぱなしのトロフィーを投げつけた。
 頭を打った僕が倒れて、父さんは
「じゃあお前もそこに入ってろ! 誰のおかげで大学まで行けたと思っているんだ!」
と喚いて出ていった。
 僕はすぐさま出てやる、と起き上がった。
 そのこめかみから血が流れた。
 その血を、兄さんが舐めた。
「ああ、シャワーは浴びさせていただいてますから、汚くないですよ」
「兄さん、何で、こんな」
「舐めれば、痛いの治りますよ」
 そう言って、笑った。
 僕は泣いた。
 僕が大学で最先端の医療を学んでいる時に、兄さんは怪我を舐めて治してたんだ。
「痛いのですか?」
「ごめん、兄さん、ごめんね……」
「何故謝るのです? 何も悪い事してないでござりましょう?」
「違うよ。すごくすごく悪い事をしたんだ」
 理解できないようだった。
 僕がその手を引いて、地下室を出ようとすると、酷く抵抗した。
「駄目です! 勝手に出てはなりません!」
 それがあまりにたやすく制圧できてしまうから、僕はまた涙が出た。
 そして外に出て、久しぶりの光に目が着いて行かない兄さんの手を引いて、父さんの前に立った。
「父さん、自首するんだ。これは監禁罪だ。しかも高校を無理やりやめさせた事も、僕は知っている」
「ふざけるな! お前の為にやってやった事だ!」
「そうだ、僕もクズだ。そして、父さんも母さんもクズだ!」
 怒鳴り合いを破ったのは、一発の銃声だった。
 倒れる父さんを見て振り返ると、母さんが猟銃を手にしていた。
「犯罪者の家族なんて嫌よ!」
 そのまま、もう一発撃った。
 猟銃はショットガンだった。
 弾は僕に覆いかぶさって、救おうとした兄さんの体を貫通して、僕の心臓に突き刺さった。
 最期に見たのは兄さんの笑顔と、僕ら全員に向けた一言。
「恨みます」
 以上が、僕と云うクズの愚痴だよ。蘇らせでもなんでも、したらいいさ。