66―北の決着


「目標を完遂。現刻を持って帰還します」
「そのまま対ウクライナ革命軍戦線と合流しろ」
「ダー(了解)」
 ウラジーミルは通信を切った。
「ニコライ」
「は! いつでも出撃できます!」
「待ち伏せで出撃してどうするこの阿呆が!」
 ドミトリーが自分の代わりに怒声と鉄拳制裁を与えたのを見て、ふ、と息を吐く。
 出口は一つのカナダ国立病院の物置。
 内部の物は全て撤去され、戦いに何の支障も無い。
 否。
 ネクラーサの「キスしたものを毒物に変える能力」相手になら、こちらが圧倒的有利。
 奴がここに入ってくるかは、賭けではない。
 確信だ。
 奴の戦士として軍人としての鼻は、確実にここを嗅ぎつける。
 扉の前の薬莢の匂いを、確実に。
 ウクライナ革命軍将軍として、最も望むことは、フィンランドとの同盟。
 それが果たされぬとなれば、今度はウラジーミル大尉の殺害だろう。
 近づいてくる。
 近づいてくる。
 ソ連の番犬の毛並みがざわつく。
 髪の毛が引っ張られるような感覚。
 それが頂点に達した時、扉が開いた。
 撃ち込まれたのは数十発を超える弾丸。
 正面に立っていたウラジーミルに直撃した!
「―と思ったか?」
 息を吞む音が確かに聞こえた。
「随分、元気そうじゃあないか」
 豊満なスラブ民族の肢体を軍服で覆った女。
 ネクラーサ・ダヌィーレンコウクライナ革命軍将軍!
「おかしいねえ」
「ただの弾丸ではないのに? か」
 赤い口紅が引きつる。
「莫迦の癖に察しがいいね」
 弾丸には一個一個、ネクラーサのキスによる毒が含まれているのだろう。
 弾丸を受けてもたちまち治癒してしまう男を殺害する方法。
 毒殺!
 それを狙ってネクラーサが自ら来たのはすぐに察することがでいる。
「ニコライ、見せてやれ」
 今まで全くネクラーサの眼中になかった少年兵が、ゴム手袋に包まれた両手を開く。
 ガラガラガラ
 響いたのは金属音。
 落ちていく、今発射されたばかりの毒入りの弾。
 ニコライの能力は「全ての弾丸を摘出する」。
 それは発砲された弾であろうと、弾倉にある弾であろうと同じ事。
 即座にドミトリーがカラシニコフAKをの銃口をネクラーサに向ける。
 同時にネクラーサも同じ銃を向ける。
 双方、発砲。
 だが、それはすぐにやむ。
「貴様も察しがいいな、阿婆擦れ」
 ドミトリーの前にウラジーミルが立つ。ドミトリーは即座に敬意を持って引き下がる。
 ネクラーサも感づいたのだ。この未だ雪の中走り回っていそうな少年兵の能力を。
 全ての弾丸を摘出する。すなわち、味方の発砲した弾丸もニコライの元に行ってしまう。
 故に、こちらも銃による攻撃はできない。
 その他に、キスして投げつけられるようなものはない。
 逆にウラジーミルは、素手でネクラーサを殺害する筋力がある。
 勝利する。
 確信した。
 既にウラジーミルの体は飛び出した。
 走って、その首を狙う。
 しかし、ネクラーサは予想外に
 老獪だった。
 即座に逃走を決意した。
 しかし、すぐに追いつかれるのは自明の理だった。
 ならばどうする。
 行動は速かった。
 ネクラーサの唇が壁に押し付けられる。
 そして、床にも押し付けられる。
「なッ」
 思わず驚愕の声を上げる。
「ふ……ふふ……」
 ネクラーサが嗤う。
「ひれ伏すのはあんたの役目だったね。番犬」
 壁が毒物となった。
 壊すことができない。
 床が毒物となった。
 入口を通る事ができない。
 幸いして、入口付近の床だけに毒はとどまっているらしいが。
 毒の中に閉じ込められた。
 ネクラーサの金髪が走り去った。
「ど、どうしますか!?」
 ニコライが慌ててウラジーミルに問う。
「落ち着け、ニコライ。地道に弾丸で壁を壊す」
 ふいに笑い声が響いた。
「хахаха!」
 睨むようにウラジーミルが笑い声の主を見る。
「何がおかしい、ドミトリー」
 ドミトリーはまだ笑い止まない。
「いえ、大尉ともあろうものが、何をのんびりした事を仰っているのかと」
 ギロリとウラジーミルの目が険を増す。
「それでなくば何がある」
 ドミトリーは大柄な肩を竦める。
「あります。とても簡単な方法がね」
 一瞬の無言。
「まさか!」
 ウラジーミルが思わず叫ぶ。
「ニコライ、大尉の補佐を任せた」
 次の瞬間、ウラジーミルの手を、絶望的にすり抜け。
 ドミトリーは入口の、毒の床の上に立った。
 そして敬礼した。
 そのまま、ゆっくりと倒れていく。
 口元は笑みを作っていた。
「ドミトリー……」
「軍曹、ぐ、軍曹!」
 毒の床は、ドミトリーの遺体によって覆われた。
 カナダの医者の蘇生の力は、24時間以内に2回は使えない。そして死後24時間以内の遺体でなくては蘇生できない。
 ドミトリー軍曹は戦死した。
 ウラジーミルは、前へと歩んだ。
「大尉……」
「ニコライ、早く来い」
「でも、でも!」
 ニコライの瞳から涙がボロボロと落ちた。その瞳をウラジーミルは見据えて言う。
「早く来い」
 ウラジーミルは静かに敬礼し、その遺体を踏み越えていった。
 ニコライは嗚咽を隠せず、ばっと敬礼して、遺体を踏み越えた。
 外に出ると、ウラジーミルはドミトリーに振り向く。
「貴様の戦死は無駄にはせん。Благодарю(感謝する)」


 ウッラ=マイヤは港に居た。
 混乱して。
 あの父親を殺したアメリカ女は生き延びた。
 ネクラーサは自分の目の前を走り抜け小型船に飛び乗った。
 今、小型船は港を離れた。
「あたし、どうしよう」
 復讐の術はかき消えた。
 小型船はどんどん離れていく。
 海だけがやたら綺麗だ。
「どうやって―」
 背後の足音にも気づかず、立ちすくむ。
「貴様が元凶のフィンランド人か」
 声に気付き、慌てて、振り向く。
 灰色の目の男が立っていた。
 スラブ民族にしては小柄だが、纏っている軍服は。
「ソ連人―!」
 思わず後ずさる。
 その後ろにも更に、ソ連の軍服を着た少年。
 後ずさり続けて、どん、と後ろのコンクリートの壁にぶつかった。
 それは6畳間ほどの倉庫で、何も守ってくれはしない。
 だが、ソ連人は近づいてくる。
 ウッラ=マイヤに最も接近すると。
 壁を殴りつけた。
 信じられない事だが。倉庫は、建物ごとずれた。
 柱がへし折れ、床が壊れ、建物ごと一メートルほど前方に押しやられたのだ。
 ソ連人は低い声で言った。
「いいか、小娘。復讐とは」
 棒立ちになったウッラ=マイヤには目の前で起きた事を真実と思えなかった。
 何故なら。
「こうするのだ!」
 建物ががそのソ連人の両腕によって持ち上げられ、逃げ去る小型船に向かって投げつけられたからである。
 小型船は建物がぶつかることによって大破した。
 間もなく、煙を上げて沈んだ。
 人は誰一人出てこないまま。
 そのまま、ソ連人はこちらを向いた。
「ニコライ」
「は」
 ソ連の少年兵の銃口がこちらを向いていた。
 死を覚悟できるほどウッラ=マイヤは利口ではなく。
 ただ、恐怖。
 次の瞬間、目の前の地面がマグマと化した。
 赤い炎をてらてらと光らせ、熱気がソ連人との境を作る。
 これは、この能力は
「ブラギ君!」
 まだ年若い男が現れた。
 ブラギ・インギマルション。
 アイスランド大統領。
 地面をマグマに変える能力を持つ。
 ウッラ=マイヤの夫。
 日頃は明るい瞳が、今は緊迫している。
「ウッラ=マイヤ、あのね」
「ブラギ君!」
 抱き留められる。夫の心臓を感じる。
「復讐ばっかり考えてる、ウッラ=マイヤは可愛くないよ」
「ウッラ=マイヤは可愛くない?」
 ふ、と全ての呼吸が正常になる。
 解放される。全てから。
「じゃ、復讐やめるね!」
 笑顔があふれ出る。
 ブラギはソ連人に向き直った。
「じゃ、僕ら帰るからね。また会いたくはないよ、ウラジーミル大尉」
 更にマグマでソ連人を分断させると、二人を乗せた車は走り去る。
「大尉……」
 やけにウラジーミルは静かな顔をしていた。
「ドミトリーを迎えに行くぞ」

 ヘヴンズ・ドアーの扉が開く。
「あら、ロビンさん、ヴィンセントさん。いらっしゃいませ」
「クリスマスセールまでに治療が間に合って良かったね。あ、これ、追加の納品の領収書。店長に渡しといて」
「畏まりました」
 ヴィンセントの後ろから、ロビンが覗く。
「あの、依子。先ほど、アホそうな女性から「ごめんね」って謝られたんですけど、なんでしょうね」
「あら。そちらもですか」
 依子は、小さなカードを取り出した。
「うちの店にも、こんなものが」
 フィンランド語で「ごめんね」と書かれたクリスマスカード。
「まあ、せっかくいらしたのですから、お茶など如何ですか?」
「タダ?」
 奥から店長であるサマンサが出て来る。
「付けるお菓子によっては、有料よ」
 オランダ人の有名な特徴、吝嗇。当然、無料のお菓子を提供することになるだろう。