69―回転せよ


 大三次世界大戦の勃発!
 これは現世においての事!
 うちの店としては単にお客が増えるだけに過ぎないわ。
 ただ、オーディンは歓喜に打ち震えている。
 そう、核の戦争と各地の飢饉と内乱。
 それが現すものは世界の終末。
 オーディンが新たなる世界の先駆けとなる大地の震え!
 戦いなさい戦士達!
 ヴァルハラをかき回しなさい戦士達!
 貴方達の誰が新たなる世界の権力を握るか!
 戦いはスピードアップする!
「楽しそうだな、サマンサ」
「勿論よオーディン。私たちはこの日を待っていた! ヴァルキリーは戦士を嗅ぎ分ける! さあ、戦士達の華麗なるショウタイムは加速する! 期待しましょうオーディン、我々の退屈が報われる日が来るのよ!」

 相手の下半身が水源に落ちそうになり、幾之助は急きょ片手で拾い上げた。
「まっこと鮮やかな手並みじゃ飯塚!」
「そうはおっしゃいますけどね」
 厳島に幾之助は振り返る。
「今夜はりんごちゃんが魔女になるかどうかの決め手の日だったんですよ」
「何のこつか分からん」
「分かられたくもないですね。オタクとしては」
 ため息を吐く周囲は、切り刻まれた死体が転がりまわり、地獄の態を現していた。

「あーっくっそ」
「シスター・アルベルタ」
 口汚い言葉を聞かれたかと、金髪の尼は慌てて振り返った。
 そこには同じく金髪だが、ふわふわの巻き毛を隠した尼、シスター・エラが悲しげな表情を浮かべていた。
「可哀そうに、アルベルタ。こんなに傷を負って」
「あーいや」
 左腕の包帯を固く縛る。
「やっこさん、今回は本気じゃなかったみたいっすよ」
 エラの表情がまだ悲しげなので、慌てて、腕を振ってみる。痛みが走ったが顔には出さない。
「マジですって。中国人が本気で切り付けてきたら、エモノには毒が塗ってあるらしいっすから。あくまで亡命狙いの斥候っすよ」
 シスター・エラは華奢な体を座り込ませ、両手を組む。
「あなた達リヒテンシュタイン人には、いつもこんな役ばかり。やはり、こんな事は―」
 ふいに、アルベルタは立ち上がった。
「恩に報いるのは神様だって当たり前って言いますよ」
 両手に下げるのはゾロターンMG30機関銃。
「私は第一次世界大戦後の恐慌で死んだリヒテンシュタイン人」
 胸に下げるのは美しく光るロザリオ。
「最期に食べたのは、スイス政府から送られた一切れのパン」
 回転する。機関銃とロザリオがくるくると。
「あのパン、マジで美味かったっす」
 構える。
「スイスには、一人たりとも侵入させない、これはあの日のパンに誓った」
 磔刑のキリスト。
「リヒテンシュタインはスイッツランドの咢となる!」
 吠える尼僧。
 その頃、張一家はスイス国境付近に潜伏していた。
 足元には、毒を吸って断末魔の痙攣をする中国兵。
 そして、一人立つのは、おっとりした笑みを浮かべる少女。
「大哥ー、終わったよ。もうこっち来ても大丈夫よー」
 がさがさと枝葉をかき分け、張国軒が廃屋の戸を開ける。
 ごろごろと転がる死体を気にも留めず少女の元に寄った。
「翠柳、よくやったよ。お前にはいつもこんな役、我(ワタシ)とても心苦しいある」
 少女―翠柳はそっと国軒を慰めるように背伸びして頬を撫でる。
「あいやー大哥、悲しむ事ない。皆の役に立てて我、幸せよ」
 その小さい足を、男の手が掴む。
 中国兵が一人生き残っていたようだ。
 ボロボロと涙を零し、息も絶え絶えに懇願する。
「た……助けて……」
 翠柳は笑った。
 そして、そっと中国兵の唇に息を吐きかけた。
 毒が含まれる、息を。
 涙をぼろぼろの床に染み込ませ、中国兵は動かなくなった。
 翠柳はまた笑った。相変わらずの穏やかな笑みで。
「それに我、我の息で人が死ぬのが何より好き。大姐のように動き回れないけど、こうやって人を殺せる。これ、戦士として何より幸せなことよ」
 張翠柳、張家のいわば隠し玉だ。
 裏切りの歴史を何度も見てきた国軒は、中国政府にも隠した戦士を育てていた。
 それがこれほど役立つときが来るとは。
 そっと袖の下に笑みを隠す。
「紅玉等ももうすぐ合流するよ。そうしたら、スイスで」
「饅頭売って暮らすある。我等の饅頭とても美味しい。きっとスイスでも大人気ある」
 夢見て笑う妹の頭を、国軒はそっと撫でた。

 シスター・エラは祈って送り出した。
「嗚呼、シスター・アルベルタ! わたくしはこの言葉だけを送ります! 君、死に給う事なかれ!」
 アルベルタは軽機関銃を胸に、ロザリオを胸に、坂道を下った。

 サマンサは語る。
 踊るように、女優のように。
「さあ、私は許可したわ、紅玉の家族のスイス亡命の手伝いを!」
 片手には地球儀。
「しかし、今まで、何故誰一人スイスに亡命が叶わなかったのかしら?」
 地球儀は回転する。
「リヒテンシュタイン人がスイスの周りで亡命者を殺害するから?」
 地球儀がスイスを映す。
「それだったら、とても幸福な事よ。リヒテンシュタイン人さえ殺してしまえば済む話」
 地球儀はまた回転を始める。
「しかし、世界は幸福のためにはできていないわ。世界は運の良い人間に、たまにチョコレートを配るだけ」
 くるくると青い球は回る。
「チョコレートはいずれ無くなる。チョコレート工場は、それを楽しみに作っているのよ」
 マーブルチョコがざらざらとチョコレートに注がれる。
「ねえ、オーディン、世界のチョコレート工場! あなたは望んでいるのよね! 最後の一個を誰に渡すか、そのゲームを!」
 マーブルチョコがルージュを塗った唇に運ばれる。
「我々チョコレートの運搬人は、いえ、ヴァルキリーは、とてもとても楽しみよ!」