71―君、死に給う事なかれ


 張紅玉。
 死亡年次 阿片戦争前後。
 18歳
 ヴァルハラにて張国軒に拾われる。
 現在 ヘヴンズ・ドアーの店員。
 特技 料理
 その他 一切が不明

「Oh!」
「やあやあ、待ってたあるよ、エミリー、久しぶりよ。元気そうで何よりねー」
「あ!? 何言ってんだが聞こえねえよ!」
「何言ってるか? 我(ワタシ)の挨拶聞こえないようね。我も何も聞こえないある。困ったねー」
「とりあえず! 銃声(ガンファイヤー)止めるぞ!」
 エミリーは大きく跳躍した。
 家の垣根を越えれば、アサルトライフルを握った尼僧が一人。
「M4カービンか! お喋りやで有名な銃だ!」
 エミリーはH&K Mk23を抜きざま、そのリボルバーの引き金を引く。
「依子がさっきの銃壊しちまったせいだな」
 BARの一斉射撃の前には、銃を盾に家の垣根の向こうに逃げ去るしかなかったのだ。
 そう、ヘヴンズ・ドアーの三人が近づいたのと、リヒテンシュタイン尼僧が近づいたのは同時!
 当然起こる銃撃戦!
 こちらが圧倒的有利!
 しかも、M4カービンの引き金を狙った弾丸は、尼僧の人差し指と同時に引き金を吹き飛ばした!
「おう、静かになったね」
「国軒さん! 大丈夫ですか!?」
「依子、発音が悪いよー。あららのらーよー」
「言ってる場合か」
 紅玉が軽く国軒を蹴りつけ、同時に跳躍し、垣根を越える。依子も続いた。
 尼僧は激痛を堪え、逃亡を図っていた。その足を、布でくくられた匕首が削いだ。
 仰向けに思わず倒れこむ尼僧、血臭が僅かに混じり始める。
「さて、痛いとこ申し訳ないが、教えるある」
 ぜえ、ぜえ、と荒い息が響いた。
 蹲った尼僧は、冷や汗を垂らしながら口角を上げる。
「心配いらないっすよ。自分、男なんで」
「男?」
 僅かに眉を上げる。
「女ばっかりの教会に、堂々と男が住める訳ないじゃないっすか」
「理解できたよ、そういう事か。女装魔か」
 息は荒いながらも態度は崩さない。
「失礼な。守護天使っすよ。アンタらに言っておきますけど、スイスには行かない方が良い。っつか、中国に帰って処刑された方が何倍もマシっす」
「どういう意味か」
 足を千切れた指で押さえる。
「その情報持ち逃げされたら、自分らバカみたいじゃないっすか。とにかく、自分がいるのがスイス国境す。これを越えたら終わり、いや、終わらない終わりです」
「大哥!」
 紅玉が叫ぶ。
「自白剤あるか?」
 垣根の向こうから、中華服に眼鏡の男が飛び降りてきた。
「あいあい、血管注入、経口服薬、吸引タイプと何でもござれよ」
 すっと男(尼僧)の顔色が変わる。
 国軒はにこやかに言う。
「どれがいいか?」
「どれでもいいね。一番早く効くやつ」
「おう、それなら注射タイプねー」
 ぼた、ぼたと汗が目の前の男から溢れだす。
「さて、行くよ」
「やめろおッ!」
 男は絶叫すると同時に、左手で隠し持った拳銃を抜いた。
 自殺か。
 全員が諦めた。
 しかし、カチッと音がしただけで終わった。
「あれッ」
 カチッカチッカチッ。
 震える手で何度もこめかみに向けて引き金を引く。
 カチッカチッカチッ
「何でだよお! 死なせてくれよおッ!」
 静かな草を踏む足音がした。
 ざあっと男の顔から血の気が引き、紙より白くなる。
「シスター・アルベルタ」
 名前を呼ばれた瞬間、引き金を引く音が速度を増し、何度も硬い拳銃を頭にぶつけた。
 そこに、もう一人の尼僧が静かに現れ、男(シスター・アルベルタ)に、糸のように絡み付く。
「シ、シスター・エラ……」
「援軍ですか?」
 依子がBARを向ける。
「日本の方?」
 シスター・エラはシスター・アルベルタを抱きしめたままだ。
「銃を下してください。わたくしは誰も殺しません」
「信じられませんね」
「あなたは、与謝野晶子をご存じですか?」
「は?」
 BAR、H&K Mk23、匕首を向けたまま、突然出てきた名前にポカンとする。
「私はサイパンにおりましたので、詳しくは」
 ガチガチとアルベルタの歯の音が響く中、静かにエラは語る。
「わたくしはあの方の詩を読むまで、敵国滅ぼすべしとの思いに硬直した愚昧な者でした。しかし、彼女の詩を読んで、目覚めたのです。君、死に給う事なかれ! そうです! 全ての人には無事を祈る人がおられるのです! そんな当然の事に気付かなかったわたくしは何と愚かだったのでしょうか!」
 聖書を読み上げるような美しい声。
「そして、シスター・アルベルタ、あなたには謝らなければいけない事があります」
 響くのは歯の音だけだ。
「実は、そちらの中国の方々はスイス国境内に入っておられるのです。ごめんなさい、あの方々もわたくしは死なせたくなかったのです。わたくしのする事は、国家に許されざる事でしょう。しかし、わたくしは国家よりも人の命を大事に思ってしまうのです。嗚呼、シスター・アルベルタ、最初から貴方もこうしていれば良かった! ごめんなさい、リヒテンシュタインと同盟を尊重した結果、貴方に怪我をさせてしまった。何と云う罪深き事でしょう。ごめんなさい」
 アルベルタは叫んだ。
「嫌だああああああ! あそこに行くのは嫌だああああああ!」
 地中から、巨大な緑の樹木が生えだし、見る見るうちに覆い茂る。
 エラの感極まった声が響く。
「ユグドラシル(世界樹)よ! 全ての方に永久の命を!」
 君、死に給う事なかれ。