大阪ヒーロー

 ああ、面倒な事になった。
 八重は小さくため息をついた。
 大阪と云う街は、マズイ場所とマトモな場所がある。
 具体的に云うとアレだ。治安最悪な場所がある。
 奈良県の具現化である八重は、長年の歴史から意外とそういう場所でも平気だったりする。ただし、絡まれた時にステゴロやるかというとアレだ。歳を考えたい。そういうのは現役を退いて大分経つと思う。
 ただし・・・と八重は隣を見る、同じく長年の歴史からそういう場所でも平気な美琴である。京都府たるこの弟は。意外と・・・ステゴロやってしまう方だ。
「ああ!? 兄ちゃん聞いとんかコラア!」
 紫の和服の袖を掴まれ、八重は一歩退く。僕、君の何百倍も生きてんねんで。おっちゃん。
 男の黄色い歯が唾を飛ばす。
「メンチ切ったんやろが! そやろが!」
 メンチを切るとはガンを飛ばすのとと同義語である。無論やっていない。ただ、この男の中ではやっているらしい。何かキメとるな、こいつ。
「気のせいどっしゃろ。堪忍しておくれやす」
 美琴は口調は穏やかだが、無意識に前に出ている。作り笑いもそろそろ限界なのが長年の付き合いでも分かる。
「美琴、こんなんほっとき」
「八重はんは後ろに居て構しまへん」
 断られた。ああ、京都も若いなあ。確かに僕らは多少殴られても命に別状はないいうかすぐ直るけど・・・。痛いものは痛いやん。
 このまま手を引っ張って逃げる・・・。うーん・・・最近運動してないからなあ・・・。体力的に・・・。
 水都がこの辺りで風紀改善の為の視察をしている、というので次の仕事の為迎えに来たのだが・・・。軽率だった。普通の場所でたこ焼きでも食べていれば良かった。
「おどれの目えから緑の光出たん知っとんじゃワレエ!」
「そないなえらいモンよう出せまへんなあ・・」
 美琴が自分のベストに軽く手をかける。洒落たものだと分かっているそれが無事で帰れるとは限らない。
「し、知っとんやぞお!」
 完全に手が震えている男を見ながら、八重は自分の見立てが間違いない事を実感する。何か幻覚とか見て逃げてくれへんかなあ。 
「知っとる言うとるやろがワレェ!」
 あ、ヤバい。
 この言葉が頭に浮かんだ時にはもう遅い。
「何を知っとる言うとんやッ!」
 美琴が男の胸倉を掴み、拳を振り上げる。
 あー、もうアカン。お兄ちゃんこうなったこの子止められる自信無い。
 ぶしゅう!
 次の瞬間、水飛沫と共に、周囲は甘い匂いに包まれた。
「水都・・・?」
 胸倉を掴んだ儘の美琴と、殴られる寸前だった男が水浸しになって目をぱちくりさせる。
「ごっめーん、サイダー溢してもうた」
 実に明るく、大阪府の具現化、水都が笑っていた。
「溢したって・・・」
 明らかに炭酸を振ってからぶっかけただろう。という言葉は飲み込む。ポカンとしている美琴もいつもの悪口が出てこなくて好都合だから。
「おっちゃん、ここは痛み分けで勘弁してんか。そうやないと、俺、警察呼ばんなアカンから」
 笑顔で美琴の手をやんわりと外し、しかし自分が男にかけた手は外さない。
「それで脅しとるんかボケコラカスッ!」
 男は怯まない。しかし、水都はもっと怯まない。
「いやー、脅しやのうて実はもう呼んでもうた」
 軽く自分の頭を叩くと、軽く向こうを指さす。そこから警察官が走ってくるのが見えた。
「お・・・おどれ何を・・!」
「まー、一日入ったら終いやろ。ほななー」
 顔色を変える男にひらひらと手を振って、美琴に背中から飛びつく。
「サイダーで爽快やろ?」
「アホ言いなはれ。ベタベタやわ」
 美琴が不機嫌に返すが、先ほどまでの殺気は無くなっていた。
「はいはい。じゃあその水も滴る良い男見せやんように、行こかー」
「これから僕どないしますのん。こんなベタベタで」
「そこは気にせんと」
「気にするわ!」
 空気が抜けたようにじゃれ合う二人を見て、八重はくすりと笑みを漏らし、よくやった水都の頭を撫でてやる。
「あ、兄貴何なん? 何その子ども扱い?」
「別にー。あ、たこ焼き食べに行こ。奢っげるから」
「奢り!? マジで!?」
 アスファルトの熱がようやくマシになってきた午後8時の事である。