北の弟

 明治元年九月二十二日。
 会津藩、官軍に降伏―。
 領地を召し上げられた領民に、北海道に逃れるものは多かった。
 その中に、現在福島県と呼ばれる土地、沙紀も連なっていた。
 銀髪に紅い瞳、雪のように白い肌。人間であればアルビノと呼ばれるであろうが、沙紀にはアルビノが被る肉体的負荷はない。
 今日も、着古した軍服の下には鍬が握られ、ざくざく、と畑を耕している。
 福島は東北の中では比較的温暖な地域である。冬は常に零下を激しく超える北の地に人々が疲弊しているのは己の体で分かっていた。
 蜂のように括れている体にはあばらが浮き出て、重たげな乳房には艶が無い。
 北の吹雪に追いやられ、福島に帰らざるを得ない者も多かった。沙紀が北海道に渡るのも、皆が反対した。遠き場所に長く居続けて、土地たる体が耐えられる保証は無かった。
 沙紀は生きる気は薄かったのだ。
 降伏の前日、割腹しているはずの身であった。福島に自刃の民は多くあり、それは女子供にも及んだ。戦死者も多く、悲痛に命を散らした。せめて浄土で敗戦を詫びたいと願っていた。
 生きていたのは、官軍に薙刀で立ち向かい、銃弾に花と散った娘子隊の面々が残した一通の手紙があったから。彼女らは一人一人髪を一本ずつ切り、沙紀に木綿の布で包んで渡した。
 一言「生きてくださひ」とだけ添えて。
 その包みは今も懐にある。それだけで、生きている。
「沙紀様、沙紀様」
「なじょした?」
 休憩かと振り返れば、どうにも神妙な顔をした民。
「失礼な事聞きますが」
「失礼だと思ってるのに聞かねばならねのか?」
 これは大事らしい、真実剛健を旨とする我が民が。
「沙紀様にお子さんはおられますか?」
 はて?
 一寸たりとも身に覚えのない事である。そもそも自分達って子供が出来るのか? という点から怪しい。
「なじょして?」
「ちっさい男の子が、一人で沙紀様訪ねて来たで、てっきりお子さんかと」
 てっきるな、と思ったが、それは大事だ。
 かんじきで雪を踏みしめ、木造りの家に戻る。
 ごおおん
 入った瞬間、何かに飛び付かれて転んで後頭部を強打した沙紀の脳内で響いた音である。
「うええええーーーん!!」
 飛び付いてきたらしい、ちっさいのは、腹の上で号泣している。
 齢五つばかりの小さな子供、民が親子と思ったのも頷ける。目は黒いながらも、この子供の髪も真っ白だ。
「こわかったよーーー! やっと会えたよーーーー!」
「ちょ、のけ、のけ」
 軽く子供の足が胃に入って居るので必死に退かすと、子供は床にべたっと座ってまだ泣いた。
「おめ、何処から来た? 名前は何と言う?」
 問いながらも、彼女はどこか不思議な感覚で感じ取っていた。
 この子供も、自分と同じ・・・おそらくはこの北海道という土地であると。

「まさか過ぎるやろ、沙紀が母性に目覚めるとか」
 奈良から移民に混ざってやって来た八重の第一声はそれであった。
「何もみったぐね事はしてね! っていうかおめは本州からやって来て土産の一つも無いのか!」
 この日本最長老の一人には沙紀の子供時代も知られていたりするので、口調もあけすけになる。
「あるある、美琴のとこで買ってきた簪」
「おめ、私の髪のどこに簪差す気だ」
 沙紀の髪は男のような短髪である。八重の方がロングヘアだったりする。
「・・・・三輪そうめんも持って来たけど」
「ありがとう! わりいなあ、わざわざ」
 ちょっと凹んでる八重であったが、沙紀の後ろに隠れている子供ににこにこと話しかける。
「初めましてー、ぼん、名前何て言うん?」
「うわああああーーーーん!」
 その瞬間、号泣する子供。八重の顔は決して怖い方ではない。篤辺りの顔だったらそりゃ怖いだろうが。
「こ、こら、そげに泣くでね! このでれすけ!」
 気まずそうにする沙紀だが、八重は心得たもの、という顔で。
「ええてええて、ほんで名前は何て言うん?」
「陸斗いう・・・」
「それは勇ましい名前やなあ・・・。沙紀らしい」
 戦う陸。
「だども、この通り泣き虫で仕方ねえ」
「ええやん、そんなんもちっさい内だけ・・・そう・・ちっさい内だけ・・・」
 何か一人で記憶の箱を開けたらしく、勝手に落ち込む八重に慌てて話しかける。
「で、いつまでこっちに居るつもりだ?」
「それは僕が君に聞きたいわ。福島県いう県が制定されそうになってるねんで。君もいつまでも此処におる訳にもいかんやろ。その子も北海道に住む民に預けた方がええんとちゃうか?」
 ・・・・体調が良くなってきたことから、それは薄々感じていた。
 しかし。
「あああーん! おねえちゃん行っちゃやだーーーッ!」
 更に号泣を始めた陸斗を見返す。
「まあ・・・そういう事やったら・・・僕が東京に伝えとこ。悪かったな、ぼん、吃驚させてしもて」
「うわあああーーーん!」
「八重・・・」
 ほっと胸を撫でおろす沙紀だが、その耳元で八重が囁く。
「最近、元会津藩の女が襲われる事件が続いてる」
「・・・なっ」
「君らを朝敵と見てる人間が多いからな、被害者が泣き寝入りして表ざたになっとらへんのや。沙紀も気ぃつけや」
「碌でもない男がいるんだな・・・」
「別嬪さんやねんからな。沙紀は」
「んなこたね!」
「はいはい、僕は後一月ほど新十津川村の方に居るよって、何時でも来て」
 すたこらと去って行った男に、ようやく泣きやんだ陸斗が手を振った。
「お姉ちゃんはほんとに綺麗だよ?」
「私はそんなもんは必要ね。それより八重が持って来たそうめん食(け)」

 子供の体温とは温いものだ。
 パチパチと囲炉裏がはぜる音を聞きながら、そんなまどろみに浸る。
 割腹との間際のあの心が遠くに感じる。それでも、あの手紙はしっかりと懐にある。
 侍として生きてきた長い歳月、割り切れるものではなかった。
 急にごとり、と戸が開く。
「誰だ? なじょしたこんな夜中に?」
 しかし、相手の声は無かった。
「お姉ちゃん?」
 長年軍国として生きてきた者のとっさの危機感!
 とっさに陸斗を抱え込む。
 銃を取らなかった事が仇となった、男が覆いかぶさってくる。
「嫌!」
 はあはあ、と男の荒い息遣いが聞こえる。
 恐怖で体が竦む。陸斗が大声を上げて泣き出す。
「うるさい!」
「陸斗!」
 男に必死でしがみついていた陸斗をひきはがされ、遠くに放り投げられた。べち、と壁にぶつかったのが、囲炉裏の火でぼんやり見える。
 ぐい、と胸元を押し広げられた時、男が「?」という雰囲気を出した。そこには娘子隊からの手紙が入っていた。
「やめて!」
 それを奪われた瞬間、ようやく体が半狂乱で暴れる事が出来た。
「返せ!」
 男の手によってそれが囲炉裏に放り込まれようとする。
「それは私の、私の、私の!」
 もう言葉が続かない。涙で視界が滲む。
 ごつ・・・
 鈍い音が響くと同時に・・・男がゆっくりと倒れて行った。
 陸斗が、薪で男の頭を思いっきり殴りつけたのだ。
 囲炉裏の隣で倒れた男、そして、陸斗はまた号泣し始めた。
「お姉ちゃん痛いとこない!? ぶたれてない!?」
 よろよろと手紙を拾い、その手を引いて小屋を出る。
 そして、陸斗を抱きしめた。
「ありがとう・・・。お前は日本一強い男になる」

「暑いなあ・・・」
 北海道からの飛行機機内でも思っていたが、夏の福島は陸斗にとっては暑い。
「お姉ちゃん、お土産持って来たよ」
 返事が無いので、勝手に合鍵で入る。身長は沙紀をとっくに追い越し、県の平均身長より十センチ高い、180,9センチになった。
「寝てるのかな・・・」
 いつもの仕事部屋にノックをして、返事を待たずに入る。
「ふふ、やっぱり寝てる」
 机に突っ伏して寝ている後頭部を見て、笑いがこみ上げる。手入れをしていたらしい拳銃だけ、しっかりと片付けてあるのが彼女らしい。
 少し、悪戯を思いついた。
 水性のサインペンを取り出し、彼女のべったりと机にひっついたほっぺたに走らせる。
『She is mine』
 さて、起きた時のリアクションが楽しみだ。
「勿論、お姉ちゃんとしてだけどね」
 それが本当かどうかは皆さまのご想像にお任せしよう。

参考文献
 「北に生きた会津武士と農民~福島県と北海道」 北海道開拓記念館
 「日本合戦全集6維新動乱編」