102―北国の妻


 家族を憎んでいる間は、私は自分に価値があると思えた。
 憎むという事は自分に、憎しみを抱く権利があると思えないとできないのだ。
 弟に愛されるようになった時、私は自分に価値が無いと知った。
 憎しみを抱く権利以外、私には何の権利もなかったのだと。

 デンマーク国王、イェンスは泣き崩れる妻の背を叩いた。
「だーかーらー、ぱぱっとぶっ殺してくるだけだって」
 デンマーク王妃はイェンスを必死に抱きしめて叫んだ。
「あなた! 私、もう宝石もドレスも何もいらないわ! あなたさえ帰ってきてくれたら、そんなの全部売ってしまうわ! いいえ、乞食に全部あげたっていいわ! だから帰ってきて!」
 場所は占拠したカナダ国立病院の一室、一階のその部屋は日が当たらない。
 隣では、スウェーデン王ヤンが、サファイアが柄に入った剣を、ゆっくりと鞘にしまった。
 スウェーデン王妃は跪き、無言で彼のブーツを磨き続けている。
「おい。もう構わぬ」
「戦場に、王がみすぼらしい姿で征かれる訳には参りません」
 それだけの会話をして、王妃は襤褸布でブーツを磨き続けている。長いスカートが埃に汚れている。
 アイスランド大統領ブラギは、妻、ウッラ=マイヤと深く抱擁している。
「北米大陸が僕らのものになったらさ、もう一回結婚式をあげようよ」
「わあ! 素敵だねブラギ君! あたし、今度は違うドレスを着るよ!」
 静かな夫婦、明るい夫婦、一番明るかった夫婦の妻は、ひたすら泣き続けている。
「あなた! あなた! 私、あなたくらい愛しい人はいないわ! お義母様もお兄様ももういない! あなたしか私にはいない!」
 デンマーク王の母と、デンマーク王妃の兄、ノルウェー王は水質汚染により、病で亡くなっていた。
 彼らの死が、北欧連合軍が北米大陸侵略を決めた決定打だ。
「ったくお前は大げさなんだよ。俺様が死んで帰った事があったかっつの。俺様はデンマーク最強のイェンス・イェンセン。ふっつーに帰ってくる」
『って』
 までは言えなかった。
 銃声。
 たった一発の銃声。
 それが正確に、イェンスの眉間を撃ち抜いたのだ。
 窓からの狙撃!
 デンマーク王妃は崩れ落ちる夫の体を、支えようと抱きとめた。
 彼が立ち続ければ、生き続ける気がしたのだ。
 しかし、イェンスは目を見開いた儘。
 絶命していた。
「あなた……?」
 デンマーク王妃の涙が止まった。
 泣く事すらできなくなったのだ。
「あなた……? あなた……? 今、帰ってくるって言ったじゃない……。死なないって言ったじゃない……。なんで……? なんで嘘つくの……? 宝石だってドレスだって、買ってくれるって言ったものを買ってくれなかった事ないじゃない……。嘘なんて吐いた事ないじゃない……。なんで……なんで初めてが今なの……?」
「伏せろセシル!」
 スウェーデン王の声も、何も、デンマーク王妃には聞こえなかった。
 スウェーデン王妃が、飛びかかるようにデンマーク王妃を床に叩きつけた。
 日頃清楚な彼女は怒声を上げた。
「貴女も死にますよ!」
 デンマーク王妃は、夫の遺体を抱いた儘、呆然と床に転がった。
「この距離からの狙撃、エミリー・カーターだよ」
 ウッラ=マイヤの言葉に頷くと、ブラギは窓の傍に駆け寄り、床を殴りつけた。
 コンクリートに亀裂が走るように、マグマが噴出した。
 地面をマグマに変える、ブラギの能力だ。
「これで熱から弾丸の精度は正確じゃなくなるはずだ。早く他の部屋に!」
 ヤンはデンマーク王妃からイェンスの遺体を引きはがして背負い、感情がないかのように呆然としているデンマーク王妃の手を妻に引かせた。
「頼んだぞ、ビオラ」
「ご安心を、陛下」
 ブラギはドアに手をかけて、部屋から飛び出した。
 その真後ろに居たウッラ=マイヤには確かに聞こえるはずのない、エミリーの声が聞こえた。
【狙い通りだ】
「ダメ! ブラギ君!」
 しかし、もう、遅かった。
 ブラギの体に、激しく火花が散った。
 それが電気砲(レールガン)である事を理解できたのは、目の前に並んだ白衣の群れのせいだった。
 その先頭に居たのは、パーシーカナダ国立病院院長。
 怒りに肩を震わせながら、電気砲を構えている。
 彼は叫んだ。
「なんで患者を皆殺しにしたんだあああッ」
 北欧連合軍が作った死体の山を、担当していた医師や看護師達も、涙を流しながら銃をこちらに向けていた。
 ブラギは、ばたんと倒れた。
 感電死だった。
 パーシーの能力、電気の発生だ。
 ウッラ=マイヤはブラギの死を理解できたが、まだ体に染み入っていなかった。
 だから、ブラギの死体より、パーシーの背後に居る男を見た。
 あれは、ケネスだ。
 なんで彼はあんなにも。
 どうだっていい事みたいな顔をしているんだろう。