105―愛情⇔憎悪

 貴方が憎らしい。
 貴方さえいなければ、私はいらない子にならなかった。
『兄さん』
 私も、お父さんとお母さんに愛されたかった。貴方さえ生まれて来なければ、私は愛されたはずだった。
『兄さんにとって、家族だけが世界だった』
 世界に愛されたはずだった。貴方の罪は生まれて来た事だ。
『そうだよ、兄さんは僕よりずっと家族思いで、我慢強くて、こんな良い子はめったにいないよ』
 謝れ! 謝れ! 生まれて来た事を謝れ!
『ごめんね、兄さん。いらない子は僕の方だったんだ。僕なんか生まれて来なければ良かったんだ。生まれてきてごめんね。だけど―』
「ゆるして」
 ……赦してあげる。
 赦してあげる! 赦してあげる!
 だから逝かないで! どうか逝かないで! もう一人にしないで!
「自分を大事にして」
 そんな事分からない! 貴方が大事にして! 自分なんてどうやったら大事にできるのか知らない! 
 パーシー! 貴方が私を大事にして!

「ケネス! ケネス!」
 ブリタニアは、蹲った儘のケネスを乱暴に揺さぶった。
 しかしケネスからの返答は無い。
 言葉にならない何かを呟くだけで、その瞳は涅(くろつち)に落ちている。
「何なのよ! 返事をしなさいよ!」
 ブリタニアの悲鳴に近い言葉も、まるきり聞こえていない。
 ただ、意味のある呟きを一つ漏らした。
「あいして……」
 それが正気から呟かれたものでない事は、目を見れば明らかであった。
「役立たず!」
 ヒステリックに怒鳴ると、ブリタニアは彼の頬を力任せに平手打ちした。
 ケネスは人形のように転がり、その儘、体の動きを止めてしまった。
 現世に居た頃、物置に閉じ込められていた時のように、ただ、呆(ぼう)と宙を見つめている。
 ブリタニアは絶叫した。
「役立たず! 役立たず! どいつもこいつも使い物にならない!」

 イタリア。
 崩れた建物ばかりの街に、月が上がろうとしていた。
 灯りが無い街には、それは神様のように美しかった。
 依子と紅玉は同時に足を止めた。
「どうした?」
 少女二人は、月光の中、影の中、浮かぶように立って。
 つ、と涙を同時に流した。
「依子!? 紅玉!?」
 天の川のように、涙が流れていく。
「ジャックさん……」
 二人とも表情を作れず、凍った顔で涙を流しながら。
 依子は言った。
「エミリーが、今、死にました」
 それを聞いて、紅玉の硬直が解け、わっと泣き崩れた。
「何故だかは分かりません。ただ、名誉の戦死をしました。エミリーの声が、何故だかは分からないけど、エミリーの声が」
 依子の顔がくしゃりと歪んだ。
「お先に失礼、とエミリーの声が」
 ジャックは理解し、二人を抱き寄せた。
 月は神様のように美しかった。

 オランダ。
 ヒューリック商会は妙な活気を得ていた。
 クリスマスグッズを運ぶ代わりに、クリスマスを安全な場所で迎えたいという人間を運ぶ仕事で、去年の何十倍もの仕事量になったのだ。
 最後の祭り。
 大忙しの中にも、社員が皆明るいのは、そんな予感からだった。
「金はあの世に持って行けると思うか?」
 社員の一人が言った。
「日本では、6文持ってないとあの世に行けないらしいわよ」
 女性事務員の答えに、社員たちはどっと笑った。
「そいつあ稼ぎまくったらゴージャスにあの世に行けるって事かな」
「みんな、リムジンであの世に行こうよ。運転手は死神だ」
 会長のヴィンセントが更に笑いを起こした所で、電話のベルが鳴った。
 同じく笑っていた、ヴィンセントの義妹ロビンが取る。
「はい、こちらヒューリック商会。駄菓子から命まで取り扱っております」
 電話先の押し殺したような声に首を傾げながら、ロビンはヴィンセントに受話器を渡す。
「なんだか、悪い話じゃないから兄様を出せと女性が」
「女の子?」
「たぶん若いですけど、変な気は起こさないでくださいね」
「ははっロビンは心配性だなあ。もしもーし。お電話代わりました。ヒューリック商会会長ヴィンセント・ファン・ヒューリックです」
 電話先の女は言った。
「ナチスの”お心当たりがある方”を紹介してえのでございますけど」
 ケネスの顔が強張った。
「どういう意味だ? ブリタニア女王」

 世界が憎らしい。
 愛される事を知らなければ、私は愛する事も知らなかった。
『ダルシア』
 私は、お父様にもお母様にも、臣下にも民にも、皆に愛されていた。
『世界はお前を祝福している』
 世界は私を愛していたはずだった。私に罪など無いはずだった。
『そうだダルシア。私はお前を愛している。お前は愛される為に生まれて来たんだ』
 ごめんなさい、ごめんなさい、存在意義を否定してごめんなさい。
『ダルシア、私達は確かに死んだけれど、お前が不幸になるところなんて見たくないんだ。だから』
「ごめんなさい」
 ……壊してやる。
 壊してやる! 壊してやる!
 だけど赦して! 世界を壊す私を赦して! また一緒に笑って!
「ダルシア様が逃げた!」
 そんな事は当然だ! 壊してやる! どうやったら死ぬのかは知っているから、みんな一緒に死んでしまえ!
 フェンリル! 目覚めよ我が舞によって!


 そして広がる、大咢。