84―名誉の戦死

 上座に二人。
 下座に一人。
 最も上座に居る男は、紫の狩衣を纏い、烏帽子を被っている。目元涼やか。年の頃、二十歳程度。
 隣に控えるは、萌葱色の和服の女。凛とした眼差し。年の頃、男より数歳上か。
 下座の少女は、小豆色の袴。長い黒髪を鼈甲の髪留めで留めている。
 上記より、日本武士団の統領、皇。皇の補佐の聡子。そして、ヘヴンズ・ドアーに勤める飯塚依子である。
 空気は張りつめている。
 皇を前にしているのだから当然である。
 依子は正座し、姿勢を正している。
「よくぞ参った」
 皇は、年に似合わぬ落ち着いた声を発した。聡子は、姿勢よく黙っている。
 一瞬の沈黙があった。
「飯塚幾之助からは、連絡はないか?」
 依子は首を振った。
「兄からは、何も連絡はありません」
 飯塚幾之助が消息を絶ってから、一ヵ月が経過した。
 正月もとうに終わり、門松も鏡餅も姿を消して久しい。
「ベルリンの壁が崩壊したな」
 皇は話の続きのように言った。
「はい」
「そこで、飯塚幾之助を見た者がある」
 事実、話の続きだった。
「兄は、何を……?」
 静かなやり取りだった。
「ベルリンの壁を崩壊させようとする、テロリストと交戦していたという」
 皇は、ゆるゆると首を振った。
「斯様な命は出しておらぬ。否。出国の許可も与えておらぬ。何より―」
 言葉は何処か悲しげであった。
「飯塚幾之助は、壁を守ろうとして戦っていたのではなかったのやもしれぬ」
 それから兄は逐電した。
「生きている、と俺は思っておる」
「私(わたくし)も、そう思います」
 依子はずっと考えていた事を言った。
「兄は、そういうところがある人でした。兄の心には、忠君愛国よりもっと深く、強者を食いちぎらんという思い、いえ、執念が宿っています。兄は狂人でございます。強き者を求め続け、お国を忘れる狂人でございます」
「依子、狂人以外、このヴァルハラにはおらぬ」
「承知しております。なれど、お国より大事なものがあるなど、私には分かりません」
「いや、分かっておるよ、お前には」
 皇は、ふ、と息を吐き出した。
「竜神殺しの飯塚幾之助、惜しい男であった」
「過分なお言葉、恐れ入ります」
「いや、真なのだよ。あれほどの剣豪はまたとおらぬ」
 そして、優しく微笑した。
「飯塚依子、飯塚幾之助には、屋敷の召し上げ、国外追放を与える」
「畏まりました」
 依子は、平伏した。
 そこに憂いは無かった。兄が逐電した時より、覚悟していた事だった。
 幾之助が国を追われるとなれば、依子も同様だ。住まいを無くし、国を失くす。
 その依子の気持ちを見透かしたように、皇は言った。
「そなたにはもう一つ与えるものがある」
「はい」
 依子は平伏した儘である。
 その心に寄り添うように、皇は命じる。
「飯塚依子、名誉の戦死を与える」
 はっと息が漏れた。
 平伏した儘、依子は与えられた言葉を咀嚼した。
 そして、それが理解できた時―。
 あまりの喜びに、彼女は涙した。
「皇直々に、名誉の戦死のご命令を頂けますとは……!」
 平伏した儘、涙を零す依子に、寄り添うように聡子が近づいた。
 依子は、兄が失った名誉の何倍もの名誉を頂いた喜びで、顔も上げず(上げよという命が出たのに気付かなかった)、ただ、ほろほろと涙を零した。
「依子や、顔をお上げ」
 耳元で聡子に囁かれて、ようやく飛び跳ねるように顔を上げる。
「こちらを、貴女に」
 聡子が手ずから渡してくれたのは、薙刀であった。
 よく磨かれた柄の先は、紫の袋に入っている。
「私(わたくし)が使っていたものです」
「さっ、聡子様、そのような大切な薙刀を私などに!」
 慌てると、聡子は、皇に似た笑みを浮かべた。
「この先、銃が通じぬ相手が現れるやもしれません。その時は、この薙刀で戦って」
 優しく。
「立派に死ぬのですよ」
 依子は、薙刀を握りしめて何度も頷いた。ほろほろ、とまだ涙を零しながら。
「飯塚依子、名誉の戦死を致します」
 皇はゆっくりと頷き、退室を命じた。
 依子が出ていくと、聡子は皇にそっと近寄った。
「これで、良かったのでしょうか」
 皇は、また頷いた。
「これが、良かったのだ」
 日本城に、雪が降り始めた。

 同時刻、アンドレアは、船室の扉を開けた。
 そこには、白いネグリジェ姿の少女がいた。
「ダルシア王女」
 ダルシアははい、と頷いたが、その顔はアンドレアの姿を探して右往左往していた。
 当たり前だ。
 その瞳は、白い布で目隠しをされ。
 褐色の手足は、白い布で拘束されているのだから。
「私は、まだ此処にいて良いのですか?」
 アンドレアは笑って答えた。
「当然だよ。内通者がまだ見つかってないんでね」
「誰が、私達に武器をばらまいているのかしら?」
 王女の無垢な問いに、事も無げに答える。
「それが分かったら、アンタもさっさと輿入れしてるさ。それより、目隠しはきつくはねえか? 手足は?」
「ええ、とても気持ちいいです」
「気持ちいいこたぁあるめえよ」
 王女は顔を綻ばせた。
「いいえ、私がこうしていれば、それが幸せの道」
 機嫌よく、ドアが閉められた。