87―別れ

「まあ! どうやって連れて来たのよ!」
 パブロの驚きの声に、アンドレアは笑って答える。
「愛国心ってヤツは揺るがねえのさ。なあ? エミリー?」
 エミリーは硬い表情の儘、船上でパブロと握手した。

 二日前。
 船を着けると、ロッソ・ファミリーの構成員達が一礼して四人を出迎えた。
 屈強なやくざ者達に似合わぬ丁重さだ。
「奥の船室でボスがお待ちです」
 その通り、アンドレアは待っていた。
 真っ赤なコートを椅子にもたれさせ、その下は一見してブランド物と分かる黒のスーツ。
 深紅のパンプスを足に引っかけ、実にくつろいだ様子だ。
 そして、四人を見ると、
「おう! よく来たな!」
 歓声を上げると同時にシャンパンを開封した。
 そのままラッパ飲みし、赤いルージュがついたままの瓶を見せる。
「飲むか? 味は悪くねえ」
 シチリアマフィア、ロッソ・ファミリー、女ボスアンドレア!
 走った緊張を解くように、アンドレアは葉巻を咥える。
「そう怖い顔しなさんな。俺が持ってきた話は、そう悪くない」
「何が目的だよ!」
 エミリーがドン! とガラスのテーブルに手を着く。
 それを無視するように、しかし、確実に着弾点を認めて、アンドレアは言葉を発した。
「エミリー・カーター。アメリカ南北戦争の英雄、アイアン・ファミリーの一人」
 葉巻に火が点けられる。
「南北戦争では南軍に従事。マナサスで6ポンド砲を掻い潜り、マシューズヒルからヘンリーハウスヒルまでの戦線を勝利に導く」
 ハバナの煙がくゆられる。
「その際、無能なアービン・マクドウェルを頭越しに、実質北軍を取り仕切っていた、ポール・スミスをマスケット銃で撃ち殺した。これは歴史の書には残っていない」
 ニッと口角を釣り上げる。
「違うか? エミリー・カーター」
 眉を顰めきって、エミリーは答える。
「違わねえよ。だが、それがどうしたってんだ」
「ジャック・ザ・リッパーとの揉め事でアメリカ大統領マイケルを銃撃し、現在はアメリカを逃走中。なあ? そこで疑問点が出る」
 はっとした四人を満足げに見やる。
「なんでテメエはアメリカを逃亡したにも関わらず、ユグドラシルに囚われてねえんだ? あそこは国を裏切った奴を閉じ込める牢獄だぞ? 答えは一つだ。テメエは、まだアメリカ人なのさ」
「そッそれがどうしたっつーんだよ!」
 エミリーの怒声にも、アンドレアの余裕は揺るがない。
「つまりだ、アメリカ人たるお前には、母国救済の義務があるって事さ」
 片手でボールのように、アンドレアは傍らの地球儀を取った。
「今、南米でインディオ達が白人を追い出せと決起してる」
 くるり、と南米を指さす。
「インディオに武器をばらまいてる奴が居やがるのさ。今まで畜生並みの扱いをされて、揚句、今度は白人どもが南米に大量移住しようとして来てる。そりゃあ、武器があるなら武器を取るわな」
 そこから、北米に指を動かす。
「さーって、此処からは秘密だぞぉ」
 トン、と指をアメリカのある一点に置く。
「そのインディオの決起が、北米にも派生しつつある。そこに目を付けた奴がいる。いや、奴らと言うべきかな」
 その一点は、アメリカ、ワシントン。
「北欧諸国だ。フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドこいつらバイキングの末裔達が、混乱状態のアメリカをパクろうと動き出した」
 ワシントンの傍には、マシューズヒル、ヘンリーハウスヒル。
「そこでだ、アメリカ合衆国は、ワシントンにある像を作っている」
 生憎と写真はねえが、と前置き。
「アイアン・ファミリーの像だ。アメリカの偉大な戦士として、テメエは期待されてる」
 エミリーは絶句した。
 しかしすぐに、「知った事かよ!」と怒鳴ろうとした。
「ホットドッグ屋のジェームズおじさん」
 エミリーは息を呑んだ。
「路地裏でいつも遊んでいた、味噌っ歯ジョニー、そばかすロン、のっぽのハリー」
「それが……それが……」
「夕食を作りすぎたといつも分けてくれたターナーおばさん、いつも喧嘩してるクリーニング屋のミカエル夫婦、売れないバイオリン弾きのホームズ」
 上げられていく人々が、エミリーの脳内を支配する。
 どれもこれも、アメリカに置いてきた人達だ。
 ジャック・ザ・リッパーの一件から2年、一度も逢っていない人達だ。
「みんな待ってるんだ。お前の帰りを」
「あたしは……ッ」
「エミリー!」
 紅玉の声が飛んだ。
 エミリーははっとしたように振り返った。
「帰ってやるよろし」
「紅玉! でもよ……!」
「帰りを待つ人が居る内は、帰った方が良いね」
 それは、家族をユグドラシルに囚われた紅玉にとって、狂おしいほどに重量がある。
「エミリー、私達は大丈夫です」
 依子も傍らで微笑んだ。
「何が……大丈夫なんだよ……」
「だーいじょうぶったら大丈夫です。ですから」
 三人は笑った。
「征って下さい」
「畜生……畜生……」
 エミリーの目からぼろぼろ涙が溢れた。
「決まりだな。おい、こいつらの下船の支度をしろ」
 アンドレアの部下達に促されて、船室を出るとき、ジャックは囁いた。
「エミリー、依子達の過去を話してくれてありがとう」
 そして、二人の声が重なった。
「また逢おう。今度はまた……お茶でも」
 
 船を主に操縦していたエミリーがいなくなり、航海に不慣れな三人は、これから大いに時間をロスする事になる。
 故に、その間に起きた事には、彼女らは関わりを持たない。
 彼女らに大きく関わる者が、命を落としたとしても―。