88―カパコチャ

 パブロは小型船に乗り込むエミリーに、再度確認した。
「本当に一人で大丈夫?」
 エミリーは無理をするような笑みを浮かべた。
「当ったり前だぜ。アメリカに着いたら、カナダから来てる、ケネス・コレットとパーシー・コレットと合流すりゃ良いんだろ。チューイングガム噛むくらい簡単さ。それとも、あたしは歯抜けに見えるかい?」
 カナダ国立病院の院長副院長の名前を上げ、安心させるように肩を叩く。
「しっかし、銅像ができるなんざ。あたし達も有名になったもんじゃねえか。なあ? アメリカ大統領は気に食わなかったが、なかなか良い働きをしやがる。まあ、不細工に作られてたらその場でぶっ壊すけどな。たとえば、あたしの鼻がとんでもない鷲鼻になってるとか、いやいや、目玉が三つあるとか」
 不自然に口数多く船に乗り込むエミリーの背が、消えようとした瞬間、アンドレアが駆け寄った。
「何だよ?」
 笑いながら、掴まれた腕を解こうとする。
 アンドレアは言った。
「悪かったな」
 その表情がいつになく、いや、初めて見る泣きそうな顔であるので、エミリーはますます陽気になった。お前に気は許さない、という明確な意思表示だ。
「ばっか、やめろよ、アンタらしくもない。気持ち悪いぜ。愁嘆場なんざ似合わねえよ。なあに、あたしは戦争がしたいんだ。できりゃ何処でも良い。じゃあ―」
 またな、そう言ってエミリーは北米に向かう船に乗った。
 船は見る見るうちに遠ざかった。
 同時に、陽が落ちて行った。
 海風が強く吹いた瞬間、パブロは口を開いた。
「アンドレア、インディオに武器を撒いてる、バイヤーが掴めたわ」
 アンドレアは、我に返ったようにパブロを見た。
 そして、すぐ口角を釣り上げた。
「へえ、そうかい。何処のどいつだ?」
「いいえ、あたしは口を割らせる事はやめたの」
「はあ!? 何考えてんだよ!? お前、オカマの癖にとんだ腑抜けになったもんだな!」
「早とちりしないで」
 パブロの目が光を帯びた。
「あたしはそいつを子飼いにする事にしたのよ」
「元の飼い主が分かんなきゃ意味ねえだろ」
「意味がある事をして貰うわ」
「どういう事だ?」
「奴らは武器の受け渡しに合言葉を使ってたの。合言葉が合わなければ、躊躇せず撃ち殺せってね」
「よくある話だな」
「その、合言葉を変更させる事にしたのよ。捕まえたのはバイヤーの”武器を渡す方”。”渡す方”だけが、合言葉が変更された、と思っている状態に仕向けるの。そうすれば、奴らは勝手に殺し合ってくれるわ」
「へえ、それはそれは。上手い手だな」
「前の合言葉は、『チチャ』だったらしいわ。今度変更させる合言葉は『カパコチャ』」
「取引の時はこんなやり取りがある訳だ。『合言葉は?』『チチャだ! 早く寄越せ!』『テメエ偽モンだな! バン! バン! バン!』」
「ええ、そんな所ね」
 アンドレアは愉快そうに言った。
「お見事だ。なあ、その捕まえた奴、俺にも見せてくれよ」
「ダメよ。うちの部隊の最高機密よ。いくら協力者のアンタだって……」
「そこはさあ、俺達の仲だろ」
 パブロは肩を竦める。
「仕方ないわね。ちょっと覗くだけよ。車に乗って」
「グラッツェ! 愛してるぜ!」
「はいはい、あたしもよ。アンタの愛してるほど軽いモンはないわね」

 1時間後、石牢から出てきたアンドレアは、軽く伸びをした。
「黒人か。何処の奴か掴めねえな。それにしてもあいつ、使いモンになんのか? 確かにこっちについたのかよ?」
「トランク3つ分の札束を積んだんだもの。大丈夫よ」
 パブロは、アンドレアの後ろから、左隣に移動した。
「口も効かせてもらえねえとは思わなかったぜ。俺がちょっと脅しをかけりゃ、飼い主までぺらぺら喋ったんじゃねえか?」
「あのね、何回言わせるの。あれはうちの最高機密。それより、良い肉が手に入ったんだけど、夕食食べて行かない?」
「そいつは有難ぇが、今日はファミリーの慰労会でね。早めに帰らして貰うわ。また誘ってくれよ?」
「あら、残念。またの機会にね」
「ああ、またな。チャオ」
 曇ってきた。今夜は星の無い夜になりそうだ。

 その晩、波止場で彼らは小声でやり取りをした。
「早く出せ、イギリス野郎! のたのたするんじゃねえ!」
 闇に紛れるように、黒づくめに目出し帽の彼らは、早口だ。
 黒く塗られた船。
 小型船。
 暗くてよく見えないが、恐らく魚雷艇と思われる。
 そう、これが取引の現場だ。
 全員が気をきりきりと張り詰め、今にもはち切れんばかりである。
 インディオに武器を引き渡す、そのバイヤー達のやり取りでだ。
 きりきり。
「おっと、その前にだ、合言葉は?」
 きりきり。
 ”受け取り側”は言った。教えられた言葉を、その通りに。
「『カパコチャ』! 早くしろ!」
 バン。
 起きた銃声に、”受け取り側”は信じられないという顔をした。
「テメエ何の真似だ!」
 硝煙を立ち上らせた銃を握った”渡す方”は言った。
「俺達をうすのろ扱いするなよ。なんだその合言葉は。テメエら、何処のモンだ?」
「ふっざけんなああ! おい! テメエら、銃を抜け! 商いのやり方を教えてやれ!」
 ”受け取り側”の応戦は速かった。
 即座に、合わせて20人ほどで撃ち合いになった。
 銃声と同時に、血が飛ぶ、肉が飛ぶ!
「なめんじゃねええ!」
 ついに”受け取り側”がショットガンを撃ち出した(周りに当たるという考えが、頭に血が上って完全に消えてしまった)瞬間、男の張りのある声が響いた。
「そこまでよ!」
 現れた男に、取引現場は騒然とした。
「パブロ!」
 パブロはそのまま、飛び跳ね、既に5人に減っていた目出し帽の男に頭上から、蹴りを与えた。
 頭蓋が折れる嫌な音をさせて、倒れた男を踏み台に、今度は、もう一人の男の背後に跳び、素早く抱きかかえて、男の頭部を地面に叩きつける。コンクリートにジャーマンスープレックスをかけられては、頭はこれも砕ける他無い。
「テメエ!」
 ”渡す方””受け取り側”両方一斉に、弾丸を放つ。
 パブロは落ち着いた動きで、また上に跳ね、そして、目にも止まらぬ速さで、残りの3人をナイフで刺した。
 的確な刺し方だった。
 3人はすぐに倒れた。
 恐らく、このまま死ぬだろう。
「このタイミングで来てくれて良かったわ」
 自分を跳ねようと、一直線に突っ込んでくるランボルギーニに向かって、パブロは跳ね上がった。
 ランボルギーニの窓ガラスを突き破り、助手席に飛び込んで、パブロは言った。
「こんなのがまたの機会で残念だわ」
 首筋にナイフを突きつけられて、アンドレアは呻いた。
「何故知っていた?」
「『カパコチャ』の意味は人身御供よ」
 ナイフがアンドレアの首の皮を、薄く切る。
「アンタがバイヤーの元締めかは、半信半疑だったのよ、アンドレア。だって、あたしの耳は、そこまでは正確に拾えなかった。だから、偽情報を流したのよ。捕まえた男には見覚えがあったから、アンタも信じたでしょ」
 聴覚を自由自在に鋭敏にする能力か!
 察したアンドレアは車を止めた。
 何より、ファミリーの部下の遺体を、車で轢き潰す気になれなかったのだ。
「アンドレア、アンタはイギリスから、インディオに武器を回す仲介人だったのね」
「ああそうだよ!」
 アンドレアは怒声と同時に水の球をパブロにぶつけ、ナイフから逃れた。
 両名、ランボルギーニから飛び出した。
 決戦が始まろうとしていた。