93―幾之助とウラジーミル、最終決戦

 
 狼が疾る。奴は逃がさない。
 竜神殺しが疾る。決して逃げられない。
「飯塚幾之助……」
 現れたウラジーミルに、幾之助はにっこと笑った。
「ウラジーミル、決着を着けましょう」
 それだけで、理解は済んだ。
 両者、向かい合い。
「うおおおおおおおお!」
「урааааааааа!」
 襲いかかった。
 スピード、威力、幾之助が上だ。
 ウラジーミルの特殊警棒は斬り落とされ、大胸筋に白刃が食い込む。
「ハアッ」
 その筋肉が見る見るうちに修復されていく。
 傷口が塞がり、血が止まっていく。
 赤軍の軍服が朱に染まる。
 刀がウラジーミルの体内から抜けなくなる前に、幾之助は刀を引き抜いた。
 その隙に、ウラジーミルの拳が、幾之助の腹部を殴りぬいた。
 幾之助はとっさに後ろに跳んだ。
 おかげで、内臓が潰れるのを避け、大きく5メートルほど吹き飛んだだけで済んだ。
 受け身を取った体は、即座に跳ね起き、更なる剣戟を放った。
 ウラジーミルの右腕が斬りおとされた。
「урааа!」
 その断面から、新たに右腕が即座に生えてきた。
 超回復力。超破壊力。
 これだ……!
 これだこれだこれだこれだ!
 幾之助は念願の執着を叶える、希望に燃えていた。
 拳と刀で幾度も打ち合って、壊れていく体も、痛みも気にならなかった。
 これが浅井では叶わなかったものだ……!
 幾之助は、更に刀で斬りかかった。

「のう、竜神殺しや」
 振り返ると、主君の奥方が微笑んでいた。
 浅井と朝倉による、織田信長包囲網が完成しつつある宵であった。
 竜神殺しの飯塚幾之助。浅井で名の知れた剣豪である。
 10年ほど前に、ぶらりと浅井にやって来て、そのまま居ついて刀を振るった。
 その岩をも両断する剣術の見事さに、ついたあだ名が竜神殺しである。
「お市様」
 お市は、今、浅井が騙し討ちにしようとしている信長の妹である。
 戦国の世において、そうでもしなければ止まらぬ男が、信長という男だ。
 今現在、信長はこの浅井の地へ進軍中である。
 まだ、浅井が朝倉に付いた事を知らぬ。
 のこのこ進軍してきたところを、浅井と朝倉で挟撃する。
 それが、今完成しつつある手筈である。
 お市は、兄と夫が戦わんとする現在、そして、兄が滅ぼされんとする現在、こちらを見て微笑んでいる。
 白い肌に、切れ長の瞳。戦国一の美女と謳われるお市が微笑んでいる。
 自然、胸が高鳴った。
「如何なさいました」
「いえ、長政様がの、鉄砲を置いていかれたのじゃ」
「鉄砲を……?」
 お市のいる部屋を覗き込んでみれば、確かにあるのは種子島である。
「わらわが好きだろうと仰ってのう」
 その言葉に、ぞっとするような寒さを感じた。
 信長の鉄砲好きは有名である。
 それを、妻の部屋に置いていく夫。
 まさに、妻の兄と戦わんとするときに。
「しかし、鉄砲などあっても、お市様には使えぬでしょう」
 妙に火薬の臭いに満ちた部屋を、幾之助は覗くのをやめた。
「そちは、鉄砲は嫌いかえ?」
「嫌いですな。刀で斬る機会が減ります故」
「そちらしい」
 お市は「ほ、ほ、ほ」と笑った。
「のう、幾之助。斬って斬って斬り続けて、何が残るのかのう」
「何も……」
 幾之助は正直に答えた。
 お市に言葉を繕う事は、何より不誠実に感じられたのだ。
「何も残りません。その刹那、斬っている刹那、楽しいだけです」
「楽しい?」
 お市の目が陰った。
「楽しいのです。強い雄の血を啜る事が、強い雄を蹂躙する事が。私にとって、斬るとはそういう事です。それ以外の何の意味もありません」
「そうか。女子(おなご)には解りづらいものよ……。もうよい、お行き」
 頭を下げて、幾之助は立ち去ろうと背を向けた。
 数歩歩いたその時だった。
 破裂音がした。
 同時に、胸に痛みが走った。
 振り返ろうとしたが、上手くいかず、振り返りざまに倒れる形になった。
「お市様……」
 目の前のお市は、煙が立ち上る鉄砲を幾之助に向けていた。
 その顔は、いつもの花の顔(かんばせ)は何処かに消え、夜叉般若の顔であった。
「そなたのようなものがおるから! 戦があるのじゃ! そなたのような人でなしがおるから!」
 幾之助は撃たれた体から、急速に力が抜けていくのを認識した。
 べっとりと血に塗れた手を必死に伸ばし、叫んだ。
「お市様ァッ」
 そして幾之助はヴァルハラに来た。二つの恋をその胸に抱いて。

 ついに幾之助は、ウラジーミルを突き倒した。
 その胸に跨り、喉元に刀を向ける。
「お覚悟を」
 灰色の瞳は、僅かに微笑んだように見えた。
 勝負がつく。
 私の本願が叶う。
 そう感じた瞬間であった。
 突如、猛烈な勢いで白馬が走ってきた。
 傷つけあった二人は、避ける間もなく、白馬の体当たりを受けた。
 その瞬間、白馬は爆発した。
 馬型爆弾……!
 その使い手の男が頭に浮かんだのは一瞬だった。
 何故なら、目の前で、ウラジーミルは、胸から上を残して爆発四散したからである。
 手足も胴も吹き飛び、ウラジーミルは、地面に落ちた。
「ウラジーミル!」
 その血は止まる気配が全く無かった。
 手足も胴も、生える気配が全く無かった。
 修復がされない……!
「ウラジーミル! ウラジーミル!」
 幾之助の顔面は蒼白となり、必死にウラジーミルの名を呼んだ。
 まだ、まだ決着が着いていない。
 貴方が私を殺すのか、私が貴方を殺すのか、その二択しか二人には無いはずだったのに……!
 血だまりの中、ウラジーミルの瞳は開かなかった。
 そして、ウラジーミルに気を取られて必死の幾之助の背中に、刃が突き立てられた。
 馬型爆弾を放ったラースローは言った。
 幾之助の背中にナイフを突き立てながら。
「アナの敵(かたき)だ。飯塚幾之助」
 ナイフがぐるりと回転した。
 幾之助は絶命した。
 ラースローは、アナの躯の元へ歩き出した。
 ウラジーミルの目がゆっくりと開いた。
 その灰色の瞳には、ニコライの泣き顔が写った。