ヴァルハラでスイスのユグドラシルを元とした水質汚染が広がり、ヨーロッパ各国は欧州を捨て始めた。
同じ頃、現世では第三次世界大戦が勃発。世界の終りは着々と近づきつつあった。
日本武士団から名誉の戦死を命じられた依子は、ジャック、紅玉、エミリーと共にヘヴンズ・ドアーから離れ、ユグドラシルに囚われた紅玉の兄弟を救いに海路を進む。
しかし、エミリーはシチリアマフィアアンドレアによって、北米大陸を狙う北欧軍と戦う軍勢に加わる事となる。
同じ頃、ドイツ騎士団は日本領を奪わんと強襲をかけるが、日本武士団を壊滅させた後、同じくソ連を壊滅させたニコライによって倒される。
ニコライの望みは、飯塚幾之助との戦いで胸より下を失ったウラジーミル大尉に笑って貰う事。
また、アンドレアによって全滅の憂き目を見た、スペイン領インカ帝国の王女ダルシアは、イギリス女王ブリタニアの手に落ちる。
彼女は何か危険すぎる能力を持っているらしいが―。




98―エミリー、大陸入り


 日本城が落城したのと同刻。
 夜明けの港に、エミリーは降り立った。
 目の前にいるのは、黒衣の双子。
 スーツをきっちり着こなした、その金糸と碧眼は輝くばかりだ。
 まるきり同じ容姿の男達に、エミリーは軽く手を上げて挨拶した。
「Hi,テメエらが救国のヒロインのお出迎えとは、世も末だな」
「世界はいつだって世紀末なんだよ。ノストラダムスは知ってる?」
 双子の片割れ、アダムが笑い掛ける。
 この二人の生業、世界を地下通路で繋げるアンダーグラウンドの支配人であり、カラーギャングのボスというのを知っているエミリーは、軽く顎をしゃくるだけに留めた。
「車はそいつかい?」
 視線の先にあるのは軍用トラックだ。米軍から下りたものなのだろう、いかにも”良さそう”だった。
「ええ。今回は武器も弾薬も運ばねばなりませんので」
 双子のもう一人、ダニエルが返答する。カリフォルニア訛りのあるアダムと違い、ダニエルはアッパークラスの英語を使っている。
「オーライ、早く乗せてくれ。尻が波には飽きたってさ」
「良いけど、会いたい人とかはいないの?」
 アダムの言葉に、エミリーは肩を竦める。
「分かっちゃいねえな。逢っちゃいけねえもんなんだよ。あたしらみたいなのは、こういう時にはな」
「OK.進もう」
「私たちは進む事しかできない生き物ですからね」
 郷愁するような視線を受けて、エミリーも笑う。
「もしも昔に返れたら、絶対にやらなかった事にしたしくじりがいっぱいある。だから、昔に返っちゃいけねえんだ。しくじりが無ければ、世界は回らないからな」
「いやに老成したね」
「老けた、とも申しましょうか」
 エミリーは後部座席に座った。
「大人にならなきゃいけない時期が来たんだ、って言ったら笑うかい? ああ、笑うだろうさ。ガキが何言ってやがるってな。だが、ガキなりに、いつかは大人にならなきゃいけない事を知ってるんだ。何が何でも、誰のせいでも」
 ダニエルは後部座席に煙草を差し出した。
「アメリカン・スピリットですが、吸いますか?」
 エミリーは戻した。
「良いね。だが、そういう記号を必要としてる訳じゃねえ」
「肺がんが怖い?」
「いいや、そういう記号を示されるとな、縋っちまいそうになるのさ。あたしらが縋るものは、そうじゃねえだろ? なんだと思う?」
「答えちゃ野暮だろ」
「そうだな……そういう所はアンタ達は大人だよ。銃さ。世界で一番素晴らしい、神様の発明品だ。神様はな、きっと飲んだくれのろくでなしなんだろうよ」
 ダニエルが助手席で自前の煙草を取り出して言った。
「私達が、銃以外に縋れる時が来たら、それはきっと幸せな狂気なんでしょうね」
「世界で一番ハッピーだろうさ」
 
 ニコライは、ガラスケースから抱き上げたウラジーミルを、そっとベッドに横たえた。
「夜中になってしまってすみません、大尉(カピターン)。お疲れになったと思います。日本人ってベッドで寝ている奴がなかなかいないんですね」
 場所は壊滅した日本武士団領内で、唯一洋風の作りになっている家だ。
 手足も胸から下も失くしたウラジーミルは、目を閉じた儘だ。
「これからどうしようかなあ、とりあえず、日本に来てみたけれど、此処が住み心地が良いとは限らないし。もっと南に行ってみるのも良いかもしれませんね。でも、俺達は日焼けしやすいから、南はきついかなあ」
 ウラジーミルの頬をそっと撫でる。
 これより愛おしいものはない様子で撫でる。
「大尉、定住の地が見つかったら、畑を作ろうかと思うんです。俺、農作業は生きてた頃にちょっと手伝ってただけだけど、すごく頑張って、いっぱい野菜や果物を作ります。毎日大尉にお腹いっぱい食べさせてあげますね。大尉は心苦しく思うかもしれないけど、俺は大尉が幸せなら、それで幸せなんです」
 ふいに、ニコライの瞳から涙がぽたり、ぽたりと落ちた。
「だから笑って……笑ってよ……大尉……」
 その白い頬に涙が落ちたのに気づき、ニコライは慌てて拭った。
「すみません、そんな急に言われても困りますよね。大尉は全然笑わない人だったの忘れてました。でも、いつか笑ってくださいね。此処はきっと暖かいはずです。ソビエトより……ずっと暖かいはずです」
 その胸に接吻を落とし、ニコライはランプを消した。
「おやすみなさい、大尉。でも、その前に聞いてください、俺、大尉にずっと憧れていました」
 ふっと息を吐く。
「駄目だなあ。そんな今更な事を言われても、笑ってくれませんよね。ドミトリー軍曹に聞いておけば良かったなあ、大尉が笑った冗談とか」
 跪いていた、床から、ニコライは立ち上がった。
「じゃあ、今度こそおやすみなさい、大尉。明日も良い日でありますように」

 地下道に入る時、エミリーは言った。
「なあ、残っちゃいけないものってなんだと思う?」
 軽く振り返った二人に、慌てて手を振る。

「いいや、独り言だ。気にしねえでくれ。……独り言さ」