1―構うことはない、ブチかませ―

 日本人だ、と思った。だから、落ち着いた。
「お客様、お客様」
 黒髪黒目を鼈甲の髪留めで一つに留めて、後ろに垂らした十六、七の少女が言った。小豆色の和服に白いフリルのエプロンを付けているのと、その口調から、嗚呼、彼女は店員なんだ、と潤は認識にした。
 後ろに留めるまでの髪がぱっさりと切られている少女が、ハの字に眉を寄せて再度「お客様」と言った。
 ようやく、自分が客なことが分かった。
 店の中は、温もりのある木やフリルがいっぱいのカントリーの小物屋だった。ところどころに、鮮やかな原色に塗られたキャンディや輪っかの玩具が置いてあり、その無遠慮な色彩から此処はアメリカンカントリーの店なんだ、と納得できた。
「潤、何ボーっとしてんのさ」
 二人の女が、親しげに頭をポンと叩いてくる。
 ようやく、潤は彼女らと来店したんだ、と認識した。
 しかし、おかしかった。彼女らは中学校の頃の同級生だが、決して好意的な関係では無かったのだ。物を隠されたり、臭い、と言われたり、陰口を叩かれたり、有体に言えばいじめてきた連中であった。
 そう思い出す一方で二十にもなりながら彼女らを嫌悪する自分が酷く心が狭く思え、潤は悲しみを覚えた。
「お客様、何をお探しでしょうか?」
 アメリカンカントリーの中では異質に見えるはずの彼女の和服は違和感なく眩しい。
「あの、妹へのプレゼントを」
 頭を必死で探って、出てきたのはそれであった。妹は一か月後に誕生日を迎える。今年大学生になって故郷を発った彼女に、何か―。
「えー、自分のモン何か選びべよ」
 それは冗談では無い命令、潤はびくつく。
「でも」
 でもの先が思いつかない。何故自分のものを選ばないのかという言い訳が思いつかない。
 その瞬間、ぐっと息が詰まる。潤は言い訳を探す。何か、何か。
「いらねえんだろ」
 その言葉で、は、と息ができるようになった。
 言ったのは燃えるような赤毛の少女だ。巻き毛の赤毛を無造作に縛った、白人の緑の目をした少女だ。
 ジーンズ地のホットパンツと黄色いTシャツの下の肌は、成熟一歩手前の熟れた果実。膨らんだ乳房が羨ましい。
「エミリー、またそのような言い方を・・・」
 彼女もエプロンをしているあたり、店員なのだろうか。とても店員の言葉づかいとは思えないが。
 日本人らしい少女がわたわたと抗議する。当然のことであるが、心が痛む。
「ジャパニーズってのは面倒くさいね。依子、アンタだって分かってんだろ? この姉ちゃんは妹の誕生日プレゼント以外何も欲してねえの」
 潤の傍らの二人は小声で聞こえるように「キモッ」と言った。その全く何もできていない様に、思わず、クスリとしてしまった。
「何笑って」
 怒鳴りかけた二人の言葉を切るように、依子と呼ばれた日本人が「プレゼントはどんなものが宜しいでしょうか?」と割って入った。その日本人特有のアルカイックスマイルに、なすすべもなく二人は引いていく。
「水着……水着がいいと思います」
「水着……ですか? 失礼ながら、今は九月ですが……」
 依子の不審げな顔に、少し誇らしげに笑う。
「妹は……オーストラリアに居るんです」
「嗚呼、なるほど」
 日本と反対の南半球ならこれから夏だ。
「それならば、在庫をお出しいたします。紅玉(ホンユイ)、水着の在庫をお願いします」
 奥から、赤いチャイナ服にエプロンのの少女が出てくる、エミリーの年齢は白人故いまいち分からないが、彼女も依子と同年代のようだ。
「我(わたし)今夕飯の支度中あるよ、エミリーにやらせるね」
「あ、いえ、エミリーは今ちょっと……」
「また余計な事言ったか。だからって此処は代われんあるよ、店長にしろ、エミリーにしろ、美圀人の飯なんざ食えたもんじゃねえある」
「あ? 何つったよ? 貧乳チャイニーズ」
「食えたもんじゃねえある」
「二回言わないでくださいっ」
 レザーカットの黒髪に付いた、赤い薔薇と真珠の髪飾りを直しながら、紅玉はこちらをひょいと見てよこした。
「日本人あるか」
 その愛想のかけらもない様子に、少し緊張していると、依子がまたアルカイックスマイルで。
「申し訳ありません、彼女らはアメリカ人と中国人でして・・・ただちに在庫を見て参ります」
 どうやら自分で行くほうが早いと判断したようである。くるっと踵を返した瞬間、豊満な体にどんとぶつかった。
「持ってきたわよ、ごめんなさいね、シーズンが終わったから、そんなに種類はないの」
 輝く金髪をアップにした、トルコブルーの瞳の女性、例によって白人の為、年齢は分からないが、成熟した女性であることは分かる。
「挨拶が遅れたわね、私はサマンサ。此処の店長よ」
「あの……此処は……」
「此処は雑貨屋『ヘヴンズ・ドアー』」
「ヘヴンズ・ドアー・・・・嗚呼! 嗚呼! やっぱり!」
 潤の瞳から歓喜の涙が溢れた。
「やっと私は、死ねたんですね!」
 死、それこそ潤に安寧を齎してくれるもの。別に失恋をした訳でもない、病を患っている訳でもない、ただ、ひたすらに、あちらの世は潤にとって苦痛だった。
 毎日、どこへ出かけるわけでもなく、アルコールを飲み続ける母親との二人きりの時間の重苦しい空気と、父が帰ってきてからの諍いが苦痛だった。
 言葉もない時間と、正論ぶった怒鳴り声を聞く時間が苦痛だった。
 そして、あの二人への憎悪がふつふつと湧くように、彼女らは学生時代の潤に執拗ないじめをした。
 こいつらは想像したことがあるだろうか、バケツで便所の水をかけられて帰宅しても、誰も学校に抗議に行かない家庭なんて! 正常であれば学校が唯一の逃げ場になるはずだったのに、こいつらはそれを数の罵声で凌辱した! 何をしても良い存在だと、カラースプレーのかけられた机で存在を肯定した!
 しかし、サマンサは首を振った。
「いいえ、あなたは生きているわ」
「何故! あんなに睡眠薬を飲んだのに!」
「あなたは母親によって発見される。今は病院のベッドの上よ」
 失望。
 これほどの失望があるだろうか。
 歓喜の涙は、絶望へと変わる。
 そこに奴の言葉が降ってくる。
「自殺だって、こいつらしいよねー」
「マジキモい奴だったから、死んでも皆喜ぶって」
「そうだよ、死ねよ」
 成長しなくてもいい温い生活を送ってきた奴らは嘲る。彼女らにとって、潤は未だに嘲笑の対象でしかなく、学生時代そのままに嘲り笑う。息が、できない。
 学生時代と同じだ。こいつらの声を聴くと、息ができない。
 ぐ、ぐ、と喉が詰まる。
 家で「お前あちこちの男に電話かけてるんだって」という、嘘八百の嘲り声を聞いたときもそうだった。声がつまり、息が詰まって過呼吸を起こした。もう殺されると思って救急車を呼んで貰った。その時
「救急車とか何で呼ぶの」と吐き捨てたのは―。
「店長、もういいだろうよ」
 エミリーが、銃を向ける。
「そうね。でも、これは依子がやって、一人で十分よ」
「あいや、我も出番なしか」
 目の前で、依子はエプロンを解いた。
「潤さん、これをあなたに」
 泣き続ける潤に、小さなステンドグラスが渡された。
「水着は妹さんにお渡しします」
「あ……うぐ……っ」
「まだあぐぐ言ってるんだ。超ウケる」
 再び、嘲笑の声が響く。
 ガン、全てを叩き割る音を立て、壁が叩かれる。エミリーだ。
「うるせえぞ」
 びくり、と二人が竦む。
「エミリー、壁殴るないね。壊れたらどうする」
 紅玉が本気なのかどうかわからない窘め方をする。
 依子は穏やかに胸をさすってくれた。
「落ち着いて、大きく息をしてください」
 大きく息をする、誰もそんな事を言ってこなかった。
「は……はふ、でも……お金なんて……」
 ようやく、息が吐ける。
「もう、支払われました。これはそのお釣りです」
 教会を象ったステンドグラスを握りしめ、潤は泣く。
「でも……これも消えちゃう……」
 依子は木製のカウンターの裏からにっこり微笑んだ。
「いいえ、あちらではありませんが、これは確かに」
「確かに? 天国のお金が……?」
 依子の顔から笑みが消えた。
「此処は天国ではありません」
 依子の手にあるのは『ブローニングM1918A2』、巨大な銃には、アニメのキャラマスコットがぶら下げられている。
「此処はヴァルハラ、天上の戦場です」
「ひっ!? お前ら……『戦士』なのかよ!?」
 絶対優位だと思っていた立場が逆転した! 通りすがりのはずの人間が牙を持っていた!
 分速600発の鉛玉が、此処に連れてきた二人を粉々に粉砕する。
 飛び散った肉片には、なぜか恐怖心は湧かなかった。
 むしろ、愉悦した。
「あの二人は、あなたを道連れにしようとしたようですが、あなたが自分の物を選ばなかったおかげでやり損なったのですよ」
「何故・・・私を」
「交通事故で運ばれて、たまたま病室が隣だった。それだけさ。それだけでもああいう糞袋は道連れなんぞ欲しがる。堪らなくなったのさ、自分より圧倒的下だと思っていた、『河畠潤』が生きるのがね」
 病室に運ばれるベッドの上で見えた、「河畠潤」の名札が許せなかった。生きる価値がある自分たちが死のうとし、生きる価値のないあいつが生きる! その憎悪は、潤を連れ去ろうという意思に変わる。
 エミリーが使いそこなった二丁拳銃を弄りながら吐き捨てる。
「まあ、うちもお客さん来たからお金貯まって一石二鳥ね。感謝して葬ってやるある」
 紅玉がにゃっと笑った。
「そういう事なの、だから、あなたは帰りなさい。大丈夫、代金はきっちり受け取ったわ」
「光の中に潤の意識が消えていく」
「代金……って……何……?」
 泣きながら問うと、サマンサは目元の泣きぼくろを上げて笑った。
「あなたの、思い。妹さんへ思い、ね」
 潤が目覚めたとき、手には、何も、無かった。

 二か月後。
「あいや、やっぱり新聞でもちきりあるよ。一家皆殺し事件」
「お前日本語読めんの?」
「語学は商売にとても大事よ。お前も少しは勉強するある」
「私も耳が痛いです……」
「で? 何て?」
「テンチョも読めないあるか。えーと、犯人の河畠潤容疑者は、両親と妹を殺害した事に対して『後悔はしていません』と語っている・・・。う、テンチョ、押すなある」
 紅玉を胸で押しながら、クスリとサマンサは笑った。
「代金に渡しちゃったからねえ……『自分を見捨てた妹さんへの許そうと云う思い』」
「こうなると分かってて受け取っちまうんだから、店長も人が悪いねえ」
「エミリー、それは……」
「ジョークだよ。ジャパニーズってのは洒落が通じねえなあ」
「そう……」
 サマンサは眼を閉じる。
 代金として受け取れるのは、不要な思いだけ。
 ヴァルハラにやって来た彼女の妹には、きちんと水着を渡しておいた。