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ハードボイルドダークファンタジー多め。銃と刃がrock 'n' roll! 超重量級の物語。 毎月最初の金曜日更新

弱虫

 小林小五郎は臆病である。
 平穏無事を願うあまり、冷血漢であることすら認められない。
 勇敢には人並みに憧れるが、実物を目にすれば人並み以上にみじめになる。
 しかし、この物語で彼はヒーローとなる。
 クールでやさしい、ヒーローとなる。
 こばやし こごろう 分類 露天商

 

 

 泥酔醒める。ひび割れた鏡をのぞき込む。
 裸の男が立っている。三十路の体はTシャツの痕がくっきり出、青白い部分には骨が浮いている。
 左胸を直視。嘔吐感。小林はトイレに駆け込んだ。
 心臓の真上に刻まれた、666の文字。
 胃の中のものを全部出す。トイレの壁にくずおれる。
「なんで、あんなことしちゃったかなあ……」
 回答なし。仕方なく自力で回想する。
 一週間前の昼下がりを、記憶はぐるぐる回転する。

 

「納君……あの……」
「何?」
 ほとんど「なぁにー」に近い発音だ。しかし、目の前に座っているのは身長188センチの大男である。
 しかしの連続。
 大男と言い切るには、年齢が足りない。
 図体のデカい少年である。
 四月に出逢ったころは、折れそうに華奢な美少年だったのだが……。
 ひと月と少し京都に行き。帰ってきたら、たくましく華麗な美青年になっていた。
 結局どうでもうつくしい。筋肉をしっかりと纏った肉体だが、その顔立ちにむくつけた雰囲気はない。左目を医療用眼帯で隠し、その上からさらに眼鏡を隠す。それでも隠し切れない美貌の持ち主である。どこか異国的な華やかさ。
 小林(こばやし)はどちらを問おうか迷った。
「ええと、そのね……」
 当たり障りのない方を問うた。
「その姿勢、つらくない?」
 七竈納(ななかまどおさむ)はこてんと首を傾げた。
「つらくないよ」
「そっか……」
 納の姿勢は、正座の脚を八の字にして、お尻をぺたんと地面につける座り方だ。グラビアアイドルがよくしているポーズである。
 小林がやるとつらい。まず、そこまで脚が長くない。股関節も硬い。見目も苦しい。
 だが、納がその姿勢をしているのは地べただ。一目で高級品とわかるスーツが砂だらけだ。ああ、もったいない。しかし、その言葉は出せない。小林は車除けのコンクリートを椅子替わりにしている。申し訳なくなる。
「でね、前のが擦り切れちゃったからね。蛍が作ってくれたんだけどね。ちゃんと男らしい?」
 そう言って差し出されたブックカバーは、金太郎飴が散らばった模様だ。金太郎飴。判断が難しいチョイスである。そもそも、もう文庫本が挟んである。広げる。「どくとるマンボウ航海記」北杜夫。聞いたことがあるような、ないような。
「ねえ、男らしい?」
 小林は答えにつまり、納の後方を見る。屈強な男たちがベンチの下敷きにされている。生きては……いる。
「ねえー、ねえー」
 なんで彼はこんなに、男らしさにこだわるのだろう。男の方が優れていると信じているのならわかるが、彼が下僕(しもべ)として仕えているのは女性である。
 メフィスト・フェレス。
 京都から帰ってすぐ。とある重要な話を、とある違法なご職業の皆様としに行った彼女。その彼女に無礼な言葉を吐いた男の首が、七竈納によって刎(は)ね飛ばされたニュース。現在、この十三番街でホットな話題だ。
 おい、俺は見たんだよ。あの”気球男”ジョセフが「なめやがって、このブスアマ」って言った口が閉じきる前にもう飛び出してさ。白刃一閃(はくじんいっせん)スパーンだよ。マジだってマジマジ。マジで転がった首の口が、閉じ切ってなかったんだぜ。言い終わってねえんだよ。言い終わる前にスパーン、だよ。だがよ、マジマジマジにふるってるのはそれを止めたメフィスト・フェレスだよ。血まみれの刀の血を払い飛ばして、”次”に向かおうとするのにぴしゃりと
「ストップ! ステイ! ハウス!」
 だぜ? その命令一つであの化け物、ピタッと動きを止めたんだよ。ありゃあ、あの女も化け物って噂はマジだ。化け物が化け物飼ってんだよ。おっそろしい。
「おっそろしいねえ……」
 小林は納の後方を見つめる。
 ベンチの下敷きになったボクサー崩れが気絶している。曰く、人を殴るのは好きだが減量は嫌いだ。プロだったころはジュースなんて夢のまた夢だった。それなのに、てめえはレモネードなんぞ売ってやがる! 死ね!
 納がたまたま買いに来てなかったら、この超俺ルールで死んでいたかもしれない。だけど……。
「タマタマを蹴り潰すのに、あそこまで心理的抵抗がないのは……」
「男らしい?」
「いや……どうだろう」
 男の方が躊躇(ちゅうちょ)する行為だと思う。しかも、その上にベンチを叩きつけてる。先に殺されかけたのは小林だが、やりすぎだとも思う小林である。
「ええと、ほら、よく五月人形に金太郎があるじゃないか。男の子の日だよ」
「そっかー。男らしいんなら、僕が持っててもヘンじゃないね!」
 うん。もっとヘンなことしてるからね、今。ほら、あそこの二人連れ、すごくこっち見てる。地べたにグラドルポーズで座ってるの見てる。
 小林の思考は方向を変える。こっちを見ている二人の服装。あれは神父とか牧師が着る服じゃないかな? おかしいな。まともな宗教関係者は決してこの街に入らないんだけど。なんでかは知らないけど。
 金髪の巻き毛に碧眼の壮年。茶と灰の中間色の髪にパープルアイの青年。西洋人。
 壮年が青年に話しかける。
「何をやっているんだろうね、アレ」
「気にすることはありません。そういう生業(なりわい)なんですよ」
 生業……。
 いやいや! 違いますよ!
 胸中で叫んだが、神父だか牧師だかはさっさと行ってしまった。冗談じゃない。買春じゃない。変態的趣味じゃない。誤解だ。それでも聖職者か。ひどいぞ。
「どうしたのー?」
 納は気にせず、レモネードを飲んでいる。小林はぐったりと車除けにくずおれる。
「いや……。別に。納君、それ、おいしい?」
「うん! すごくおいしい!」
 笑顔。
 顔だけで絢爛(けんらん)。
 それ、ただの黄色くて甘い水なんだよ……。
 さっきから言わないでおくことばかりの自分がつくづく嫌になる。
「ごちそうさまー」
「まいどありー」
 紙コップを受け取り、ごみ袋に入れる。日が落ちるまでの速度はやや上がったが、時間だけは夕方といった雰囲気。まだ商売は始まったばかりだ。
「納君、そろそろ帰らなくて大丈夫? 蛍君(ほたるくん)が晩ごはん作ってくれてるんじゃない?」
「うん! 今日はお魚! 焼いたの!」
「焼き魚好きだねえ……」
 ワゴンに積んだ氷の溶け具合が気になってきた。
 その時
「ねえ、小林さん」
 納が公園の反対側を指さす。
「あの人たち、さっきもいなかった?」
「ああ、うん。さっきから何度か見るね。新しく来た人かな」
 若い男と、イスラム教の女性がかぶってるアレで全身を覆った女。男の伸ばしたひげは、長く手入れされていないようだ。全体的に薄汚れている。難民だろう。この街には多い。その中に滞在許可を持っている者は、一人もいない。
「なんか、メモみたいなのを何度も見てる。迷子かな?」
「そうかもしれないね」
 若い男が何度もボロボロの紙片を見ている。女は祈るように両手をぎゅっと胸の上で組んでいる。二人とも一言も話さない。
 ずきり、と胸が痛む。しかし、小林はアラビア語どころか英語もろくに話せない。彼らの行き先を知っているとも限らない。そもそも、彼らは道に迷ってなんかいないかもしれない。そうだったら恥ずかしい。危険な連中かもしれない。そうだったら自分の身が危ない。面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。いや、話しかけた段階でもう面倒ごとだ。
「そっか。やっぱりそうかもしれないんだ」
 オウム返しじみた確認をし、納はワイシャツのポケットに手を突っ込む。金属製のピルケースを取り出す。ごくん。錠剤を一粒、水なしで飲み込む。立ち上がる。すたすたと二人の元に向かう。
「え、ちょっと」
 動揺。背中に声をかける。が、そのころにはもう話しかけている。まさか、語学にまで堪能なのか。
「メイアイ、ヘルプ、ユー」
 驚。小林よりカタカナ英語である。たどたどしい。リスニングも苦手らしく。男が話すのを何度か「ソーリー。リピートプリーズ」と聞き返している。
 こちらを振り向く。大声で手まで振って問う。
「小林さーん! オアシスってハラールサンドイッチのお店知ってるー?」
「し、知ってるけど」
 場所も知らないで話しかけたのか! 恐れを知らなすぎる。こちらの驚きは気づかれない。納は笑顔で二人に言う。
「ヒー、イズ、ノウ、ディス、ショップ」

 

 もぐもぐ。
 夕焼けの気配が漂い始めた公園で、サンドイッチを頬張る。
「おいしいねー」
「うん……」
 鶏肉に大量の野菜。それにたっぷりのスパイス。それらがぎゅうとパンに挟まれている。サンドイッチはおいしい。最後の一口を飲み込む。納はまだ半分も食べ終わっていない。口に詰め込みすぎるせいで、かなりこぼしている。
 小林はワゴンをまた開店させる。「冷たいレモネードあります」黄色くて甘い水。酔っ払い向けのバッタモン。
 オアシスは、小林の自宅近所にあった。
 ビルの3階にあり、錆(さび)の浮いたらせん階段に看板がかかっているだけ。かなりわかりにくい立地である。同じ場所をぐるぐる巡るのもムリはない。
 この街唯一のコンビニの、向かいにある店。
 納はもう英語を使う気もなくして、「こっちこっちー」と手招きで道案内をして行った。
 一番道にくわしい小林が、一番後ろである。女は何度も振り返って、様子をうかがうそぶりをする。
 怖かったんだろうなあ……。
 とてもよくわかる。小林自身がボクサー崩れと同じ場所にいるのが怖くて、一緒に連れて行ったのだから。
 体調も悪いらしい。納の方を何度も見るが、足取りがかなり遅い。
 脳内を探って適切な言葉を探し。本当に適切か確認し。大きく深呼吸して問う。
「ハウワーユー?」
 彼女はしばらく黙って。
 アラビア語で「何を言っているかわからないわ」という意味の音声を発した。
 彼女の顔は隠されているが。
 小林は自分の方が全身を隠してほしいと思っていた。

 

 いつも素通りしていた看板。そこにマジックで書かれたアラビア語。
 歓声。若い男は女の手を引き、らせん階段を駆け上った。
 階段の途中で、店からも店主が飛び出してきた。吹き出すスパイスのいい香り。若い男そっくりの壮年。
 女は店主に抱き着き、激しく泣いた。
 そしてこちらに手を向けて、何事かをかすれ声で言い、また激しく泣いた。
 店主は早口で何か言い。店に飛び込み。サンドイッチを2つ持ってきて、小林たちに渡した。
 やたらに肩をどんどん叩かれた。
 ずっと早口のアラビア語でまくしたてるように喋っているのだが、何を言っているのかはさっぱりわからなかった。
 ただ、彼らは親子で、お互いに探しあっていたのだ。
 公園に戻ると、ボクサー崩れはもういなかった。
 小林はゴミ袋に、サンドイッチの包み紙を入れた。
 太陽はやっと、濃いオレンジに変わった。
 オレンジ色に染まった手のひらを見た。
 別れ際、オアシスの娘は小林の手をぎゅっと握った。
 お礼を言ったらしかった。
 声はあまりにかすれていて、ほとんど声になっておらず。手のひらはカサカサで熱すぎた。
 風邪だったのかもしれない。
 小林は、自分がつくづく嫌になった。
 納のことを、自分よりさらに憎らしく感じた。

 

<<空六六六ぷらす!>>

 

マリュースク「何故、七竈は私たちのことを呼び捨てにするのですか? それからいつの間にか数字がなくなっています」
ジョーイ「周囲の大人でって意味ね? メフィストは別として。ぷらす! の数字はかなり前からなくなってるのに今気づいたから、もうなしでいくみたいだ」
メフィスト「せやな。君ら、納に「お友達になってくれる?」って聞かれたとき、なんて答えた?」
マリュースク「私はあなたより目上です、だったような……」
ジョーイ「そこまでストレートではないけど、敬ってよ、的なことは言ったかな?」
メフィスト「せやろ。しかし、「さん」をつけられてる人の回答は」

 

小林『うーん、別にいいけど……』
中津『坊ちゃんが友だちか。いいねえ、俺も若返る」
コルメガ『いいよー。じゃ、まず僕のことは呼び捨てねー、あはは」

 

メフィスト「親しい大人の中で、そういう「大人の対応」をできる人は呼び捨てにしてへんのよ」

 



 令和元年7月7日

銀座に行こう

 23区内には、ほとんど行ったことがない。
「いや、都内出身だろ!?」
「八王子だし」
「八王子がなんの言いわけになるんだよ!?」
「八王子の中でも多摩ニュータウンのあたりだし」
「だからなんの言いわけ!?」
「言いわけじゃないよぅ。最低限生活に必要なものは徒歩圏内で手に入るから、わざわざ23区内まで行く必要なかったの」
 ああ、なるほど。と蛍は納得したが――。
「納の徒歩圏内ってめちゃくちゃ広くないデスカ?」
「……。歩いていけるんだから徒歩圏内だもん」
「京都で蹴上から堀川今出川まで、毎日徒歩で通ってましたヨネ?」
「歩いて通えるとこは徒歩圏内だもん」
「実際の距離を検索ダー」
 約5.5キロ。徒歩1時間8分。
「お前、ホントに都内出身か? 家に電気通ってたか?」
「いやいや、これは都内出身デスヨ。だって納デスヨ? 目を離したら消えているのが標準装備の納デスヨ?」
「ああ。なるほどね。まっすぐ行ってるわけないもんな。気になるものを発見して追っかける時間込みだもんな。都内じゃないと遭難して死んでるよな」
「わあああん、蛍とユキがいじめるぅ」
 と、笑顔が崩れそうになったので慌てて直す。口角を上げて目じりを下げて。
「笑顔の練習を頑張ってるのはわかるんだけどさ……」
「笑う以外の感情を消失したひとみたいになってるから、ついつい崩したくなるんデスヨー」
 ブランクが長いと、取り戻すのに苦労する。

 

 銀座。東京駅から狭義の意味で徒歩圏内。現在は観光地としての側面が大きいが、高級な店が立ち並ぶ地区として全国的に有名である。
「納ー、停めるときはなんもせんでええから。早よおいで」
 え、これ、何もしない料金なんだ……。
 看板を再度見る。やはり、ゼロの数が多い。
 銀座って……コインパーキング高い!
「納ー?」
 はっとメフィストの元に戻る。そうだった。もう納はメフィストの一方的な下僕なのだ。なんでも言うことを聞かなくちゃならないのだ。ちゃんとした下僕にならなければならない。銀座にお供だぁと、ウキウキしている場合ではない。冷や水をぶっかけてもらってよかったと言える。
「トランクの開け方、こうな。はい、荷物持って」
「うん」
 ひょっとして……この車、ベンツじゃないだろうか。黒塗りのベンツ。ヤクザが乗る車。今、エンブレムに気づいた。
「……これ、中津さんが乗ってるのと同じ車?」
「ああ、あれはクラウン。あいつ日本車しか乗らんへんねよな。それより行くで」
 新知識、クラウンは日本車。大きな紙袋を抱え、メフィストの後ろを着いていく。彼女が連れていても、恥ずかしくない男にならなくては。
 30分後。
「メフィスト! 見るだけって! 見るだけってええええ!」
「見て良かったら買うに決まってるやろ! 女の人に勝手に触ったらあかんのんちゃうかったんか!?」
「だって! だって! それ高い! すごく高いよぅううう!」
 主の腰にしがみついてすがる下僕に落ちぶれていた。
 女性の店員さんが困った笑顔で見ている。こういうお化粧する人、メフィストと女優さんだけじゃなかったんだ。手にはハンドバッグがある。ハンドバッグにはシャネルのタグがついている。「ちょっと見るだけ」が15分で「これ包んで」に急変してしまった。15分でこの値段の物を! 衝動買い!
「主人の買い物に口を出さへんの! 放しなさい!」
 うう……と、引き下がる。ショーウィンドウに映った自分の顔を見る。半泣きである。
 しまった。
 慌てて後ろを向く。会計中の女性たちの声。「本日は会員カードはお持ちですか?」シャネルもポイントカードってあるのか。「いや、今日は寄るだけのつもりやったから」せめてポイント貯(た)めてよぅ……。
「では、こちら商品でございます」
 笑顔を作り、振り向く。紙袋を受け取ろうとする。
「えっ……」
 店員さんが納の顔を見上げ、目を見張る。
「ド、ドアまでお持ちいたしますのでっ」
 ドアまで持ってきてくれるの!? なんで!?

 

 増えた荷物を大事に抱え、納はまたメフィストの後ろを歩く。
 溶け込むかと思っていたが、メフィストは銀座でも目立っている。
 黒のゴシック調ドレス。シルクハット。自然と周囲が道を作り、そこを颯爽(さっそう)と歩く貴婦人。
 生粋の貴族。
「ねえ、メフィスト」
「んー?」
「なんでメフィストはヒールの音がしないの?」
「え、気づいてたんか」
「うん」
 ふむ、と何かを頭に入れる声。
「ハイヒールってな、歩きにくいねん」
「うん」
「せやから、いつも地面より何ミリか上を浮いて移動してんねよ。ぱっと見、歩いてるっぽく見えるけどな」
「……すごい」
 記憶展開。
「一刀斎先生と初めて会ったときは、ヒールの音してたよね?」
「怒ってるときはほんまに歩くの。威嚇音になるやろ?」
「確かに」
 ハイヒールはメフィスト・フェレスの軍靴。ルブタンが特に適している。
 周囲はいつしか雰囲気を変え、オフィス街のような街並みに。
「あれ? 東京駅が見える」
「今いるの、丸の内のあたりやからな」
「そんなに近いの?」
「近いよ。仕事するとこ飲むとこ買うとこ、近い方が便利やん」
「そっかあ……」
 えらいひとたちの徒歩範囲は、狭くて大きくてこわい。と、ビルを見上げる。
「キョロキョロせんで。ここ入るで」
 証券会社。
「今度は、おとなしく、騒がないように」
「……はい」

 

 ここ、貴賓室っていうものじゃないかな?
 騒がないように、どころではない。緊張のあまり呼吸が止まりかけている。
 メフィストは渡された書類をパラパラめくっている。
「あ、今日は何も買わんよ? 今の資産状況のチェックやからね」
 納が緊張しているので気を使ってくれたんだろうが……。何も買わないのに、なんでコーヒー出してもらえるんだろう。と、ますます緊張する。
「七竈さん」
 目の前の重役っぽいおじさんが、納に笑いかける。慌てて納もまた笑顔を作る。
「何かあったら、先ほどの名刺の番号にお電話ください。私につながりますので」
「はい」
「弊社に直接お電話いただけるのでしたら、フェレス様からのお問い合わせとお伝えいただければ助かります」
「はい」
 返事をし、覚えてはいるが……。何かあったらの「何か」が何かわからない。
 見終わった書類のファイルが納に渡される。
「お昼はお済みですか?」
 おじさんが笑顔で問う。メフィストは「ああ、もうそんな時間か」と呟く。最上級悪魔には新陳代謝がない。食事は必要なものではないのだ。否。食事だけではない。衣食住のすべてが娯楽。
「せやな……」
 納を見る。
「今日は天ぷら行こか」
「わかりました」

 

 てっきりさっきのおじさんも一緒に食べるのだと思っていた。
 が、京都のかがり火の家みたいな建物の前で、おじさんは車に乗って行ってしまった。
 どうやら銀座に戻ってきたらしい、と納は判断する。え、近いじゃん。なんで送ってくれたの?
 しかもここは民家ではないのか。メフィストのお友達の家だろうか。と、瓦を眺めている間に、メフィストは小さい木戸を開け、中に入ってしまった。
「ちゃんと着いてきぃ」
 叱られてばっかりである。木戸の中はさっきの建物の敷地でなく、砂利を敷き詰めた中に飛び石がある細い道だった。奥にある建物の地下にメフィストは入っていく。隠れ家みたい。
 地下入り口に小さいのれんがかかっている。文字も書いてあるが、崩し字なので読めない。
 階段を下りるにつれ、いい匂いがしてくる。おなかがきゅうと鳴る。小さくぴちぴちという音。油が跳ねる音だ。
「らっしゃい。メフィストさん、久しぶりですね」
 板前さんだー! 本物の板前さんだー!
 前掛けをしたおばさんが座敷におしぼりを並べながら
「今日は男前をお連れですね」
 と笑顔を上手に作った。納も笑顔を作ったが、かなり下手な出来(でき)になってしまう。
 座った(掘りごたつだった)とたん、背筋をぞっと寒気が走る。
 このお店、値段がどこにも書いてない!
 こわいこわいこわいすごくこわいすごくすごくこわい。
 金のことになると突然しっかりすると言われる納である。が、自分が払う気はまったくない。
 女性相手と一緒に入った店なら会計別々で払える店に入るし、払えない店に相談なしで女性が入ったのなら抵抗なくおごってもらう。ましてや年上男性と一緒なら、財布を出そうとすらしない。
「意外とそういうとこある」と言われる。「だって払ってもらえるもん」と返す人生。おごられなれている。
 おごられなれているからこそ、こわい。
 高いものをおごってやったという自覚がある人間が、どれほど残酷に振る舞うかを知っている。
 しかし、高いものをおごったてやったという自覚がなく高いものをおごってくれるひとは、手の届かない場所にいることが自然なひとだ。
「今日は何になさいます?」
「私はなんか適当にちょいちょいっと。この子はぎょうさん食べんねん」
「はい。苦手なものやアレルギーはあります?」
「ある?」
 目を見張り、首を横に振る。そんなことを聞くお店あるんだ!?
「天丼と天茶、どっちにしましょう?」
「テンチャ……?」
 首をかしげていると。
「じゃ、小さいサイズにして両方にしましょうか」
「そうして。今日は日本酒、何入ってる?」
「今日はいつも通りです。冷やですか?」
「獺祭(だっさい)を冷やで」
 白子というものにポン酢をかけたものが運ばれてきて、ようやくさっきのやり取りが注文だったと知った。
 他のお客さんも少しずつ入り始めるが、見るからにお金持ちの大人ばかりである。
 向かいのテーブルに男女が座る。仕事の合間らしきサラリーマン。さらっと注文。「彼女、ベジタリアンなんだ」 
 納は白子がすべってつかめない。メフィストは品よくお酒を飲む。高級な大人。白子を落とした拍子に箸まで落としてしまう。慌てて拾おうとすると、店員さんがフォークを持ってきてくれる。赤面。現在、店内に異物混入。
「メフィスト……、あの……」
「ん?」
「僕を連れてて恥ずかしくない……?」
 メフィストは切り子のグラスを置く。瑠璃色。
「そりゃ、恥ずかしいよ。わりとよく」
 瑠璃色のグラス。メフィストの瞳も瑠璃色。
「でも、君が一所懸命なんわかってるから」
 微笑。
「わかってるから、ええよ」
 黒い隻眼が瑠璃色でいっぱいになった。
「メフィスト、僕、大人になりたい」
「うん?」
「大人になれるように、がんばる」
 天ぷらが運ばれてきた。

 

<<空六六六ぷらす!>>
ユキ「中津さんの車に乗ったときの話なんですけどネ。珍しく中津さんが自分で運転してて、「自販機でコーヒー買ってきてくれるかい?」って聞いたんデス」
マリュースク「はい」
ユキ「納は「わかったー。ごちそうさま」ってもうおごってもらう前提で返事してテ。蛍はめんどくさそうにしながらも、缶の蓋開けてから渡してたんですヨ」
マリュースク「はあ」
ユキ「でも、荷物は全部納が持つんですよネ。蛍の買い物まで、自分から全部」
マリュースク「……性格の後見ができますね」
ユキ「後見は日本語が違うケド、それナ」

 


 

令和元年7月7日

子犬1

「昼間の飲酒は咎める者は、悩みという重みを持たぬ者だ」
「んなわけあるかい。昼間っから酒飲んどるご本人にいつも悩んどるわ」
 酒場の店主が言ってもなあ……。と、キムの矛盾を指摘しようとしたが、正論に矛盾など存在しない。黙っておかわりを注文する。
 ゴールドラッシュという名前通り、満員かガラガラしかないのがこの店だ。
 今日はメフィストしか客がいない。時計は正午を指している。エアコンはうるさく稼働している。
「「ストップ! ステイ!」はないやろ……」
「後悔すんねやったら、そんな毅然(きぜん)と言いきんなや」
「柳のようになよなよと命じられて、動く軍人なんかおるわけないやろ」
「ほんならグチグチ言うな」
「いや、あんな噂はアカン……。若いつばめを調教中はアカン……。アカン、酔おう」
 決断するが早いか、自身の腹に腕をつっこむ。しばらく探し、臓器を一つ取り出す。
「よっと」
 空間のひび割れ――ゲヘナ――に、放り込む。キムが渋い顔をしている。
「公共の場所でやるな」
「ええやん。血も肌も見せてないねんから」
 おかわりのヘネシーを一口。とたんに腹がじんわりご機嫌に。頭の方はご機嫌とは言いがたいが、そのうちほろ酔い程度のご機嫌と変わるだろう。
 悪魔が内臓を抜いてまで楽しむ酔いを、人間は内臓を守るために控えねばならないとは! 気の毒千万!
 やっとハンドバッグから”仕事”を取り出す。鼻歌交じりでキューブ状の物体を解いていく。
「ルービックキューブなんぞ家でやらんかい」
「ルービック……? それは知らんけど、今、家ん中ちょっと喧嘩中でな」
「喧嘩……?」

 

 1時間前。
 ユキが「一大事ダヨ!」とリビングに飛び込んできた。デニムのホットパンツとタンクトップから溢れる健康美。白いロングヘアと赤い瞳も明朗な、ロシアハーフのアルビノ娘。黙っていれば美少女なのだが……。
「納の部屋にエロ本とかAVが一コもナイ!」
 黙っていないので台無しである。
「必要ないもん」
 納がめんどうくさそうに返答する。潜入捜査官奇跡の脱出を邪魔されて不服らしい。深夜に再放送中の海外ドラマ。最近毎回録画し始めた。
「必要ナイ!? それはムラっときたときのリアルなお相手に不自由してないということデスカ!?」
「そういうんじゃないよ」
「っつーか、ひとの部屋を勝手にあさるんじゃないよ」
 隣から蛍が口を挟む。当節の流行らしきあまり上品でない服に、金髪に染めたロングヘア。今日はアップにしている。最近あけたピアスを見せたいのだろう。ドラマは流し見である。展開が読めているので。
「納だってこないだ私の秘蔵本、勝手に見たからおあいこダヨ!」
「別に隠してなかったもん。本棚にどーんとおっきな漫画があったから何かと思って」
「百合(ゆり)神様の再録集ダヨ!? 大事に本棚にしまうに決まってるデショ!」
「ゆり……?」
 現代知識に不足がある蛍に、納が答える。
「フィクションのレズ」
 蛍は暫く考え。
「じゃ、ユキは女が好きなわけ?」
 と問うた。
「これだから一般人はわかってナイ! フィクションの恋愛に生身の人間が入ったら毒物混入なんダヨ! 私はいらない存在ナノ! ただ見つめるだけの存在ナノ!」
「……ふーん」
「理解してないしする気もないけど気持ち悪いなって反応!? ふざけるなヨ! こうなったら蛍の好きなエロを見つけてやル! 部屋入るヨ!」
「入れてやるわけねーだろ」
「そうだよ。入らなくていいよぅ」
 来週に続く! のテロップを見ながら。
「SMの縄系が好きな程度だよ。スマホに入れてるから、勝手に触っちゃダメだよ」
 納はあっさり暴露した。

 

「こういうわけで、うちは今めっちゃ喧嘩中」
「帰れや。止めろや」
「今、ちょっと落ち着いたとこでせなアカン作業やってんねん。お、開いた」
 中から手紙を取り出す。懐かしい封筒。最近はデザインは同じでもインクジェットが多い。
「そのルービックキューブかからくり箱かが?」
「うん。開封手順を間違うと半径30メートルが消し飛ぶ」
「帰れええええッ!」

 

 二度目に向かう銀座。
 道中教えられたことを、再び展開する。
【ソロモンの小さな鍵】
 大英博物館地下所蔵。
 展示されているものと異なり、ソロモン王が七十二霊の悪魔の力を、「魔方陣程度で召喚されると錯覚されるほど」弱める呪法を施した原本である。
「じゃあ、悪魔って魔方陣で呼べないの?」
「最下級の食人鬼程度なら呼び出せるけどな。ソロモン七十二霊は本来上級悪魔。貴族やから無理」
「えらいと簡単に来てくれないの? なんで?」
「悪魔はリアリストやからね」
「リアリスト?」
「そ。よく、契約の対価に魂を奪うって伝説きくやろ? せやけど、魂って存在をどんな科学を使っても目視できへん。つまり、存在せえへんもんやねんな。なら、魂とは何を意味するか? 
 思考を司る脳か? 思考するだけで行動できなければ意味がない。
 生活を司る富か? わざわざ人間の手を借りるまでもなく入手できる。
 命を司る心臓か? 一番いらない。使い道皆無。
 魂とは、その人間の今後の人生。悪魔自身が人間と対等の存在であるほどに己を低うして、それでも手に入れる価値がある人生を持つ者にのみ、悪魔は契約を持ちかける」
「どうやってそんな人生かわかるの?」
「そこは悪魔としての力量。せやから、大概の悪魔は人間と契約せえへんよ。リアリスト。損しそうなこと、わざわざしない」
「僕はそんな人生の可能性がないから、一方的な下僕にしてくれたの?」
「一方的な下僕になりたがったヤツは他におらんよ」
 そこでメフィストはクラクションを鳴らした。話がそらされた気がした。
「ソロモン王がどんな手段を用いて、その呪法を可能にしたかは解明されていない。ま、解明されてたら解消もされてるわな。
 現在中級程度に魔力を抑えられているソロモン七十二霊にしてみたら、なにがなんでも解消したい呪法や」
「弱くされたのが嫌?」
「そういうこと。君かていきなり小学生にされたら嫌やろ? せやけど、人間サイドからしたら、非友好的で強力な悪魔の力は削いでおきたい。
 そういうわけで、大英博物館の地下で英国国教会の精鋭が封印してたんやけど。その結界が破られた」
「誰が破ったの?」
「表沙汰にできない王族は、墓か教会行きと相場が決まってるもんや。結界を破ることが目的……、いや、それで大混乱が引き起こされるのを想像してニヤニヤするのが目的やな。もう死んでるし悔いもない」
「そっか」
「だから今回は、英国王室のけっして公開してはならない依頼かつ、全面的なもみ消し行為が保証された依頼いうこと」
「もっかい結界張るの?」
「詳しいことは今から行くとこで、私の昔なじみから――」
 急ブレーキ。
「うわっ」
 どうしたのと聞くまでもなく。
 運転席側の窓に掴(つか)まっている者。
 受けるクラクション。スピンするような道路脇への移動。掴まり続ける、クラシカル風のメイド。
 ベンツを路上駐車。メイドは飛び下り、そのままスカートをつまんで一礼する。
「お久しぶりです、メフィスト陛下。ユーリ・レッドローズです」
 メフィストの明るい声。
「ユーリ! えらい大きなったなあ!」
 メイドの微笑。
「光栄です。失礼ながら挨拶は後ほど。奥様より言づてを預かっておりますので」
「何何ー?」
 ユーリと呼ばれたメイドはすっくと顔を上げる。
「はい。一つ目。ただいまよりあちらのヘリを撃墜いたしますので、ルート変更をお願いいたします」
 上空にヘリコプター確認。推定距離4000メートル。
「二つ目。たいへん不確かな情報ですが」
 爆音。
「敵勢力にローマ・カトリック教会が関与している可能性アリ、です」
 落下。落ちてゆくヘリコプター。
「うわー、ユーリ! もうすっかり一人前になったやん!}
「はい! 僕は優秀なメイドですからね」
 得意げな20歳前後青年(メイド・ガイ)の背後。
 道路でヘリコプターが大炎上した。

 

≪空六六六ぷらす!≫

 

ユキ「と、いうわけで、私は百合が好きだけど二次元オンリーで、BLと夢は守備範囲外なんだヨ!」
蛍「よくわかったけどさ……。よくそんなことそんなにハキハキと言えるな……」
ユキ「ああ……。一番キツいのを乗り越えちゃうとネ……」
蛍「キツいの?」
ユキ「寝る前に食卓で百合漫画読んで……、うっかりそのままにして寝落ちして……、起きたらお父さんが一晩中その姿勢だったんだろうなって顔色で食卓についてタ……」
蛍「うわあ……」
ユキ「ハートマーク乱舞なシーンのページを開いて、「では、このどちらかの女性に自分を投影しているわけではないのですか?」とか聞かれる地獄……」
蛍「めちゃくちゃ気の毒だけどさ。全面的にお前が悪いよ」

 



令和元年十月一日

子犬2

 東京都。銀座。レストランの個室。光を取り入れるための鏡は黄金の縁。シミもしわもまったくないテーブルクロス。コーヒーカップは二つ。砂糖壺とミルクは最初に断っている。
 テーブルには貴婦人二人。
 白が混じった赤毛の老婦人。ローザ・テーラー。職業、武器商人。オリーブ色でドレスのように裾が長く広がったワンピース。
 黒髪の容姿のみ三十路の女王。メフィスト・フェレス。職業、たくさん。今日も漆黒のゴシック調ドレス。
 この空間だけ、ファンタジー系ライトノベルの絵面になっている。特にあの男が。
 クラシカルスタイルのメイド。の格好をした男。
 納より10センチほど背が低く。エプロンの上からでもわかる筋肉質で。東洋系らしき黒髪黒目。19歳。右の口元から頬にかけて傷痕がある男。
 ユーリ・レッドローズ!
 到着してからずっと英語で話しているので、ほとんど察するに近いが。
 メフィストはずっと「ユーリは立派な男になった」という意味の会話をしている。
 時折ユーリが赤面しているので、昔話が主なのだろう。
 ローザが笑い声を立てる。メフィストも笑う。よく「プリティ」と言う。
 こんな「ふつうの女の人」としておしゃべりするメフィストを、納は知らない。
 自宅でどれだけ気を抜いていても、メフィストは納の主という姿勢を崩さない。それは支配者という意味でも保護者という意味でもあり。つまりは納を頼りない子どもとしか見ていないのだ。
 不快。
 ドアの前で仏頂面になるのを堪えていると、会話の雰囲気が変わった。
 きょとんと突っ立っているのに、ユーリが上から目線で言う。
「こっちに来なさいって言われてるでしょ!」
「ごめんなさい……」
 慌てて謝る。が、メフィストの表情は「あ、忘れてた」だ。思い出したように、いや、思い出して日本語に切り替える。
「これが【ソロモンの小さな鍵】」
 ユーリがうやうやしくテーブルに置いたものを見る。
「……? 瓦?」
「粘土板。と、推察される。鑑定も調査もできないため、実際どういう素材かは不明。壊れたら一大事だからね。とかく、この手のひらサイズの呪物によって、ソロモン七十二霊は弱体化させられている」
「ソロモン七十二霊が本当の力を散り戻したらどうなるの?」
「この中央区が一時間で更地になる。真実でも例えでも」
「このボロボロの板がそんなにすごいんだ……」
 じいっと粘土板を上から見つめる。元は何か彫られていたらしいが、劣化してなんなのかわからなくなっている。
「ほら、確認したんだから、さっさと入り口に戻りなよ。僕らは使用人だよ? まあ、僕みたいな10年もやっているベテラン並みにできないのは当然だけどね」
 またユーリ。納の笑顔がとうとう崩れる。
「女の子の服着てるくせに……」
 得意げな表情がカチンときた、に変わる。
「奥様がくれたお仕着せの悪口言ったな!」
 ヒュンと風切音。次の瞬間、左手を強く引かれ、地面に叩きつけられる。
「糸?」
 左手全体にピアノ線のようなものが巻き付いている。この糸で引かれて地面に叩きつけられたようだ。左半身に痛みを感じる。
 糸の先はユーリの手袋の内にある。あいつが糸を操って転ばせたな、と理解する。
「やったな!」
 立ち上がった瞬間つかみかかろうとする。
「Stop that!(おやめ!」
 ローザの一喝。二人がピタリと止まる。
「時よ戻れ!」
 ついでメフィストの呪文。眼鏡が落っこちる。
「え、え、なんで?」
 眼鏡が落っこちても視界はぼやけない。しかし、低くなっていく。
 目の前のユーリを見る。
「あー!」
 同時に声を上げ、鏡を見る。
「あー!」
 またしてもキンキン声を同時に上げる。
 大鏡には、ちんちくりんのメイドが写っている。
 傷痕から察するに、片方はユーリ。
 と、いうことは……、左目に眼帯をした方は納自身ということだ。
「なんでぇー!」
 腕組みをして怒りを見せるメフィスト。
「肉体の時間を巻き戻した。九歳くらいの体かな。納、仕事中に喧嘩を吹っ掛けるとは……」
 同じくのローザ。
「ユーリ、喧嘩の上に先に手を上げるなんて言語道断……」
 同時。
「その格好でバケツ持って立ってなさい!」

 

 翌日。
「悪口言ってごめんなさい」
 出会いがしらに謝罪され、ユーリは目を丸くした。どんぐり目が完全に球になっている。
 戻してもらえた(さんざん「見て見て、メイドちゃんが立たされてるー」「かわいいー」と他の客の見世物になった後)ので、納はいつものスーツ。ユーリは今日もまたメイド服である。否。ユーリも「いつものメイド服」なのだろう。
「……帰ってから怒られたの?」
「えっ、わかるの?」
「うん」
「わかっちゃうんだ……。うん、ベッドから落っこちて「うるさい!」って」
「ベッド?」
「え? あ、ああ、ベッドでモダモダしてたら落っこちて」
「モダモダ?」
「いや、ほら、「なんでー! なんで僕、やなこと言っちゃうのー! ユーリ悪くないのにー!」ってモダモダ……。ひょっとして別のことの話してた!?」
「ひょっとしなくてもそうだよ!」
 しばらく腕を組んで空中を見て。
「で、モダモダしたから謝ろうって思ったの?」
「うん。僕が悪かったから」
 ふーん、とユーリはわざとらしく言い。
「まあ、反省していることを蒸し返すのは仕事に支障をきたすだけだからね。ビジネス用の笑顔も表情も作る余裕もないみたいだし。大目に見てあげるよ」 
 えらそぶった口調とボディランゲージで赦(ゆる)し。
「でも、僕のほうがお兄さんなんだから、ちゃんと言うこと聞いてよね」
 と業務上の注意をした。
「わかった」
 胸を張って頷かれた。もしかしたら、単に先輩風を吹かせられるのが嬉しいだけなのかもしれない。
 では、仕事開始。
 並んで歩きだす。人通りが少ないのに、すべての人が振り返る。そりゃそうだ、日本の住宅地にメイド・ガイだもの。
「ここ、都内?」
「うん。高級住宅地だから少子高齢化が激しいんだ」
「ああ、それで塔しか目立つものがないのかあ。確かにあれは高級ホテルーってカンジだけど、塔みたいなデザインがウリになる地域じゃないよね。ロマンチックじゃない」
「うーん、それはよくわかんないけど。それにしてもへんな仕事だよね。ホテルの周りをぐるぐる歩き回ってこいなんて」
「まあ、新人に与えられる仕事なんてそんなもんだよ」
「そうなんだ……。……やっぱりユーリも新人なの?」
「違う! 僕は新人を監督するベテラン……、待って」
 ユーリの目が鋭くなる。
「死体の気配がする」
 引き締まる空気。
「なんでわかるの?」
「奥様は武器商人だ。そして僕は奥様のメイドだ。死体がある。死因はわからないけど、近くに、必ず」

 


子犬3

「死の気配は、殺人の臭い。直感に差し込んでくる危険と言い換えてもいい」
 ユーリの手元に糸が集まる。金属製の糸は冷気を発する。
「近くに敵がいる?」
 白い手袋に冷気が収束。
「それはわからない。敵は”いた”んだ」
「いたんだね」
 解。
 世界のひび割れから引き出す雲切丸。ベルトのホルスターに差す。
 殺気を、解き放つ。
 暗転。
 二人を真っ暗な影が飲み込んだ。

 

 

 生臭い。
 目が覚めた。腰に手をやる。刀がある。胸ポケットにもきちんと固い感触がある。
 ユーリが壁をコンコン叩いている。
 かろうじて周囲が見える程度の薄暗がり。
 ピルケースを取り出す。
 純銀製の丸い容れ物。表面に彫られた『Gott ist tot!』――神は死んだ! ――。
 錠剤を取り出し、飲む。リスペリドン1r。
 これで大丈夫。生臭さの元を見据える。
 死体。
 成人男性。パジャマ姿。肥満傾向。皮膚の色からアジア人と思われる。体型及び手の形から戦闘能力は無いに等しいと断定。首から上が砕け切っているため、それ以上はわからない。
「起きた?」
「おはよう」
「のんきなこと言ってる場合じゃないよ。閉じ込められた」
「……やっぱりかあ……」
「しょんぼりしてる場合でもないよ。壁の材質がぜんぜんわかんない。それに僕らが入れられたはずの入り口がどこにもない。壁にも床にも天井にも」
 周囲を再度ぐるりと見渡す。
「じゃ、ゲヘナなんじゃないかな」
「ここが、あの? 悪魔の個人異空間?」
「うん。たぶん」
「どうやって出るの? スマホも無線も全部通じないよ」
「僕のも通じないけど……。どこにいるかはメフィストにはわかると思う。いつまでここにいなきゃいけないかは、わかんないけど」
 ユーリが落としかけた肩を、よい姿勢に戻す。
「それなら、人間に閉じ込められたのと変わらないね。僕がついてるから心配いらないよ」
 しっかりしてる!
 先の見通しが立たない状況で、すごく冷静!
 納はやっと相手を目上だと実感した。
 自分より断然しっかりしている。今後は常に立てていこう。ごはんとかはいい方を渡そう。
「ところで……あの死体、なんだと思う?」
 ユーリはしばらく考えて。
「巻き込まれた民間人じゃないかな。服も体型も戦える格好じゃないし」
 体型はともかく、メイド服で戦っている人が言ってもなあ。
 反論しかけたが、相手は目上のベテランだと思い出しやめる。
「死後2時間も経ってないと思うよ。死体の状態から判断すると」
「そんなことまでわかるの!? すごい!」
「僕は優秀なメイドだから当然だよ」
 自信に満ちた態度も目上のベテランらしい。カッコいい。
「じゃ、まだ腐ってないの?」
「うん。でも、室温が20度近くあるから、もう少しすると腐り始める」
「そっかぁ……。なんか、火が点(つ)くものある?」
「ライターならあるけど」
「煙草吸うの?」
「違うよ。奥様が喫煙なさるときに、すぐ火を差し出せるでしょ」
「それ、下僕はできた方がいいね。真似する!」
 自信あふれる目上のベテランは、ジッポライターを出す。
「急に殊勝な態度になったね。まあ、いい機会だから、アドバイスしてほしいことは聞いておきなよ」
「あ、じゃあ、肉ってどのぐらい焼いたらいいの?」
「牛肉と鶏肉は生でも食べられるけど、清潔かつ新鮮なのが前提。それ以外の肉は完全に火が通るまで焼くのが安全な食べ方だよ。特に畜産農家産じゃない肉は、病気や寄生虫の危険が高いから」
「そっかあ……。表面だけ焼いてもダメかあ……」
「血が滴るレアステーキは料理人が焼くからおいしく焼けるものなの」
「じゃ、ちょっとずつ削って焼いた方がいいね」
「……けずる?」
「よいしょっと」
「うわああああッ! ななななな何してるの!?」
 ベテランで目上の先輩が突然狼狽。納はしばらく考えて、気づく。
「あ、この短刀? 違うよ。ユーリを食べようとしてるんじゃなくて。この死体、腐る前に焼いておこうと思って。うまく焼けたのはユーリが食べてね」
 やっと笑顔を作る余裕ができた。にこっと笑って首なし死体の服を指す。
「やだあああああッ! もう帰るうううううーッ!」
 あれ? ベテランだの目上だの先輩だの優秀などが消し飛んだ?
 納はまたしばらく考え、ベジタリアンなんだろうと結論を出した。何か食べ物を持ってないかなあと、死体のポケットを探して。
「チョコレートがあった。これなら食べられる?」
「血が滴ってるうううううーッ! もうホントに帰るううううーーーッ!」

 

 1時間後。
 マリュースクが部屋に入ってくると。
「うっ、ぐすっ、もうやだ……。奥様、お迎えにきてよお……」
「泣かないでよぉ……。食べ物がなくなったら困ると思っただけで……」
 大男二人が膝を抱えてめそめそしていた。
「何をしているのですか?」

 

「奥様あああああ、あいつが、あいつがああああ」
 老婦人に抱きついて泣き、告げ口をする優秀なメイド(自称)。メフィストがどこか得意そうに
「ちょっと甘やかしすぎなんちゃう?」
 と笑う。ローザが自覚ありの視線そらしをする。ユーリはかまわず泣き叫ぶ。
「死体食べさせようとしたあああああ」
 レアステーキにかぶりついている納を指す。誤解を与える言い方なので、訂正する。
「ちゃんと上手く焼けたところをユーリの分にしようとしたし、それでもやだって言うからチョコあげたもん」
 ステーキに戻る。料理人が焼いたステーキってすごくおいしいんだな。焼いてくれたマリュースクに、おいしいのジェスチャーをする。無表情に「当然です」が返ってくる。それをユーリの大声がかき消す。
「だらっだら血の滴るチョコ食べさせようとしたあああああ」
【鮮紅のローザ】は、メフィストにやり返す。
「ちゃんとごはんあげてる?」
「あげてるわ!」
 ……やり返してるわりに顔がひきつっている。

 

 マリュースク特製ステーキを譲ってもらって、ユーリへの好感度が上がった(尊敬度はなくなった。ベジタリアンでもなかった)ころ。
 メフィストの軍勢が揃う。
 上座扉側手、中津礼二。
 上座中心、メフィスト・フェレス。
 上座窓側、ローザ・テーラー。
 メフィストとローザの隣には、それぞれ納とユーリが控えている。
 下座扉側、ジョーイ・ラスボーン。
 下座中心、マリュースク。
 下座窓側、ユキ・クリコワ。
 蛍は席に着かず、窓枠に寄りかかり立つ。
「諸君、攻城戦だ」
 メフィストは宣言する。王族のトーンで、軍人の口調で。
「どの城を攻める?」
 ジョーイが問う。
「ふむ。言葉が足りなかったな。我々は攻城戦をソロモンの七十二霊にさせる。つまり、私たちは城を守る側(がわ)……。通常、攻城戦に必要な兵力は守る側の5倍の兵力が必要だが、ソロモンの七十二霊は当然……」
「圧倒的にこちらが有利なわけですね」
「いや、不利。72÷5は小数点以下切り捨てで14。こちらは合計8人。数で不利という話の前振りやねんてこれ、マリュースク」
 関西弁から口調を戻す。
「よって、この作戦はとてもおもしろいものとなる」
 口角が上がる。
「京都での戦いで、君たちの使い方は把握した。把握した故に、期待する」
 ジョーイが再度問う。
「防衛戦をやるのか?」
 剛勇なる女王の破顔一笑。
「包囲戦をやる。攻城戦に足る72人を、8人で包囲するんだよ」

 

 

≪空六六六ぷらす!≫
ユーリ「まったく。今回の日本行はさんざんだ! 最初に失礼な女どもにあったところからケチがついた!」
納「失礼……?」
ユーリ「コンセントの変換機買いに、奥様と秋葉原寄ったらさ」

 

そういう趣味の女性たち『すみません! どこのお店の人ですか!? おいくらですか!?』

 

ユーリ「失礼な! 僕はコスプレメイドじゃない!」
納「じゃあなんで着てるの!?」


令和元年12月2日

子犬4

攻城戦(こうじようせん)。
 あまりに頻繁に起こるため、意味が幅広くなる。ざっくり言うと、敵の大きな拠点を攻め落とすこと。
 当然ながら守りは固い。しかも敵は移動しないために、地の利があって補給線を作る必要がない。
 成功するには、援軍、補給も含めて敵を蹴散らす兵力と軍略が必要だ。歴史の上で数えきれないほど行われたが、やりたくてやったヤツはいないだろう。成功が難しいからだ。

 

 包囲戦(ほういせん)。
 あまりに簡単に説明できるため、意味が狭くなる。単純に敵を味方で取り囲んで袋叩きにすること。
 成功すれば最も勝利しやすい。しかし、敵を取り囲める状態を保つために移動が多く、地の利もないところで補給線が絶たれる不安が常にある。しかも一カ所でも突破されればアウトだ。
 成功するには、敵と味方の位置を把握し続ける兵力と軍略、裏切らないという信頼、大量の補給、指揮官の名声、袋叩ける数が必要だ。歴史の上で数えきれないほど行われたが、やりたくてやったヤツはいないだろう。成功があまりに難しいからだ。

 

 

「今からやるんだけどね……」
 ジョーイ・ラスボーンはため息を吐く。
 現役アメリカ空軍横田基地所属、階級は中尉。
 見かけこそ若く細身の黒人だが、軍人としてのキャリアは約80年だ。
 その彼を持ってして、戦争をやりたくてやった軍人は世界に1人しか居ないと断言できる。
 空中に浮いたまま、ため息をつく。
 正確にはもう始まっているのだ。
 否。
 もう始まっていなければならない。
 数で勝る相手に包囲戦を行う。イカレた作戦はとっくに始まってしまっている。
『敵数と位置は?』
 地上を見下ろす。
 もう一度ため息をつく。
 バブル期に人気すぎてしまったせいで、少子高齢化が早すぎた住宅地。
 若者が一軒家を購入できない価格が保たれたまま、死んだ老人の空き家が連なってしまい。
 都が大型道路を建設し始めるも、住人の立ち退き拒否で工事はストップ。
 結果、四車線の道路の端が工事中の更地。反対側の端に、高級不人気ホテルの塔が立っている。その後ろに、びっしりと小さな一軒家がひしめく。バブルの夢だ。
 大型道路の長さは5キロ。
 ぽつぽつと灯っている人家の照明。死にゆく町のうらさびしさを感じる。
 更地に集う異形たち。あるものは鱗があり、あるものは角があり、あるものは牙があり、あるものは蹄があり、あるものは翼がある。皆、3メートル程度の巨体。
 悪魔。
「総数、位置ともに変化なし。士気が上がりきっている。進軍開始まで後1分もないだろう」
 ソロモン七十二霊!
『こちらの配置は?』
「予定通りにスタンバイしている」
『よろしい。ジョーイ、君は上空から自軍と敵の位置把握と報告、及び狙撃手への指示を。移動の判断は任せる」
 復唱。
 世界で唯一の戦争をやりたがる軍人が、なぜ自分と契約を結んだ悪魔なのか。
「了解。上空から自軍と敵の位置情報を把握し報告、及び狙撃手への指示をする。僕が移動することは随時自己判断する。現在位置は上空150メートル。塔(ホテル)の真上」
 メフィストの軍勢!
 更地から熱気が吹き上がる。
「ソロモン七十二霊、進軍開始」
『よろしい』
 インカムが全体通信モードに変わる。
『諸君、格好の夜だ』
 女王の命令。
『叩き潰せ!』
 塔から、バイクが飛び出した。

 

 真紅のスズキレーストロームが一直線にソロモン七十二霊に向かう。
 250CCバイクの騎乗者はライダースーツに身を固め、フルフェイスヘルメットの下から白いロングヘアーが見える。ぴっちりとしたスーツに、胸の膨らみが目立つ。
 唸るエンジン音。流れるテールランプ。
 突っ込んでくる獣型の悪魔。ソロモン七十二霊のうち、小型だが俊敏な連中。二体。むき出しの牙。むき出しの獰猛性。飛びかかる爪牙。
 スピン寸前に避けるバイク。アスファルトが悲鳴を上げる。外れた爪が家屋をえぐる。崩れ落ちる木造住宅。きらめくガラス片。空間にひび割れ。騎乗者の右手が、ひび割れから拳銃を取り出す。マカロフ。発砲。
 一体が汚らしい悲鳴を上げて転がる。もう一発撃ち込む。Dirt to dirt.灰は灰に! 悪魔の死体が飛び散り、灰となる。もう一匹、距離を取る。炎を吐く。騎乗者、距離を詰める。炎の中心に発砲する。灰(アツシユ)! 次!

 

 塔のスイートルーム。小さな灯りが一面に見渡せる。コール音が2回。メフィスト・フェレスは電話を取る。
『戦闘を中止しろ! まだ住民の大半が避難していない!』
 警視庁長官がわめく。メフィストは落ち着いて答える。
「避難指示は出した。昼間の、まだ公共交通機関が正常に運行しているときに」
『たった1回の避難指示で、全員が避難するわけないだろう!』
 メフィストは煙管を吸い、ふう、と大きく煙を吐き出す。
「その通りだ。大半の人間は突然の避難指示に対して、「この程度なら避難するほどの大事ではない」と判断する。迫る危機を過小評価することで、精神の安定を保つ。これは日常の不測の事態に対応するために人間に備わっている機能だ。正常バイアスという。正常バイアスがなければ、常に隣が恐慌状態という社会になってしまう。必要な機能だ」
「だが、正常バイアスに敗北する人間を、私は助けない。老人から嬰児(みどりご)まで、そのことごとくを鏖殺(おうさつ)する」
 塔の真下の駐車場。
 大きなひび割れが生まれる。
「征(ゆ)け」
 轟々たるキャタピラ。
 ヒトマル式戦車がひび割れから出発する。
 同時。
 ソロモン七十二霊本陣の前に、青い炎の緞帳が出現する。

 

 

≪空六六六ぷらす!≫
モブA「おい、モブAってなんだ」
モブB「唐突に始まったおまけだから、名前はないらしい。舞台は学園祭中の高校となっている」
モブA「ふむ。そこであそこに「メイド喫茶」の看板を持った呼び込みがいるわけか。いいなあ。アルビノ巨乳ハーフ美少女だ」
モブB「待て。そんなビジュアルのヤツがいる学園祭など、リアリティがなさすぎだろう」
ユキ「ハーイ、お兄さんタチ! おまけだから男子二人が女体化してるヨ。チャージも指名もタダのサービスデー! 一発おっぱいどうデスカ?」
モブA「学園祭にあるまじきおピンクな呼び込み!」
モブB「お前、ミナミに普通にいるだろ!!」
(つづく!)

 


 

2019/12/25

子犬5

 塔(ホテル)。
 壁一面がガラス張りのスイートルーム。
 眼下には二つの車両。
 青い炎に突っ込んでいく、真紅のバイク。
 炎の緞帳は怒りを噴き上げ、それは地上に火柱となって現れる。
 バイクは地上を旋回するようにカーブし、火柱を避ける。騎乗者が発砲する。弾丸を食らった獣がのけぞって火柱に飲まれる。肉をくべられた煙が上がる。バイクはまた旋回する。白い髪が火の粉になびく。
 反対方向では、戦車が一直線に家々を挽き潰していく。猛スピードのキャタピラは、灯りがともっている家にまっすぐ突っ込む。崩れる二階建てや三階建ての民家。瓦礫を粉塵と一緒にはねのける。
「マリュースクって人。敵が警戒するわけだね」
 迷いなき車両たち。その片割れを見下ろして、ユーリがつぶやく。
「あの扉を開けたときは、どんなバカかと思っちゃったけど」
 ユーリと納が閉じ込められた密室。
 あの扉は警戒心を持っている者には決して開けられず。持たぬ者にはすみやかに開く。そういう仕組みのトラップであった。無論、ソロモン七十二霊がしかけたものだ。
 あの住宅地めぐりは、トラップに引っかかりに行かされていたことになる。
 納は気にしない。ユーリは普段は気にしない、納なんかと行かされたから気にする、と主張していた。半泣きだった。しかし、今はすっかりしゃんとしている。
 すぐに心が折れるが、すぐに立ち直る性質のようだ。
「路の真ん中にいきなり現れた扉に警戒しないとか、ありえない」
「僕にはメイド服で戦うのもありえないことかなって思っちゃうんだけど」
 ユーリは不服を顔に出したが、すぐに理解した顔になる。
「ああ、スカート? 僕、ショーパンだから大丈夫だよ」
 めくって見せるスカート下には、プラスチックの使い込まれた銃。太ももに紅薔薇の刺青。ニーハイを留めるガーターベルト。
「パンツより見せちゃダメなものばっかり……」
「これだからルーキーは……。グロッグは信頼の証だよ」
 得意げに先輩ぶり。
「ユーリ! はしたないわよ!」
「すみません……奥様」
 一転。しゅんとする。
 まあ、なぜメイド服を着ているのはわかった。
「ねえ、メフィスト。最初からこんなにとばしていいの?」
 メフィストはクルミを手に取る。
「戦争はケチケチすると負けるぞ」
 鼻歌交じりに素手で砕く。
「あなたの得意技だったわね、メフィスト」
 ローザがクルミを皿に受ける。殻のみが完全に砕かれている。
「あら、ありがとう」
 中津が灰皿を殻入れに渡す。
「王の戦い方だわ。最大火力は最初にぶつける。最初に敵を”そなえ”まで引きずり出す。最初に与えられた大打撃を挽回するのは至難の業だもの。挽回するために戦争を引き延ばすか、降伏するかの二択になるわ。前者の愚か者には困りものだけど」
 納は首をこてんとかしげる。
「最大火力が通用しなかったら?」
 流し目が送られる。
「上に立つ者のやることは変わらんよ。落ち着いて座っているだけだ」
 部屋の温度が下がる感覚。
「さて、他の者たちは包囲戦だが」
 ゴシック調ドレスの女と、ドレス調ワンピースの老女は
「君たちは殲滅戦だ。敵はソロモン七十二霊ではない。悪魔に乗じて悪魔の女王を倒さんとするヴァチカンだ」
「このホテルに入り込んでいる、ヴァチカンの無粋な犬共を」
 自身の犬を
「鏖殺しろ」
「GO!」
 解き放つ。

 

 楽園部隊が盗み聞けたのは、そこまでだった。
 眼前の扉から、男が二人飛び出してきたのだ。
 なぜかメイドのような格好をした男と、8月なのにベストまで着用したスーツ男。
 メイドの方が糸を放つ。
 糸は楽園部隊の腕と指に、瞬時に絡みつき。
 黄金に光り。
 メイドの手袋の中で綾取(あやと)られ。
 絡みついた腕と指を鋭角に動かし。
 銃口を持ち主に向けさせ、発砲させた。
 廊下にひしめいていた10人ばかりが、わずか2秒で絶命したのだ!
「納、エレベーターに行って!」
「わかった」
 メイドは方向転換。背を向けて非常用窓に走る。
 スーツの方が楽園部隊に突進してくる。
 楽園部隊の発砲。
 楽園部隊専用散弾銃【カイン】が、隙間なく弾丸をスーツに浴びせかける。
 発砲。発砲。発砲。
 それでも、あの大男は、突進をやめない。
 撃ち込み続ける弾丸。男のあちこちから血が流れる。
 おかしい。
 なぜ倒れない? なぜ進める?
 疑問にとらわれかけた瞬間、最悪のタイミングで。
 楽園部隊は笑顔を見た。
 スーツの男は、目玉をかっぴらいたまま、口角を上げて笑っていた。
 恐怖。
「退避ィイイイイッ」
 銃声よりはっきり金切り声が聞こえた。
 楽園部隊の5名は、シースルーエレベーターに転がりこむ。
 狂ったように「閉」のボタンを殴る。
 スーツの男が、強化ガラスを殴る。
 嗤(ガチヤン)!
 ガラスを突き破って、男の両手が侵入する。
 安全装置作動。緊急停止。
 そのまま、ドアがこじ開けられる。
 銀色の刃。
 飛沫がガラスの中身を隠す。

 

≪空六六六ぷらす!≫
モブA「おお、メイドの指名数ランキングがある」
モブB「これは学園祭でやったら問題になるヤツだろう」
モブA「そして、あれに見えるはランキング1位」
納「おかえりなさいませご主人様ぁ?(たゆん) あっ(ゆっさ)、すみませんっ、コップ倒しちゃった……(おっぱいで)(ゆっさり)。すぐに拭きまわあっ(こけっ)(たぷん)」
モブA「擬音でわかる乳……! しかもドジっ娘眼鏡っ娘眼帯娘……!」
モブB「お前、巫女みこナース時代のエロゲにいただろ! ニニンがシノブ伝時代の深夜アニメにもいただろ! まったく、リアリティがあまりにないぞ!」
モブA「だが! 俺は指名するぜえ! 七竈納ちゃんカモーン!」
納「はい、いらっしゃ……じゃなくて……おかえりなさいまわあっ(こけっ)(ずっしり)」
モブA「ま、まさかの……。こけて飲み物を頭からぶっかけ……。大丈夫かB! ホットだったぞ!」
モブB「あ……ああ……」
納「ご……ごめんなさ……」
モブB「ありがとうございます!!!」
モブA「夢が叶ってしまった!」
(つづく!)

 


 

2020/01/12

子犬6

 カルバーニ合金糸(ごうきんし)が、男たちを絡み取る。
 迷彩柄カソックの屈強な男たち。暗視スコープで塞がれた目。
 ヴァチカン直属殺人集団【楽園部隊】。
 糸を繰りながら、カソックの死体を蹴り上げる。
 結婚式場の屋根に十字架。青いガラスをはめ込まれたそれに、死体が落下する。
「One,two,three,four,five!」
 死体を5体串刺しにしたところで、十字架はへし折れ、噴水に落下した。
 青いタイルを赤が覆い、ドス赤い水が噴き上がる。
 インカムで伝える。
「こちらユーリ・レッドローズ。庭園をクリア。残るは駐車場だけ。目視で確認、敵数は20」
『こちらジョーイ・ラスボーン。正確な敵数は23』
 インカムから訂正が入る。ついで中津よりメフィストの指示伝達。
『駐車場は坊ちゃんに任せて、屋上に移動しな』
「了解。ん?」
『どうしたね?』
「駐車場に民間人が入り込んでる。楽園部隊も気づいた」
『ふむ。どうする、メフィスト姐さん』
 向こうで即答があったらしい。
『捨て置けとさ』
「りょうか「もう無理だ! 道が通れない! じいちゃん、車じゃ無理だ! 走ろう!」
 大声が返事を遮った。見れば、自動車の中で民間人が言い争っている。逃げ遅れた付近の住民だろう。30歳ほどの男と、80歳近い老人。祖父と孫らしい。
「俺が走れるわけがあるか! 道を探せ!」
「道なんてないんだよ! 全部全部行き止まりだ! 走れないなら歩こう! 歩ける隙間ならあるかもしれない!」
 祖父はわめいた。
「俺は歩けないに決まってるだろう! こんなのはおかしい! なんで俺がこんな目にあうんだ!?」
 孫の線が切れた。
「昼は車も通れた! 電車もバスも走ってた! だから、昼からずっと逃げようって言い続けたんだよ! なのに、じいちゃんが「そんな大げさなことをしたら笑いものになる」って! 歩くのだって、走るのだって、僕は毎日ずっとじいちゃんが運動するようにがんばったじゃないか! どれだけがんばっても、どれだけがんばっても、こんな結果でおしまいなんだッ!」
 祖父は孫につかみかかった。口の端に泡をためてわめきちらした。
「お前なんかの何ががんばってるんだ! 正社員にもなれずに会社をやめて、あげく精神病院の世話になる始末! 親にまで見捨てられたできそこない! 勤続42年だった俺と、家賃すらも払えないお前と、どちらが正しいかなんて誰にでもわかる!」
 楽園部隊が自動車に近づく。この世にないはずの集団が、彼らを殺さないはずがない。
 孫は楽園部隊に気づく。殺されると気づく。
「お前の」
 祖父は気づかない。ゆでだこのように怒り、孫に拳を振り上げる。
 ユーリは噴水の陰で息をひそめる。生贄が食われている間に、屋上に離脱。そうプランを決める。
「お前がッ!」
 弓張りの月の方から、ガラスの音。
 塔の窓が割れる。
 七竈納が降ってくる。
 ホテルの灯りにシルエットがうつる。
 白銀(かたな)がきらめく。
 落下!
 着陸の際、靴底でフロントガラスを叩き割り。
 白銀を振り上げ。
 祖父の心臓に突き立てる。
 小さな赤い噴水。
 刃を回転させ、七竈納は告げる。
「あなたが、正しい」
 顔は返り血と左目しか見えない。
「だから、走れる」
「化け物ーーーーッ!」
 孫は悲鳴を上げ、運転席から転がり出る。
 楽園部隊が追おうとする。
 それを納は斬り捨てる。カイン散弾銃が効かないと判断し、楽園部隊はナイフを抜く。納に斬りかかる。打刀で受ける。もう一つのナイフは短刀で受ける。
 鍔迫り合い。
 納が不利だ。
「あいつはお前を「化け物」と言ったぞ」
 楽園部隊への返答。
「うん。今度会ったら殴ろうと思う」
 もう一人からのナイフが、納の脇腹を刺す。
 うめく。呼吸が荒くなる。
「でも、それとは別の話で。困っている人は助けるべきだ」
 鍔迫り合いの二人、脇腹を刺した一人。ナイフを抜いた全員の楽園部隊。
 腕力で、蹴りで、大音声で、はねのける。
「ただ巻き込まれただけのあの人か! メフィストの下僕のこの僕か! 優先順位はどちらが上だ!?」
 切っ先を向ける。
「鏑木流抜刀術、推参ッ!」
 インカムからジョーイの声。
『七竈納。負傷かつ民間人の退路を守りながら、庭園にて交戦開始』
 ユーリは思わず早口で問う。
「命令に変更は?」
 即答。
『変更なし。ユーリ・レッドローズは屋上へ移動しろ』
 ユーリは舌打ちし、小声で呟く。
「怪物め」
 カルバーニ合金糸を屋上に伸ばす。
 体内電気に反応し、自在に動かせるこの糸。
 蜘蛛の糸のように、上空から垂れたこの糸を巻き取り。
 ユーリは屋上に上がっていく。
 眼下に広がる血の池地獄。
『こちらジョーイ・ラスボーン。敵、空中騎兵型及び飛行型が進撃開始。数10。訂正、数13』

 

≪空六六六ぷらす!≫
モブB「大丈夫だから。うれしいから」
納「で、でも、そのシャツまっ茶色に……(ぽよん)」
モブB「大丈夫だから、家宝のするから」
納「でも……(ゆさっ)」
蛍「気遣いあざっす。でも、そういうわけにはいかないんで。弁償とか担任に相談しないとダメなんで。申しわけねえけど、ちょっと待っててもらっていいすか?」
モブA「金髪ぺったんこギャルメイドだ!」
蛍「そこのお前、職員室にひとっ走りしてきな。納は次の指名んトコ(襟首掴んで)。何? 紙コップ足りない? コンビニで買い足してこい。会計、金!」
モブA「ま……まさか……、あれは……」
蛍「(襟首掴んで移動しながら)あ? ボタン取れた? ちゃちゃっとつけっから体操着に着替えな。持ってるよソーイングセットくらい。ったくなんでどいつもこいつも俺に言うんだか」
モブB「メイド長だ! 彼女がいないとお屋敷は回らないんだ!」
モブA「しっかりしろ! あれはただの実行委員でもないのに一番働いてしまう女子高生だ! いいか! 女子高生だ!」
モブB「……いや、女子高生でもおかしいよな?」
モブA「突然本編を思い出すな!」
(おわり)

 



2020/01/13

子犬7

 観測位置さらに上昇。
 ポケットに手を突っ込んだまま、ジョーイは報告を続ける。
 もはや人間は豆粒程度にしか見えない。業で飛んでいなければ凍えて落ちるだろう。
「七竈納の状態、観測不能。確認した段階では負傷著しく、もって10分と予測」
 命がもって、という意味を汲んだ「よろしい」の返事。かみ殺した「救われないバカだね」も汲んでいるだろう。
 メフィストが直接通信に出た。つまり中津が七竈納の「替え」となるために移動中だ。
 少数精鋭という単語の聞こえはいい。しかし、それは一人でも欠ければ破綻するという意味でしかない。
 人は、必ず欠ける。
 想定外のアクシデントは、いつか必ず起きる。それで欠ける。
 忠誠心が強ければ、想定外のアクシデントには死兵となって対応するだろう。死兵は強い。失うものがないのだから、どんな無理でも無茶でもやる。
 だが、一度死んだ者は使えない。
 肉体が生き残っても、死兵は二度使えないのだ。一度死兵となったなら、もう戦場では幽霊でしかいられない。
 そして、忠誠心がまともである場合。想定外のアクシデントへの対応は決まっている。逃げる、寝返る、勝手に旗を巻く。それが人間の証である。
 だから、メフィストは常に「替え」を用意しておく。
 中津礼二は「替え」の男だ。
 戦闘能力を火力に限定した場合、中津礼二は際立って低い。肉体年齢も五十路、老兵の極みだ。一人前の戦力ではない。
 しかし、一人前でなくてよいのなら。誰かが途中までは済ませているのなら。
 中津礼二はオールマイティに「替え」となれる男だ。
「替え」は「余裕」だ。破綻がすぐ隣にあれば、判断力と忠誠心を損なう。連携がとれない。内輪もめばかりする。余裕がない軍は、弱い。
 またしかし。
 極論をいわば兵力とは数である。人数、訓練数、補給数。下手な鉄砲でも数が多ければ当たるのだ。腕利きのガンマンが1人いるより、下手くそが100人いた方が兵力が高い。
 その数が圧倒的に少ない状態で、「替え」を常備するのがメフィスト・フェレスだ。
 兵力が発揮できるかは指揮官で決まる。
 メフィスト・フェレスは、劣った兵力を補うため、「余裕」を作れる指揮官だ。
「あの女とやりあうのは、しんどいな」
 観測を続ける。
 塔(タワー)屋上ヘリポート。
 粛々と青い緞帳を抜け、騎兵隊が空を進軍してくる。
 無論、馬ではない。翼、牙、鱗、四つ足ですらない者も多く。騎ではなく本人が飛べる悪魔なのがほとんどだ。
『ユーリ、撃墜しろ!』
『了解』
 ブルーシートが取り払われる。屋上に備え付けられた軽機関砲。
 メイド服の少年が空に矛を向け。
 吠える。機関砲が火を噴く。
『近づけるな。墜とせ。墜とすだけでいい』
 轟音。砲声と吠え声。ちらちらと青い炎を吐く悪魔。被弾し悶える蛇腹。灰化はしない。撃墜。地響き。下敷きになる家家。消える灯り。撃墜。地響き。撃墜。地響き。
 地上で悶える醜悪な悪魔。かつて家だった赤い血だまり。住民が遺した火の手が上がる。
『蛍、狙撃開始!』
『あいよ』
『ジョーイ、指示しろ!』
「了解。妙高蛍にターゲットを指示する」
 観測結果を使用し、逃がす敵と仕留める敵を判断。
「九時、逃がせ。十時、撃て。八時、撃て。七時、逃がせ」
 返事はない。淡々と蛍は地上の進軍者を撃ち続ける。ミスなし。狙撃地点に伏したまま、的に当て続ける。ときおり装填の間。プロメテウス(仮)はボルトアクションライフルのため、装填数が少ない。
 当たった者は悶える。逃がれた者はなぜ逃れられたのか知らない。
 灰化は遅い。いい傾向だ。味方の苦しむ声は毒ガスの一種なのだから。
「乱れてきたぞ」
 ソロモン七十二霊が二手に分かれだした。青い緞帳に戻ろうとする者と、反対側のマンションに向かって急ぐ者とだ。
 その通り。二手にしかわかれられない。
 メフィストは昨日、納とユーリを使って「警戒心を持つと開かない扉」のトラップを半分以上破壊している。一度トラップが突破された場所に、もう一度来る者はいない。そこは敵によって別の何かがしかけられていると考えるからだ。
 だが、メフィストがしかけたのはそこではない。
 メフィスト本人がしかけたわけでもない。
 悪魔の技術では、トラップはしかけた側の者に作動しない。
 そして、メフィストは、一分のトラップを破壊していない。
 それが「わざと」と知らないソロモン七十二霊たちは、トラップが破壊されていないルートしか進めない。
 結果。
 このホテルを中心とした大道路に、ルートを限定されてしまっている。
 限定されたルートに、空からの砲撃と地上への狙撃。
 攻める城(ホテル)には、元来敵対関係だったヴァチカン楽園部隊。
 城ごと破壊するには、名前通り小さすぎるソロモンの小さな鍵。
 袋だたきにするのに、殺す必要も全員捕らえる必要もない。
 戦えない程度まで負傷させ、一人では反撃できない弱者は逃がす。逃げられると思えば、兵は戦うより逃げるものだからだ。逃げた者の攻撃と連携の穴、そこから軍は崩れ出す。
 孫子曰く。
 善く敵を動かす者は、之に形すれば敵必ず之に従い、之に予うれば敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、本を以て之を待つ。
 こちらの弱点。敵の狙いと本陣を同一の場所にし。それは目立ち移動できず。数では圧倒的に不利。気づかないトラップはどっさりあり。しかも別の敵が本陣に侵入している。
 メフィストは弱点を露骨に見せつけることで。
 少数で多数を包囲せしめた!
「完全に乱れたぞ」
 ソロモン七十二霊は、ついに壊走を始めた。
 ジョーイは敵の思考をトレースする。
 が、壊走しようにもどちらに逃げていいのかわからない。
 本陣の青い緞帳には、既にバイクが飛び込んでいる。メフィストの軍勢が進軍するなら、行き先は本陣に決まっている。ただし、バイクの騎乗者はユキ・クリコワしかいないだろう。白髪と体型でわかる。彼女は火力が低い。
 反対側では、戦車が家々を挽き潰して一直線の突進を続けている。灯りのついたリビングに突っ込み、突き破り、ぺしゃんこにして突き進む。目前に高層マンションが迫っている。この目的不明で無鉄砲な暴走は、マリュースクによるものだろう。
 メフィストの軍勢で、顔を出していない者は彼だけだ。
 逃げるのなら通常戦車方向に逃げる。メフィストの軍勢が本陣を潰している間に、逃げ切れる。ただし。
 マリュースクは人類でもっとも強い。軍勢の最高火力だ。
 どうする? 思考は乱れる。どちらが安全だ?
 彼らの混乱が眼下に見える。
「どうかベストな判断を」
 散々メフィストを賛美したが、こちらも綱渡りが継続中なのだ。隣に破綻はないが、紙一重に死がある。
「クソババアめ」

 

≪空六六六ぷらす!≫
納「ユキー、下着で外出しないでよぉ」
ユキ「下着じゃないヨ! 失礼ダネ!」
納「だってタンクトップと短パンしか着てないじゃないか」
ユキ「納……。私のニューファッションを受け入れてくだサイ。そしてこの現実を受け止めてくだサイ……」
納「な、何?」
ユキ「関東の夏、めっちゃ熱イ」
納「……」
ユキ「京都の梅雨よりマシかとおもってましたケド! どっちもフツーに道産子殺しでしたヨ! 暑イ! 本気でみんな下着でいい思ウ! 服着てるだけでほめてホシイ!」
蛍「まあ、確かに暑いしメイク落ちて困るよな。せめて短パンじゃなくてホットパンツって言ってやれよ」
ユキ「かばう単語がしゃらくせエ! 何がメイクダ! 厚化粧って言エ! こっちも短パンでいいカラ!」
蛍「何おあいこみたいに言ってんだ、かばいがいがねえ! どこで買ったんだよその気合いゼロのタンクトップ!」
ユキ「誰でも知ってる大手メーカーの代表作をバカにすんなヨ! グンゼのメンズタンクトップだよ!」
納・蛍「下着じゃん」


2020/02/18

シロクマ

 かかるか?
 ジョーイは観測を続ける。
 かかるか?
 戦車はキャタピラを唸らせ、一直線に突っ込んでいく。
 否。一直線にしか進めないのだ。
 操縦者が1人しかいないのだから。カーブなどできるはずがない。
 高層マンションが目前に迫る。
 あれは戦車でも挽けない。
 戦車の方が、潰れる。
 かかるか?
 綱渡りの綱はたわみ続ける。
 ソロモン七十二霊は決意する。
 本陣に戻る!
 本陣の方が安全だ!
 最高火力マリュースクより、小娘の方が安全だ!
 彼らは走る。
 こけつまろびつ本陣に戻る。
 刹那。
 青い緞帳が爆ぜる。
 ソロモン七十二霊が本陣が全滅したのだ。
 青い緞帳は青い火の玉となる。
 くるくると闇を踊る。
 青い火の玉に赤いバイクが照らされる。
 騎乗者は傍らに立っている。
 ライダースーツから、胸当てを引っ張り出し放り出す。ばらばらと詰め物が落ちる。
 ヘルメットも投げ捨てる。貼り付けられていた白髪がヘルメットから外れる。
 ブロンドにブルーの三白眼。小柄で細身、女に化けられるほどに。
 最強の男、最大火力。
 マリュースク!
 ジョーイは空を下降する。軍勢たちの姿がはっきり見える。
 マリュースクはキャノン砲【ナヌーク】を構える。
 これからだ。
 砲口は高層マンションに向けられている。
 戦車が3階立てのビルをなぎ倒す。
 かかるか?
 ソロモン七十二霊の壊走の早さは、上官からの指示が届きにくかったことが原因だ。
 正確には、上官というものが存在しない。
 全員が横並びに対等で、”一応”指示役を担う者が1人いるだけ。
 そのため、すぐにめいめいが勝手に行動し、指示役は指示内容をさばききれなくなってしまった。
 かかるか?
 戦車はマンションに衝突しようとしている。
 今が、ブレーキがきく最後の瞬き。
 しかし、出てこない。
 かからないか!
 戦争の勝利は、相手が敗北交渉のテーブルに着くことで成り立つ。
 無理か?
 もう、戦車がひしゃげる紙一重だ。
 出てこないか?
 交渉人を担える者は指示役しかいない。
 指示役が死ねばまずい。それぐらいは連中にもわかる。
 指示役は全体を見渡せる場所にいないと困る。それぐらいは連中にもわかる。
 終わるか?
 だから、マンションに指示役は潜んでいる。
 出てきてくれ!
 ソロモン七十二霊指示役、ベリアル!
 ユキ・クリコワを見る。
 戦車の窓からわずかに見える顔。
 戦車がぶつかる。
 否。
 あの顔はこう言っている。
 貴様をファックしてやる。
 急激に加速させる。
 戦車をぶつける。
 マンションのコンクリートが砕ける。
 潰れながら戦車はマンションを突き抜ける。
 崩落。
 根元からマンションがひしゃげていく。
 轟音。
 マンションの屋上を突き破り、炎の車輪の馬車が飛び出してくる。
 騎乗者。天使のように美しい男。標的。
 悪魔【ソロモン七十二霊】ベリアル!
 マリュースク、標的を捕える。
 船舶撃沈用キャノン【ナヌーク】の、引き金を引く。
「Я буду тон’ую!(沈め!)」
 砲声。
 月下にきらめくナヌークの一撃。
 鼓吹の一撃。
 炸裂、爆裂、破裂!
 ベリアル、撃墜。
 ついでユキからの通信。
「ハーイ、元気ダヨー。でもちょーっと疲れたから、瓦礫どかすの手伝ってヨ」
 ジョーイは舌打ちする。
「あの男にそっくりな顔だったな」

 

 スーツケースの鍵を再度チェックする。
「奥様、タクシーがそろそろ到着します。お支度はお済みでしょうか?」
 ローザは「ええ」と、微笑を浮かべる。
「納の負傷具合から鑑みるに、防弾繊維は改良が必要です」
 ローザはスマートフォンを取り出そうとしたが。
「移動中にすればいいわ」としまった。
「ユーリ、あなたから見ての改善点はどう?」
 代わりに煙草を取り出したのを見て、ライターを点ける。
「そうですね。まずは重量です。現段階で、あれはスーツ型で柔軟性のある鎖帷子でしかありません。約30キロを常に身に纏うのは、パッケージと変わりがありません」
 煙草に火をともし、離れる。
「第二に、確かに弾丸は通しませんが。当たれば結構な痛みがあります。打ち身系統の負傷もします。現に納は全身打撲で瀕死状態になりました」
 パチンとライターの蓋を閉じる。
「最後に。一番重要なことですが……。真夏にあんなに着込んだら暑いです」
 ふふ、とローラは少し吹き出す。
「それらをものともしない七竈納は、ずいぶん頼もしいと思わない?」
「そんなことありませんよ! 持ち場を離れて勝手な行動するし! 笑顔の特訓とか言ってますけど、血みどろでニヤニヤしてるのは怖かったし! 僕はあんなヤツのお守りなんて二度とごめんです! そうです! あれは共闘じゃないです! お守りです!」
 懸命に言いつのる。も、ふいにふりむく。
 カルバーニ合金糸を繰り出す。
 ドアを乱暴に開ける。
 カソック姿の男が糸に絡め取られている。
「楽園部隊か?」
 男はバカにしたように口角を上げる。パープルアイを細めて嘲る。
「スカートの下に糸を仕込んでいるのか。なるほど。またぐらも武器に違いない」
「何者だ!? 答えろ!」
「ヴァチカンへのメッセンジャーボーイだがね。メフィストの軍勢はソロモン七十二霊と講和したか?」
 ローザはテーブルを支えに立ち上がる。
「なら、今すぐ報告なさい。さあ、通信で私の声を届けるのよ」
 男をいましめる糸が緩む。自由になった手でスマホを取り出す。
「メフィストの軍勢はソロモン七十二霊と講和。講和条件は、ソロモンの小さな鍵の完全封印。及び、ベリアルがメフィストの軍門にくだること」
「音声をそのまま伝えた。ヴァチカンは以降、メフィストの軍勢のみを相手にする」
 ローザは背筋を伸ばして、男を見る。
「ご苦労様」
 ローザのスカート下から伸びた糸が、男の首を跳ね飛ばす。

 

≪空六六六ぷらす!≫
ユキ「マリュースクって免許持ってたデス? 意外でした」
マリュースク「免許が私に必須なのですか? 意外でした」
ユキ「必須ダヨ!? え、じゃあ、あのバイク無免で乗ってたデス!? あの一人カーチェイスを無免デ!?」
マリュースク「何か問題でも」
ユキ「全部問題ダヨ! っていうか、あのバイク誰のデスカ!?」
マリュースク「私のものですが」
ユキ「ええー……。免許証確認ないところで買ったデスカ……」
マリュースク「確認? そんなものありませんでしたが。なんだか大きいショールームに行って」
ユキ「んん? ショールーム? かたぎの気配がしますヨ?」
マリュースク「バイク見ながら待っていたら、ジョーイが領収書とあのバイクを持ってきてくれましたよ」
ユキ「……。マリュースク……、あの人のこと嫌い嫌い言うわりに生活頼ってますよネ……」

 



2020/02/18