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ハードボイルドダークファンタジー多め。銃と刃がrock 'n' roll! 超重量級の物語。 毎月最初の金曜日更新

壱 ねぶり殺して下さい

 風は血に薫る。
 とっくに動かなくなった心臓に更に刃が突き刺さった。くるり、と日本刀を回転させると、すーっと柔らかい臓器に円が切り取られるのが分かる。刀を引き抜くと同時に、ぽっかり空いた孔から鉄砲水のような血が噴き出した。
 暑い夏に水遊びではしゃぐようにその血を浴びた。
 否。
 はしゃぐようにでなくはしゃいでいた。
「うぞうぞするなあっ」
 血を全身に浴びながら、声を上げて。

 

 時は文久三年九月。島津久光入京決定のニュースが巷に飛び交った。なれど京の庶民の関心事はこの噂の方が上回った。
「飴買い幽霊に憑かれた者は殺される」
 怪談系の噂なるものは大抵が「知り合いの知り合いが体験した話」で、真の当事者というものは存在しない。また飴買い幽霊の話は四十年後小泉八雲が著作「怪談」に記すほど当時としてはベタなネタであった。
 話と云うのは、飴屋の主人が店仕舞いをした後、青白い顔の女が店を訪れる。一文渡して飴を売ってくれと頼み込み、店主が飴を渡すと帰る。それが六日続き、七日目、女は金を持っていないが、どうしても飴が欲しいと懇願する。店主は飴を無料で渡すも不審に思い、女の後を付ける。はたして着いたのは墓場であった。新仏の墓の上で女はふっと消える。怯える店主が逃げようとすると聞こえる微かな赤ん坊の声。震えながら耳をそば立てると、その新仏の墓から泣き声はするではないか。墓を掘り返せば棺桶の中にその飴をねぶっている赤子が泣いていた。その赤子を抱いているのは、飴を毎夜買いに来ていた女。寺の住職が申すには、この墓には孕み女を埋葬したのであるが、その女が死して子を産み、赤子を死なせまいと三途の川の渡し賃に持たされていた六文銭で飴を買って赤子を育てていたのであろう。
 というのがストーリー。
 そんなベタなネタであるのにこの噂が大いに京を賑わせたのは、飴を売った店主、飴で育てられた赤子が存命しているという事実。そして、人が死んでいるという事実。
 最初の犠牲者は祇園の宿屋、故宮屋の主。
 彼はどうにも歯が痛かった。放っておいたが暫くすると腫れてきた、観念して番頭を呼び、見させる。
「ははあ……虫歯でんな」
 番頭は苦笑する他無かった。そのぶっくりした歯茎の端っこに見事な虫食い歯。
「いつから放っときはったんどすか?」
 宿主は――本当に虫歯菌の宿主となっている――苦みきった顔で答えた。
「三日や」
「三日でこないなりまへんやろ」
 更に苦み切った顔になった。
「一月や」
「一気に十倍どすか。大盤振る舞いやなあ」
 店主の眉間の皺が更に深くなり、番頭は軽口を止めた。腫れた顔で大口を開けて苦み切った表情をする宿主に大爆笑を堪えるのに必死であったが。
「鏡を見てくれなはれ。えらいことなってますで」
 姿見に掛けた布を取り外す。
「見やへん。見たら余計痛なるわ」
 いつもは厳しいおっさんがそっぽを向いて膨れっ面(反意図的に)をしているのに再び来る爆笑のウェーブ。痛くも無い歯を喰いしばって鏡に視線を戻す。途端に爆笑とは真逆のウェーブが来た。
 鏡の向こう。すなわち後方の開いていた障子の隙間を女の胸から下が埋めていたのである。白い足が白い着物からだらりと垂れさがり、揺れもせず、障子の一番上の部分に膨らんだ胸が位置し、それより上は壁に隠れて見えなかった。番頭はようやくある事に気付いて悲鳴を上げた。
「ひいいいいいいッ」
 この部屋は二階だったのだ。
 翌朝、宿の裏で店主の斬り殺された死体が発見された。
 二人目の犠牲者は剣術道場師範。
 彼が稽古後に握り飯を食っている最中。弟子の一人が悲鳴を上げた。
「うわああッ」
「おい、如何した?」
 真っ青な弟子に声をかけると、指を外の竹藪に向ける。
「女が……居ました」
「は? それが?」
「女が……竹藪に居ました?」
「だからそれが如何したというのだ!」
 弟子は絶叫した。
「女が竹の幹を飛び跳ねて行ったんですよオッ! 白い着物の女がッぴょーいぴょーいと」
 その夜、師範の斬殺死体をその弟子が発見した。場所はその竹藪であった。
 三人目と四人目は十手持ちと子分であった。
「うーさぶさぶ」
 飲み屋の親父が銚子を二人の前に置く。
「どないなってますのや? 飴買い幽霊は」
 猪口に酒を注ぎ、一気に呷る。ごくり、と喉仏が上下した。
「どないも何も、何も分からん。殺される現場は誰も見てへん。……幽霊の姿は見た見た言うてるが、実際に見たのは二人。何も分からんわい」
「憑かれると、殺されるんやてな」
「……うん」
 十手持ちの手が銚子にぶつかった。ごてん、と倒れる寸胴な陶器。
「あーあ、もったいない」
 親父が手拭いを出し拭こうとした手が固まった。
「どうした?」
「そ、そこ、そこ!」
 必死に指さす方向を二人は見た。
 薄汚れた路地。店の提灯だけが乏しい灯り。それだけ。
「何やねん」
「おった……」
「は?」
「幽霊がおったああッ」
 二人の顔面は蒼白となったが、言葉を絞り出す。
「何も幽霊と決まっとらんやろ」
「幽霊や!」
 再び路地を指した。
「あそこ行き止まりやねんで! わし一秒か二秒しか目え離してへんで!」
 その帰宅途中、十手持ち二人は殺害された。

 

「その死体の横に、全てこの飴が落ちていた、と」
 猪熊(いのくま)は飴を見遣り、ついで隣の男を見遣った。
 狩衣を纏い、烏帽子を纏ったこの男が猪熊は如何にも苦手だ。一つはきっとあの色眼鏡のせいだろう。目が何を言っているのか分からぬのに口元だけ常に笑っている。如何にも読めない。
「さいです……。わしゃあ怖くて怖くて……」
 飴屋こにしき、の店主は座布団の裾をぎゅっと掴んだ。
 ひょい、とその飴を抓んでみる。金太郎飴の要領で文の字が入った飴だ。ころころと掌で転がしてみるも、何の変哲も無い飴である。
「どうぞ食べて下さいよ」
「……」
 死体の横に落ちていた、と説明をされた後では食う気がしない。そもそもこの狩衣の男、慶庵(けいあん)が飴を買った訳でもない。
「で、噂の通りですね。子育て幽霊の話は」
「はい……」
 飴屋はぶるり、と体を震わせた。
「確かに昨年の八月……あの噂通りに女がこの飴を買いに来ました……。一文ずつ……毎晩……」
「で、七日目に後を付けた、と」
「はい……。いえ、後を付けるのは口実で、本当は……そのお」
「ああ、夜遊び」
「も、申し訳ありません。陰陽師様はそんな事……」
「ご安心ください。私は坊主じゃありませんので、花柳は大好きです」
 そう、この男は陰陽師と名乗っている。幽霊に怯えている飴屋に「お祓いを致しましょう」等と言って上がりこみ、まんまと依頼を取り付けた。胡散臭い事この上ない。
「それで、墓場に赤子は居たと」
「はい……。ですが……」
 慶庵の口角が釣り上がる。
「女は消えたのでは無く、普通に歩いて新仏の墓を通り過ぎた。赤子は墓の上に寝かされていた」
「な、何故それを!」
「私は陰陽師ですよ?」
 飴屋の皺だらけの顔が色眼鏡に映る。
「造作も無い事です」
「それで……」
 猪熊は口を開く。
「赤子は今如何している」
「養子に行きました。中々子が出来なかったお武家の」
「そうか……」
 色眼鏡が今度は猪熊を映した。ぐっと顔を近づけて
「安心したご様子」
と言ってまた離れる。
「陰陽師様……。わしゃあ、祟りを受けるんでしょうか」
 飴を一つ手に取る。
「この飴、一文にしては随分凝ってますね」
「は……ああ……それは文久に年号が変わったとき記念で作りましたんで、一文取る事は取りますが、ぎょうさん買ってくれはった方へのおまけみたいな物です」
「ほう……ご主人、死ぬのは、後二人ですよ」
 ぽかんと開いた二つの口に、繰り返す。言い含める様に。
「飴買い幽霊は後二人殺します」
「そ……それは……」
「何故だッ」
「大きい声を出さんでくださいよ、猪熊さん」
 わざとらしく耳を塞ぐポーズを取る。
「足りないんですよ。三途の川の渡し賃がね」
「は……?」
「要するに追剥なんですよ」
 さっぱり話が見えない。
「その女は三途の川の渡し賃に、棺桶に六文入れて貰ったでしょう。それを飴代に使ってしまいましたから、三途の川が渡れなくて成仏できない。だから通りすがりの他人を殺して一文ずつ奪っている。一文無くなってても誰も気付きませんからね。でも気が小さいから一気に六文持って行く事が出来ないんですよ。盗みは悪い、と思ってますから」
 気の小さいのに人殺しを? 盗みはいけないのに? 第一
 殺されたのは通りすがりの者ではない。
「如何しました? 変な顔をして」
「あ……いや……」
 口ごもっている間に、慶庵は懐から一文銭を取り出し、紙に包んだ。
 とん、と飴屋の前に包みが置かれる。
「これにこうお書きなさい。『この銭差し上げる』と。さすれば命は取られますまい」
 いや、この飴屋は殺されるはずが無いのだ。
「あ、ありがとうございます」
「いやいや、こちらとしても金子を頂くんですから、ありがとうございます」
 飴屋が礼金包みを取り出す。慶庵は受け取る。
「後二人死んだら、その銭は持ち歩かずとも結構です。それまで肌身離さず持ち歩いてください」
 顔の皺がまた暗くなる。
「死人は止められまへんか……」
「ええ」
 すぐさまの回答であった。
「確実に後二人死にます」

 

 ぎい、と木戸を開く。この家は人家や店の空白地帯に立っていた。木戸が軋む音に気付いたのだろう。若い娘が飛び出して来る。
「おっかえりーっ」
 薄紅の桜を散らした模様の振り袖、烏の濡れ羽色の黒髪を桃割れに結っている。そして、椿の形の簪。歳は十六、七か。真っ黒くぱっちりとした瞳が印象的だ。
「ただいま。お恋(こい)」
 慶庵が頭を撫でてやりながら「お土産ですよ」と先程の飴屋から貰った(せしめた)袋を渡すと、満面の笑みとなった。
「飴がいっぱいっ」
「いっぺんに食うなよ」
 ぬっと家の中から大柄な男が出てきた。筋肉質で髭面の男。名を赤燕(せきえん)。
「しないよう。僕はこれでも計画性を人に考えて貰うんだぞっ」
「いや、それは計画性が無いって事だろう」
「考えて貰うという計画を立ててるもん! ねえ、それより慶庵、今日は飴屋さんを騙してきたの?」
 頭が痛そうに手を当てる。ついでに烏帽子を脱ぐ。
「お恋……人聞きの悪い……。安心料ですよ。平穏さを販売したんです」
 思わず声を上げた。
「あの説明は全部デタラメだったのか!?」
「当然でしょう。三途の川の渡し賃が無いから追剥する幽霊なんているわけありませんよ」
 あんまりな開き直り方だ。胡散臭いというより丸っきり詐欺ではないか。
「それより猪熊よう、千鶴が呼んでるぜ。いつまでも間抜けなツラしてんなよ」
 赤燕が家の中を親指で指した。
 全身脱力しつつ中に入ろうとするとお恋が袖を引っ張る。
「……何だ?」
「あのね」
 少し眉を寄せて「ちょっと頭下げて」のポーズを取る。菓子袋は抱えたまま。
「何だ?」
 背伸びをして耳元でぼしょぼしょと囁く。
「あのね。怒っちゃ駄目だよ。真剣なんだから」
 誰の事かは直ぐ分かった。
「お前のお姉さんが真剣に何かあるのか。怒らん。絶対に怒らんよ」
 耳元から顔を離し「良かった」と微笑む。「いってらっしゃーい」と大きく手を振るのに、家に入るのにいってらっしゃいも何も、と苦笑した。

 

 目の前の女はきちんと座布団に正座して待っていた。薄青の着物には、今は見えぬが裾に紫陽花の模様がある。肌は陶器のように白い。蜜色の髪を後ろで縛り、細い体を姿勢よく正している。
 美しい。美しいが得体が知れない。この女だけではない。この家に来てひと月経つが、住人の全てが得体が知れない。解っているのは慶庵が陰陽師である事と、お恋がこの千鶴(ちづる)というの妹である事のみ。赤燕の生計の元も知らぬし、千鶴やお恋も誰の妻でもない。千鶴が家事全般をこなしているが、下女という訳でも無い。むしろこの家の家長のような態度だ。自分はきちんと身分を向こうに明かしているも同然であるというのに。と、此処を紹介した高杉晋作の言葉を思い出す。
「討幕なんて考えてる奴らだ。一癖二癖以上は覚悟しておけ」
 瞳が開かれた。切れ長の瞳はやはり蜜色。その目がこちらを見る。考え事を止めこちらも見返す。見惚れて。
「そなた」
 言葉にはっとし、慌てて「何だ」と返す。千鶴は淡々と言葉を紡ぐ。
「そなたが辻斬りをしているのではあるまいな」
「は……?」
 唖然とする。思わず傍らの刀を掴む。無礼討ちをする気はない。
「……何故そう思う?」
 目の前の顔が俯いた。
「全て……そなたが出かけた晩なのだ。飴買い幽霊の人殺しが出るのは」
「それは……偶然だ。たまたま三夜ともかち合ったのだ」
「斯様な偶然があり得るのであろうか」
 冗談ではない。やってもいない人殺しの罪を着せられて堪るものか。
「俺はほとんど毎晩出かけているだろう」
 心を抑え、安心させるよう、優しく。
「ああ。高杉先生の紹介でそなたが参られた。故に疑いたくはない。なれど……幽霊の仕業等と……」
 頼りなげに瞳が揺らぐ。ごくりと唾液を呑み込んでその肩に手を伸ばそうとする。
「ねーねー飴美味しいよ。一緒に食べよう」
 いきなり襖が開いた。
「お恋……」
 小娘は嬉しそうに色とりどりの飴を出す。邪魔をしたという自覚は無いようだ。
 ぼそり、と千鶴が呟いた。
「せめて……誰か下手人の顔でも見てくれたら……」
 次の犠牲者の顔なら知っている。
「千鶴はあくまで下手人に拘るのだな。真の幽霊がやっているやも知れんぞ」
 わざとおどけた調子で言うも返ってきたのは無言であった。
「幽霊? 猪熊のおじちゃん、気をつけてね」
 お恋が千鶴の背中にべったり張り付きながら注意を促す。如何気を付けろと。
 否。
 今宵俺が飴買い幽霊を倒しに行くと知っているのか?
 そんなはずはない。
 頭に浮かんだ考えを打ち消した。
「千鶴、お恋、安心しろ飴買い幽霊はお前達を殺しはせぬ」
 あの一件に関わっていないのだから。
「それに次で殺しは終わる。下手人は返り討ちに遭う」
 二人相手だ。二人とも免許皆伝の腕前だ。負けるはずがない。
「そなた……何故言い切れるのだ?」
 はっと我に帰る。喋りすぎてしまった。この二人を関わらせてはならない。
「千鶴。さっきの今だが、今宵も出かける」
「何処に行くの?」
 お恋に笑い返した。
「秘密、だ」
 千鶴は俯いたままであった。
 ああ、俺はまた、恋をしている。

 

 その長屋の門を叩いたのは半年振りであった。
 開けると物が少ない癖に乱雑というある意味難しい状態の部屋である。
 部屋の主は部屋と同じく着流しを乱した乱雑な風体で寝転がっていた。
「おい、起きろ七瀬」
 乱雑な男はぼおりぼおりと腕を掻きながら上半身のバネだけで起きた。
「何だ猪熊。用事なら他を当たってくれ」
 何だと問うた癖に他を当たれという。
「お前でなくては駄目なんだ」
「勘弁してくれ。ん……?」
 しげしげと七瀬はようやくこちらの異様な風体を見た。
「芸人の手伝いなら勘弁だ。俺は大根だから」
 猪熊の着物にはびっしりと札が縫い付けられてあったのだ。
 お恋発案である。
「飴買い幽霊なんでしょっ幽霊は避けないと駄目だよ!」
 の一言から赤燕が
「札でも持って置くか」
と笑いながら言ったところ
「じゃあ私が作りますよ」
と慶庵がその場で紙に何やら札の模様を書き出し
「お願いっ」
とお恋に頼まれ千鶴が着物に縫い付けた、という訳だ。お恋は裁縫もできないのか、と好奇の目を受け流す。
「とにかく来てくれ、此処じゃ拙い」
 七瀬がのろのろと立ち上がり、刀を握るとにやりと笑った。
「お前、また誰かに惚れただろう」
「馬鹿を言うな」
 とっさに返したが声が上ずっていた。
「惚れたな? 惚れただろう? 惚れたと言え。俺はべた惚れの種馬ですと言え」
「ちょっと待て最後のは言う必要ない!」
「結局惚れたんだな」
 溜め息を吐いて白状した。千鶴が頭に浮かぶ。ほっそりとした白い手。切れ長の目。
「惚れたよ」
「ほら見ろ! 態度で分かる!」
「何が嬉しいんだお前は!」
「嬉しくも何とも無いがその惚れた女の訳分からん趣味の格好をしているのは見ていて面白いぞ。馬鹿丸出しで」
「馬鹿丸出しは余計だし惚れた女の趣味でも無い! 女の妹がやったんだ! 正確には案だけ出したんだ!」
「ほーう、姉妹どんぶりか」
「違うわッ」
 へらへえらと七瀬は立ち上がった。
「まあ、その恰好で何をしに行くのかは察しが付いた。俺もそろそろ片付けねばならんと思っていたところでだ。何せ、俺の側にも出たらしい」
「そうだろうな」
「明らかに俺達を狙っている。飴買い幽霊は」

 

 夜道をぶらりぶらりと歩く。隣を鴨川が流れている。ざざ、ざざ、と水音。
「で、どんな女なんだ」
「気位が高い。不機嫌か無表情かどちらかしかない」
 真似をする訳ではないが、無愛想に答える。
「……・相変わらずそんな女が好きなんだな。で、妹は?」
「何で聞くんだ?」
「美人の妹なんだから美人だと思ったんだが」
「どちらかというと可愛いな。明るくて「猪熊のおじちゃん」なんて呼んでくる」
「ふうん。一度会ってみたい」
 ぴたり、と二人が足を止めた。
 ざっ
 水音が音を変える。
 七瀬の刃が振り下ろされた刃を受け止めた。そのまま相手を弾く。
 遅れて猪熊も抜刀した。
 たん、と相手が着地した。
 黒の着物の袖に、小さな椿の刺繍が一つ。目深に被った編み笠の下から一つ結びの黒髪が覗いている。
「あーあ」
 編み笠の下から声がした。
「今夜でこの殺しは終わりかあ……やだなあ」
 心底がっかりした声だ。
「ふ……ふざけるなあッ」
 七瀬が相手の頭に刀を振り下ろす。
 ぐん、と相手の体海老反った。刀は編み笠だけを切り裂いた、顎を叩き斬るすれすれで外れた。ついで相手の刀が七瀬の横腹を襲う。
「はえ……?」
 疑問の呟きを最後に、ずるり、と七瀬の横腹から上が斬り落とされた。
 力余って投げられた七瀬の刀が力の名残で川沿いの木の二股を裂いた。
 ミシミシと音をたて、大人の背丈以上もある木が切り裂かれていく。
「あ、雨降りそう」
 懐から例の文の字が入った飴を取り出すと、二つに分かれた七瀬の傍に放り投げる。文の字が紅く染まった。
「この笠もう使えないや」
 雷が鳴る。
 真っ二つになった木に笠を放り投げる。
 猪熊は動けなかった。相手の声はこれ以上無い歓びに満ちていた。落雷の光で相手の顔が見えた。
 息を呑んだ。
「いつも道案内ありがとう。猪熊のおじちゃん」
 相手は
「お……お恋……」
 その顔に浮かぶのは、純粋なる殺戮欲。ニイと笑った口元。漆黒の闇の瞳。
「うぞうぞするなあ」

 

 猪熊は逃げた。全速力で走った。
 全身がずぶ濡れだった。己の着物に足を取られそうだ。肺が無秩序な振動を繰り返した。
 四条のその家に転がり込む。赤燕も慶庵も見当たらない。
「千鶴、千鶴ッ」
 襖を外さんばかりに開くと、千鶴はこちらを向いてきちんと坐り直した。
「騒々しい」
 す、と細い目がこちらを睨みつける。
 その肩をしかと握った。
「ち、千鶴! 一緒に逃げよう!」
 冷静な口調は崩れぬ。
「何故に」
「飴買い幽霊はお恋だった! お前も危ない! 一緒に逃げよう!」
 凛。
「断る」
 かっと頭に血が上った。
「来いと言っている!」
 肩を掴んだ手が払われる。
「汚らわしい」
 あくまでも声は冷たい。己の妹が人殺しだと言うのに。
「貴様…………ッ」
 大声で喚いた。癇癪を起こして。
「黙って俺の言う事を聞け! 俺の言う通りにしろ! 痛い目が見たいのか! こんな事が人に知れたら困るのはお前だぞ!」
「そうやって」
 千鶴は静かでいて、背筋も凍るような口調だった。
「島津の女も抱いたのか」
「な……」
思わず手を放し、よろめいた。
「私の名は」
 懐刀で猪熊の喉が切り裂かれる。
「文石千鶴忠朋(あやしのちづるただとも)ぞ」
 どさり、と猪熊が倒れる。
「あに様ーっ」
 お恋が風呂敷包みを抱えて来た。振り袖姿に戻って。
「千鶴、準備できたぜ」
「そうか」
 赤燕達が外で蝋燭が消えぬように傘を持っているのを見て部屋を出る。
「それにしても酷い手を使いますねえ」
 慶庵の言葉に無表情に応える。
「策を弄せば酷くなるものよ。外法こそ最も益多き法だ」
 雨が酷く降っている。濡れながら千鶴は命じた。
「やれ」
 赤燕が窓に蝋燭を投げ込んだ。
 内部で爆発が起こった。がらがらと家が崩れ落ちる。
「さて、帰るぞ」
 お恋が周りに持っていた包みの中身をぶちまけた。
 全て文の字の入った飴。

 

 全ては薩摩藩主島津を味方に付ける策だったのである。
 島津久光の入京は初めてではない。前年の文久二年に入京している。なれどその年の内に下京。その時久光は公武合体論を唱え出し、討幕派と対立し始める。表向きは国の事を案じて。実際は、久光の京の愛妾が討幕の者に乱暴されたからであった。
 愛妾は男児を出産するも、産後の肥立ちが悪く死亡。既に久光は帰藩しており、男児は世継ぎ争いの元となる。そこで動いたのが長州派維新志士高杉晋作。彼は近々薩摩と手を組みたかった。高杉は同じく長州派維新志士千鶴に命じて策を練らせる。
 夜毎飴を買っていたのは千鶴であった。男の身でありながら日頃女として振る舞い、敵を籠絡して不意打ちを食らわせるのが常の彼に取っては、幽霊に化けるなど容易い事。実際には飴屋が後を付けた時に初めて赤子を墓に寝かせた。これで赤子の安寧は勤められる。
 次は島津が再び入京の際、乱暴狼藉を働いた討幕の志士及び手引をした者を、討幕派の手どころか人間の手とも分からぬよう、しかしセンセーショナルな話題として久光の耳には入るように策を練る。
 各所で見られた幽霊はお恋。お恋は屋根の上に着物を脱いで、白襦袢の姿でわざと人に見られ、人に見られれば直ぐに屋根に飛び上がって着物を着る。お恋の身体能力だから出来た技であった。
 乱暴狼藉の犯人を捜させられていたのは猪熊本人である。高杉に唯一犯人と目されていた猪熊をわざと京へやる。島津久光入京を聞けば、彼は宿を貸した宿主。手引きをした十手持ち。共犯の道場師範と七瀬に連絡を取るだろう。知らぬ間に彼は案内役にされていたのだ。
 猪熊が出かける度にお恋が後を付け、会話を盗み聞いて共犯ならば斬殺する。
 そして最後に猪熊が死に、千鶴の策は完成した。
 怨敵が全て死んで以後、島津は倒幕に傾いていく。感情面のしこりを除けば、久光はリアリストであった。

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


弐 騙り殺して下さい

 文久三年十月
 寒風に足を速めていた人々の内、男は皆くるりと振り返る。
「あに様、何買うの?」
「少なくとも貴様がさっきからずっと見ている錦絵ではない」
 お恋達の前に並べられているのは、無惨絵と呼ばれる錦絵。人の切り刻まれた死体だの、心中現場だのを描写したものだ。
「えーこれなんか良いと思うけどな」
 指差すのは生首を銜えた女の絵。血糊に濡れたざんばら髪の表現は確かに秀逸である。
「絵の良さは問題ではない」
 今日は夕食の材料をさっさと買って、珍しく手に入れた英国の新聞を読むつもりだったのに、お恋が付いて来るとこれだ。
「あ、これも良い!」
「だから絵の良し悪しは問題ではないのだ」
「そうだな。やっぱり生身だ」
 いい加減イライラしてきたところに、男の声が降ってきた。
 はっと気づいた時にはもう千鶴の肩はその男の手が掴んでいる。
「お、ビックリした顔も中々だ」
 二ヤリと笑う長身の男。細面の美丈夫に入る顔に肉食獣のような体躯。そして何より。
「……新撰組か」
 だんだら模様の羽織を睨みつける。
「おお、その目。益々好みだな」
「触れるな」
 全身が泡立つ。男の手はがっしりと肩を掴んでいる。外れない。
「駄目」
 男のもう一方の手を引っ張ったのお恋である。
「いじめちゃ駄目。あに様は男性恐怖症なんだから」
「貴様ッ」
 今度は妹を睨むも両方全く堪えない。
「あに様?」
 新撰組の男はずーっと千鶴の上から下まで舐めるように見て、笑った。
 ばれたか。
「男が怖いからって、男の振りをすんのは無理があるぜ」
 ばれてはいなかったが、屈辱感は感じる。
「黙れ」
 刺すような視線をものともせずお恋の手をあっさり振りほどき、千鶴の顎に手を添える。
「……氷だな」
 頬を撫でられる。
「何がだ」
 頬骨から顎を再び指が行き来する。
「お前だよ。俺は気に入った女は俺が名を付ける。お前だって犬だの猫だの飼ったら自分で名前付けるだろう? お前はその凍てつくような目が気に入った」
 顎を待ちあげられ、にやけ面と完全にかち合う。
「何があったらそんな眼差しになったんだ?」
 何があった等――。
 考えても益体も無い事だ。
「一瞬動じたな。男が怖いからか? それとも……」
「何してんだこの変態野郎があああーーーッ」
 千鶴の瞳を覗きこんでいた後頭部に、怒声と飛び蹴りが入った。「がふっ」と呻き地面に崩れ落ちる新撰組の男。飛び蹴りを食らわせた男が着ているのも、だんだらの羽織。そしていかつい体の上に乗っている顔が……如何見ても極道。
「いってえな! 何すんだせっかく玩具奴隷名前は氷、を手に入れたとこだったのに!」
「手に入ってねえだろうがああッ。よしんば手に入っていたとしても説得してそんな人生の迷宮に陥ったお嬢さんを救い出すわ!」
「アンタに救い出されたら人生が迷宮じゃなくて極道に入るぞ! 極まっちゃうぞ! 良いのか!?」
「入るのは士道だ! 極めたいとは思ってるけどね! っていうか何が言いたい?」
「あそこのおばさん達が噂してますよ」
 先の新撰組の男が指差した方を見れば、中年の女達がひそひそと「壬生浪や壬生浪」「ヤクザ隊やわホンマに」と言い合っている。新撰組の評判は巷ではこれで通っている。
「ちょっ! テメエ何してくれてんだ! せっかく前局長の悪印象払拭しようと頑張ってたのに!」
「頑張ってそんな顔になったのかよ。あんまり頑張らない方がいいぜ」
「何が言いたいい!」
「顔がヤクザです。取り替えてきなさい近藤局長(こんどうきょくちょう)」
「おまッ殺すよ!? 本当に殺すよ!? 殺して性根を入れ替えるよ何処かの立派な侍と」
 沈黙して新撰組の二人を見守るお恋と千鶴に今度は背後から声がした。
「すいません、お嬢さん方。驚かして」
 振り返れば着流しの男。その青黒い皮膚には右腕に蛇。左頬にだんだら模様の刺青を入れている。
「総司(そうじ)! お前何してんだ!?」
 近藤の声に刺青男がのんびりした口調で返答する。
「いや、こないだ顔に刺青入れたんですけどね。どうも奇抜さが足りないんですよ、俺としては。つーわけで究極の刺青、チンコに彫る、ってのをやろうと思ってんですが、漢字で「誠」って入れるかチンコもだんだらにするか迷ってまして。で、お二人に相談しようと探してたら丁度この現場に遭遇、と。話は戻りますがどっちが良いと思います?」
「全てにおいて最悪だよ! お前ら俺の努力ぶっ壊して楽しいか!?」
「いや、楽しい事をすると何故か近藤さんの努力がぶっ壊れると。脆い努力なんじゃねえの?」
「土方(ひじかた)さんと同じです」
「解った! お前らの脳みそぶっ壊すわ!」
 怒鳴り合っている男達、馬鹿なやり取りだが、こいつらはあっさりとお恋と千鶴の間合いに入り、刺青男に至っては背後まで取っている。
 手練!
 じり、と間合いを取る。
「脳みそぶっ壊す前に仕事のようですよ」
 新撰組達に気合が奔る。
「場所は分かるか? 沖田(おきた)」
「大体は」
「そうか。行くぞ」
 だんだらの羽織が踵を返す。
「またな。氷」
 またにやけ面。
「土方さん、あれが好みなんですか。相変わらず良い趣味してますね」
「そうだろう。天性の魔性だぜ。あれは」
「そうですか……。俺は黒髪の方が良いですがね」
「あ? ガキだろあんなもん」
「あんたらには分からねえでしょうよ」
 くるり、とお恋の方を向く。
「鬼を好むってのはねえ……」
 悦楽の表情を浮かべる、黒髪の鬼。
 新撰組が走り去った。
「あに様……僕らも行こう。場所は祇園だよ」
「……何か聞こえたのか?」
 鬼、お恋は笑った。
「聞こえた……。聞こえたよ……。断末魔……。ク……ククククク」

 

 道の真中に、死体は三つ転がっていた。赤黒い血は未だ流れ続け、だんだらの羽織をドロドロに彩っている。
 死んでいるのは、新撰組隊士であった。
 屋根の上から見下ろすと、近藤が肩を震わせている。
「クソッ誰が……」
 土方が片目を瞑り腕を組む。
「こいつらは全員目録貰う腕前だ。それに真昼間にも関わらず目撃者はいねえ。相当の早業で仕留めたって事だな。討幕の奴らか……」
「長州派らしいですぜ」
 沖田が店の壁に縫い付けてある紙を指差す。紙は新撰組隊士の刀で壁に刺さっていた。
 小声で問う。
「読めるか? お恋」
 黒い目を細めて、刀ではりつけられた文章を読み上げた。
「今宵子の刻、新撰組屯所に参る。長州派飴買い幽霊。……だってさ」
「ほう……」
 蜜色の目も細まった。
「良い度胸だ」
 屋根の上から二つの影が消えた。

 

「千鶴、如何する気だ?」
 赤燕が最も上座に問いかける。
「俺達の名を騙るとは……大したタマというか……。何者なんでしょうねえ……」
 慶庵も頭を掻く。
「それより如何するかだろう。もう時間がねえぞ」
 時刻は子の刻六時間前。
「その通りだ。時間が無い」
 湯呑の茶を啜る。
「故に下準備を迅速に行え」
「……何か策が」
 とん、と湯呑が置かれる。
「策と呼ぶほどでも無い。飴買い幽霊が新撰組屯所に行くまでよ」

 

 菓子屋の前で蹲る一人の男。背負った大きな巻物が地に着いているのも気にならぬようだ。
「くそ……俺様とした事が……」
 菓子の甘い匂いが漂ってくる。
「一生の不覚だぜ……」
 まさか京まで来て。
「煙草切らしたなんざ……」
 そう、彼はニコチン中毒の禁断症状と戦っていたのである。
「金は管理されてるしなあ……。こんな事でわざわざ戻ってる時間もねえし……。あーっくそっさっさと来いよ、あの野郎」
「ねえ」
「あん?」
 若い娘の声が降って来た。
「お菓子欲しいの?」
 桜模様の振袖の胸元には金平糖の包みが抱えられている。
「一個だけならあげるよ」
「一個だけかよ! 何個入ってると思ってんだその袋に! つーか別に菓子が欲しい訳じゃねえし!」
「違うの? 如何見てもお菓子欲しさに悶々としている可哀想な駄目な少年、にしか見えなかったよ」
「お前は腹立つ言い方選んでんのか! つーかさりげなく「駄目」って入れただろ! 何処が駄目だどの辺が駄目だ!? 後少年ってお前幾つだ俺は十六だぞ!」
「十七歳だよ」
「一歳違うだけだろうが! つーか駄目については言及しねえのかそっちの方が重大だぞ」
「あに様が駄目な奴は何言っても駄目だから説明しても理解できないって言ってた」
「俺は一体何の因果で初対面の小娘にここまで罵られてるんだあ!?」
「別に罵ってないよ。後、僕は小娘じゃないぞ。ちゃんとお恋って呼んでよ」
「今名前初めて知ったんですけど! 有名人なのかお前は!」
「有名人じゃないよ。有名人だと知った途端に、訳も分からずきゃあきゃあ騒ぐのは、日本人の良くないところだってあに様が言ってたけど、君には関係ないね」
 金平糖の袋を差し出す。
「だって君、異人さんだもの」
 溜め息を吐いて金平糖を一粒取る。
「異人さんって名前じゃねえよ。八雲だ」
「ヤクモ? 日本人みたいな名前だね」
 金平糖を口に入れた。
「この名前は日本人が付けたんだ」
「ふうん。あに様がね、日本で一番古い歌で「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」っていうのがあるって言ってた」
 金平糖を噛み砕くと、口中にべたべたな砂糖の味が広がった。
「クソ甘え……」
「あのね、あに様がね、この歌は「絶対守る」って決意の歌だって」
「うるせえな!」
 金平糖の欠片を吐き出す。
「あに様あに様ってなあ、兄貴なんてロクなモンじゃねえぞ。ただ兄貴ってだけで全部持って行っちまうんだからな!」
「何か……奪(と)られたの?」
 東洋人特有の薄い唇が問う。
「お兄さんに何か奪られたの?」
「……ッ。何でもねえし関係ねえよ。喋りすぎちまった。もう行くぜ。てめえに話す気分じゃねえ」
「ふうん……じゃあさ、また会ったら教えて」
「もう二度と会う事ねえよ」
「じゃあ約束しても構わないだろ?」
「どういう理屈だよ……」
 溜め息を吐いて歩き出す。
「分かったよ。もう一度会う事があったら教えてやる」
 煙草が吸いたい。

 

 子の刻。
 新撰組屯所は物々しい警備に包まれていた。行き交うだんだらの羽織。刀の音。掲灯のほの暗さに薄い影が伸びる。
「まだかなあ……」
 黒い上下の着物姿でお恋は小さく呟く。後ろで一つに括った髪には、椿の簪。
「逢い引きなら別の所でしろよ。屋根の上なんざ、猫じゃあるまいし」
 ふいにだんだらの羽織の一つが言った。こちらを見上げる顔には同じくだんだらの刺青。
「僕を捕まえないの? 今なら仲間がいっぱい居るのに」
 影が濃くなる。他の隊士は会話に気付かない。
「あんたは飴買い幽霊じゃねえ」
「如何かな」
「思わせぶりな台詞にもなってねえぞ。隊士が死んだ時、ちょうど俺達と一緒だったろ」
 ドン!
 爆発音。
「火が上がったぞーッ」
「ついに襲撃だッ」
 屯所の南がめらめらと燃える。
「俺はな、侍でも何でもねえ、獣だ。護らねえ戦いも、喰う為じゃねえ戦いも、しねえ」
「変なの」
「だからあんたと戦いたくてしょうがねえ。獣が鬼を喰いたくて……しょうがねえんだよ」
「じゃ、戦おうよ」
「今は時じゃねえ。襲撃だ。沖田隊長は急ぎ駆けつける」
 屋根の上から、飛び降りる。頭を下に、顔は屯所の方を向いて、月下の無明が。
「じゃあ、時を待ってる」
 ニイ、という笑顔が交わされる。着地した時には沖田はもう走り去っていた。
「沖田総司……うぞうぞしない? ねえ……君」
 炎の方角から現れた者に声を掛ける。
「そんな言葉知らねえよ」
「異人さんだから?」
 背中に大きな巻物を背負って。
「意外に早く会えたね。八雲」
「てめえが来ると知ってたら来たくなかったぜ、お恋。いや」
 巻物が解かれる。
「人斬りお恋、とでも呼んだら良いのか?」
 巻物に挟まれていたのは、細く薄い短刀を数珠繋ぎにした鞭状の武器。
「そんな呼び方されたの初めてだよ。僕、長州派としては名前バレないようにしてるから」
「気にいらねえか?」
「ううん」
 カチャリ。鯉口が切られた。
「気に入った」
 鋭い風切り音。横薙ぎに日本刀を振るう。
「如何して此処に来た?」
 刀に短刀が絡みついていた。
「あに様の推測。君、高杉先生と繋がりがあるだろ」
 高杉晋作。維新志士のカリスマの男。長州派維新志士として、桂小五郎と双頭の存在である。そして文石達は高杉晋作配下である。
「繋がりっつっても薄いぜ」
「あに様はそれも言ってた。相手は飴買い幽霊が島津を味方に付ける長州派の策って事しか知らない。誰がやったのかまでは知らない。だからこんなやり方をして、長州派の誰が動くのか見ようとしている。此処に潜んでいたのは、表通りから堂々と君が来る訳がない。だけど、来ない訳も無い。それで」
「へえ……随分と兄貴を信頼してるんだな」
「うんっ」
「馬鹿じゃねえの。血の繋がりはただの赤い水の繋がりだ。価値なんざねえ」
 絡みついた刃を引き寄せられる。体が近付いた途端、お恋の右足が腹にヒットした。短刀が外れた瞬間、刀を突きの姿勢に変える。腹を蹴られて蹲る八雲がギリギリで体を捻った。突きは外れた。
「価値はあるよ。あに様は僕の為に色々なものを捨てて、色々なものをくれている」
 蹲った体勢から足に向かって短刀を鞭のようにしならせる。お恋が跳ねた。短刀がかすった部分の袴が斬れ、右足のふくらはぎから血が流れ出す。
「だからてめえは兄貴の言う事聞いて人斬りなんざやってるわけか」
「違うよお……」
 袴の切れた部分を擦ると、血がべっとり掌に付く。その真っ赤な掌を眺めながら、愉悦の表情を浮かべた。
「僕は大好きなんだよ……。人を斬るのが、人を殺すのが、死のギリギリの瀬戸際まで追いつめられるのが! 堪らなく好きなんだよお……」
 痛みなど無いかのように。否。痛みすら悦楽の一部として、お恋は跳ねた。
 頭上から襲う日本刀。
「うッ」
 日本刀を絡み取り、反動でお恋を地面に叩きつける。
 起き上がると、斬撃が矢尽き早に繰り出された。短刀で必死に弾くも、体のあちこちから血が噴き出す。
「くそッ」
 斬撃の隙間をついて、短刀をお恋の体に絡ませた。
 新撰組隊士を斬った技だ。常人ならバラバラになる。しかし。お恋は刀で自らの体と短刀の間に隙間を作り、それを防いでいた。
「はッ……前だけ防いでも」
 ぐ、と短刀を引っ張る、お恋の二の腕背中から血が噴き出した。
「もっと……もっとだ……」
 目の前の娘の壮絶な笑みに、戦慄を覚えている自分に気付く。血を流しながら、獰猛に、笑っている。
「もっと……もっと……もっともっともっともっと! 僕を追い詰めてみせろオッ!」
 短刀が弾き解かれた。
 直ぐに二撃目をしならせる。刃が日本刀に絡みつく。
「ハアッ」
 短刀がそのまま引っ張られ、手の中から引きずり出された。巻物の柄を握ろうとする、そこには懐刀が入っている。
「クハハハッ」
 巻物を弾き飛ばされた。
 次の瞬間、左目に刀が突き立てられる。それは随分とスローモーションに見えた。左目に一直線に向かってくる刀。そして、銃声。お恋の両手足から噴き出す血。
 見えない左目。襲ってくる激痛。倒れる、二人の体。
「あに様……」
 お恋を薄青い着物の女が抱きとめた。いや……あに様と呼ぶからには男か……。
 崩れ落ちていく八雲も誰かに抱きとめられた。漂う硝煙の匂いをさせている節くれだった指の持ち主は。
「やはり貴様か。坂本龍馬(さかもとりょうま)」
「おまんは文石千鶴忠朋いうそうじゃの」
 残った右目に、見覚えのある細い目の男が映る。
「龍馬……」
「手酷くやられたのう、八雲。でも、おまんのおかげで目的は果たせたぜよ」
 千鶴の声が厳しい。
「最近、長州と薩摩の同盟の話が持ち上がっている。何でも纏めようとしているのは貴様らしいな、坂本龍馬」
「ほう、話は届いとるようじゃの」
 余裕たっぷりに龍馬が返す。
「うむ。そして薩摩は長州からの手土産を希望している、ともな。重要な手土産を」
「何処行くにも土産は必要じゃろ」
「その土産が、京で人斬りとして右に出る者のいない長州派の情報、という訳だ」
「おーおー、自分の妹をえらい持ち上げよる」
「事実だ。そこで捨て駒としてその異人の小童を使った」
「それは……」
 八雲は呼吸を必死にしながら言葉を発した。
「それ……は……外れだ……。俺は自分から……龍馬の役に……立ちた……い……と」
「何故だ。パトリック・ラフカディオ・ハーン」
 八雲は左目を大きく見開いた。
「何処で……その名前を……」
 お恋を抱き留めながら、懐から新聞を取り出す。そこには英語でセント・カスバーツ校の記念式典の写真。壇上に立っているのは――。
「八雲……?」
 お恋の台詞を切れ切れに否定する。
「違う……それは……俺の双子の兄貴……だ。俺の母親は……俺達を産んで直ぐ気が狂って……俺達は叔母に育てられた……。あのババアは……俺の名前を奪いやがった……。俺達が学校に行く……頃……ババアは金に困っていた……。でも見栄っ張りだったあのババアは……兄貴にだけ名乗る事を許して学校へ行かせて……俺は……」

 

『叔母さん。何で僕だけ船に乗るの?』
『遠い国に行くんだよ』
『おら、ガキさっさと来い!』
『何処に行くの? 嫌だよ……嫌だよ……それに……僕には名前が……』
『名前なんざお前にゃいらないんだよ。それともお前は……兄ちゃんの方を売り飛ばしたいのかい?』

 

「そうやって清に売られた俺を買い取ってくれたのが……八雲という名前をくれたのが……人間として見てくれたのが……龍馬だった……。俺が何年振りに暖かい飯が食えたのか……知りもしねえで……言うな。俺は……こいつの作る自由な国のためなら……何でもする……。ただ血塗れになって喜んでいるてめえの妹は……気に……喰わねえ……てめえ本人もだ……」
「いや、こいつの言う通りじゃ、八雲」
 意識が沈んでいく。
「わしはおまんを利用している。ガキのお前を暗殺者に仕立て上げて表沙汰にできん仕事をさせている。今回かておまんが死ぬかもしれんと思っとった。こいつと同じ穴のムジナじゃ」
 体が暖かい。
「狡いよ……てめえ……」
 全身を預けて。
「そこまで言われても……絶対に俺が離れないって……知って……て言ってんだろ……ムジナ野郎……」
 もう体に力が入らない。それでも暖かい。とても。
「八雲、気が合わぬのは当然だ」
 目の前が真っ暗になっていく。
「坂本龍馬」
「文石千鶴忠朋」
「貴様らを」
「おまんらを」
 二人の声が重なる。
「利用はさせて貰う」
 意識が途切れる。
「だが、馴れ合いはせん」

 

 紫煙を深々と吸い込み、吐き出す。
「ぷっはーっ美味え!」
 包帯を左目に巻きながらも、久方ぶりの煙草を文字通り満喫する。
「それだけにしといてくださいよ、八雲さん。本当はまだ吸っちゃいけないんですから。龍馬さんに知れたら……」
「大変じゃのう」
 いつの間にか開いていた襖の向こうの人物に、無言になる他無かった。

 

「わあ! ありがとうあに様!」
 先日の無惨絵を早速布団の上に広げて、歓声を上げる。
「……」
 千鶴は黙々と文机に向かい何やら書き物をしている。
「入っても良いか?」
「何用だ、赤燕」
 ぼさぼさの頭を掻き掻き、あのよう、と。
「この間の偽飴買い幽霊の時に使った奴で火薬が切れたんだが」
 あの爆発と火事は火薬使い赤燕の仕業で会ったのだ。
「そうか。仕入れろ」
 振り向きもせず命じる。
「あの日は面白い人達にいっぱい会えたよねえ……殺し合いたいなあ……」
「じゃ、その前にお薬ですよ」
 赤燕の後ろから慶庵が水と薬包を持って来た。
「えー、それ苦いから嫌いなのに……」
「人が調合した薬に文句付けない。はい」
 不承不承薬を飲むも、飲み終わるとべ、と舌を出す。やはり苦かったらしい。
「赤燕、慶庵」
 千鶴の筆が止まった。
「仕事だ」
 二人の男を見遣りながら、手もとの蝋燭で書き終わった書を燃やす。
「傾国二人ってとこですかね」
「そうだな」
 更に千鶴は命じる。
「場所は島原ぞ」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


参 飼殺して下さい

 

文久三年十一月
 日の暮れかけた飲み屋で男達は、徳利を傾けていた。
「巧くやっているみたいだね」
体格の大きなその男が言葉を発すると、相手に奇妙な安心感を抱かせる威厳を感じる。
「そちらはあまり芳しくないようで」
 圧倒されたと思われるのが嫌で、つい軽口混じりになる。
「やはり新撰組の耳は早い」
 真面目に受け取られてしまった。
「まあ……はい」
 肯定しても嫌な顔をしない男だ。益々自分が小さく見える。
「遅いですね」
「わざとだろうさ」
 そう言うと、目の前の男、吉田稔麿(よしだとしまろ)はまた猪口に酒を注いだ。
「わざとでしょうね」
 実のところ思いもよらなかったが、そう答えておく。
 がらり。
 品の良い音を立てて戸が開いた。
 紫陽花柄の着物と桜模様の振り袖が入って来た。
「変わりはないようだな。吉田、山崎(やまざき)」
「あんたもお元気そうで。千鶴さん、お恋」
「こんにちはっ」
 吉田が立ち上がり、お恋の頭を撫でる。
「久しぶりだね。お恋」
「うん! 吉田のおじちゃん、元気だった?」
「……おじちゃんではないんだけどなあ……。元気だったよ」
 苦笑しながら、今度は千鶴の頭を撫でる。蜜色の髪に手が触れた瞬間、手が払われた。
 はっとしたように千鶴が目を伏せる。
「……すまぬ」
 吉田は明るく笑った。
「男性恐怖症も相変わらずか。別に気にしないから、そんなにしょげるな」
 今度はお恋を招き寄せる。
「俺は千鶴と話があるから、山崎のおじちゃんと遊びに行っておいで」
お恋を連れ出すのは聞いていたし、その為の小銭も預かっているが、わざわざ「おじちゃん」を強調するな。と言いたい。
「うん! 行こうっ山崎のおじちゃん」
 ほら見ろ。おじちゃんで固定しちまったじゃないか。責任取れ。

 

 寒風の中歩く。きょろきょろと辺りを見回すお恋から目を離すまい、と気合を入れる。
「なあ、吉田さんって笑うんだな」
「?」
 不思議そうにこちらを見てくる。
「笑うよ。吉田のおじちゃんはよく笑うよ。山崎さんの前でもよく笑うじゃないか」
「笑い顔っていうのは偽物と本物があるんだよ」
 首を傾げられた。
「怒った顔ってのも偽物と本物があるんだよ」
「良く分かんないよ」
 心に錘のようなものが入っている。
「要するに、あんた達の前での吉田さんの笑い顔は本物で。吉田さんの前での千鶴さんの怒った顔は偽物なんだよ」
「やっぱり良く分かんない」
急にぴたりと足が止まった。一件の店をじっと見つめている。視線の先には、小間物屋。これも女の子らしいところがあるのだなと、納得しながら声を掛ける。
「欲しい物があるなら買ってやるぞ」
「良いの!?」
 瞳を輝かす姿は、とても人斬りとは思えぬ。ごく普通の娘だ。
「紅か? 簪か? それとも……」
「あれ! あれあれ!」
 指差した先をよく見てみる。
「風車……?」
「うん!」
 前言撤回。ごく普通の娘より幼い部分が多重にある。
 屋台にずらりと並んだ風車をじっくりと眺めて「ええと、ええと」と長々と。
「あのね、これとこれとこれとこれとこれ」
 選んだのは薄青の風車が二つ。紫の風車が一つ。赤い風車が一つ。緑の風車が一つ。
「黒いのは無いの?」
 屋台の香具師は困った顔をした。しかしこの顔は商売人の顔だ。
「黒いのは無いなあ…………」
 せやけど、と来るぞ。
「せやけど、こういうのなら有るで」
 そう言って差し出されたのは、灰色に月や星の模様が散らばされている風車。
「同じ夜の風車や」
「わあっ欲しいっ」
 値段を聞くと案の定一番高い値段であった。

 

 両手いっぱいに風車を抱えて、ご満悦の様子だ。
「そんなに沢山如何するんだ?」
 にっこり笑って、緑色の風車が渡された。
「これは山崎のおじちゃんの。あげる」
「……そりゃどうも」
 受け取ったがこれを如何せよというのだろう。
「お前くらいの歳の娘だったら、簪とか欲しがるもんだと思うがなあ……」
 思わず呟いた言葉に、己の椿の簪を指差す。
「僕にはこれがあるから良いんだよ。母様から貰ったんだもの」
くるくると風車の前で舞うように回って簪を見せる。
「母様の大事な大事な簪をくれたんだよ。僕の父様が母様にあげたんだよ」
「へえ……お前は父ちゃんと母ちゃん。どっちに似てるんだ? 兄ちゃんとお前はちっとも似てないが」
 くるくるとお恋は回りながら答える。
「どっちも母様似だよー。僕とあに様は腹違いなんだよ。僕はあに様の母様が亡くなってからの後妻の子なんだよ」
「へえ。で、その母ちゃんは何処に居る?」
 お恋がぴたりと止まった。
 代わりに冷たい風が風車を一斉に回し始める。くるくるくるくる。
「何処にもいないよ」
 くるくるくるくる
「僕が斬った。だから何処にもいないよ」
 風が吹き止んだ。
「お前が……」
 ごくりと唾を飲み込む。
「それは……」
 何故、何故と聞きたいのか分からない。山崎のような男に咎める資格等無いのに。
「お、氷の妹じゃねえか」
 突如した声に心臓を落っことしそうになった。
「副長……」
「山崎、てめえが往来で副長とか呼ぶんじゃねえよ。監察だろうが」
 その通りだ。山崎は新撰組観察方で討幕派。すなわち、討幕派のスパイとして新撰組を探っている。監察方とはいわば密偵だから、両方でスパイをやっている事になる。
「こいつ、お前の女か?」
 とっさに作り笑いを浮かべた。得意なのだ。
「まさか。風車を買ってやるから付いて来いと言ったら本当に付いて来た娘ですよ。副長が来なきゃそこらにしけ込む予定だったのに」
「だから副長って呼ぶなっつってんだろが。おい、氷はいねえのか?」
 お恋はムっとした。
「あに様は氷なんて名前じゃないし、副長さんのでもないよ!」
「外でもあに様呼びか……随分と教育してんだなあ。逆に調教しがいがありそうだ」
「聞いてる!? あに様は誰のものでもないよ!」
「聞いてる。要するに俺のものになる可能性が高いって事だ。いや、そうしてみせる」
 ますますむかっ腹を立ててお恋は怒鳴った。
「じゃああに様は僕のものにする!」
「俺が先約だ」
「僕は常連客だ!」
「お前……常連だからって優遇されると思うな。そういう常連が実のところ一番店側に嫌われてるとかよくある話だぞ」
「いや、僕は常連中の常連で店側が「最近来ないけど如何したのかな」とか思われるような常連だ。他の常連客に店長が「あの人如何してるかな?」とさりげなく伺ったり……」
「いや、店って何処ですか。更に他の常連客と店長って誰だよ。如何いう店なんですか」
「快楽地獄への入り口の店だ。出口は無い」
「ただの副長の欲望の底辺じゃないですか!」
「何だそんなものか。僕のはもっと凄いぞ。三食ご飯を作ってくれる店だ」
「めっちゃ有り難い店だけどそれ店じゃないだろ! ごく普通に本人だろ!」
「はっ俺が店長なら三食本人にご飯じゃなくて餌を食わせてやるよ。甘いな」
「だから店長って誰なんですか!? 後そういう方向には甘い方が人として真っ当ですよ!」
「じゃあ僕は三食足して餌食もだ」
「何でどんどん真っ当じゃない方に話が進んでくんだあ!?」
「あ、それはそれとして、山崎、近藤さんが用事あるらしいぜ。見かけたら言っといてくれって」
「最初にそれを言ええええ! あ、いや、すみません。おっしゃってください」
「そういう訳だから、送ってくぜ。氷の妹」
 舌をべ、と出す。
「一人で帰れるもん! こっそり付いて来ても分かるからな!」
 そのまま歩きだしたが、暫く経ったところで「あ!」と言って、しゃがみこんでいる。あまり気にするのも不自然なので放置したが。

 

 吉田が徳利を傾ける。手酌である。
「そうか……松平が参与するか」
「お前も故郷と戦うのは気が進まないだろうけど……」
 千鶴はじろり、と睨みつけて猪口を置いた。
「会津には帰れぬ身だ。敵が松平ならば新撰組の勢い益々盛んとなる。それの事よ」
「そうだな。奴らをお前は如何見る?」
 笑って吉田は返す。
「使い道のある敵だ」
「あっはっは」
 再び睨みつける。再び笑って返される。
「何がおかしい」
「あまりにもお前らしくてな。変わらんな、お前は。実に変わらん。初めて会った時から」
「あの頃からは策略は進歩しておる」
「その発想が、だ」
 千鶴の猪口に徳利を傾けようとするのを、手で蓋をする。
「酒は一合までと決めている」
「知っているが、今日こそ気付かず呑むかと思ったんだ」
「毎回言っているが、くだらぬ試みをするな」
「いや、次回こそ成し遂げて見せよう。男の誇りにかけて。千鶴もかけるか?」
「かけぬわ。斯様にくだらぬ事に――」
 がらりっ
 力いっぱい扉が開けられ、抗議のギシギシという音を立てた。
 開けたのはお恋。腕には風車と――。
「あに様! ね」
「捨てて来い」
「あに様……まだ「ね」までしか言ってないよ?」
「貴様の口から「猫飼って良い?」以外の言葉が発せられるなら申してみよ」
「……ねんねこばんてん?」
「その言葉からどうやって会話を続ける気だ」
 猫を抱いたまま沈黙する妹と、「山崎は如何した?」ともう別の会話に入ろうとしている兄。猫が代わりに「ふぁーん」と鳴いた。
「ちっちっち、おい猫すけ、魚の骨やろう」
「吉田!」
「まあそうカリカリするな。猫は良いぞ。ネズミ捕るしな。お恋ももう降ろしてやれ」
 床に下ろされて魚の骨に齧りつく猫に被りつきながら「山崎のおじちゃんは新撰組の副長さんと一緒に行った」と報告される。
「副長……土方か……」
 ことり、と自分の半分食べたメザシを猫の前に置く。猫ががふがふとがっつく。
「何だ千鶴も好きなんじゃないか。猫」
「ふざけるな。土方という男あのにやけ面を下げて立っているところへ沸騰した湯を風呂桶いっぱいかけたいくらい嫌いだから、食欲が失せただけだ」
 心底厭そうな顔をしているのが分かる。
「じゃ、犬派か?」
「犬も嫌いだ」
「じゃあ何が好きなんだ」
「生きとし生けるもの全てが嫌いだ」
 きっぱりと言い放つと、また猪口をちびちびしている男は「そこまで行くといっそ平等だな」と言った。大酒呑みというより呑むのが遅いのである。
「あ、そうだ! お土産があるんだよ!」
 お恋がぱんと手を叩き、薄青の風車を二人に渡した。
「…………これを如何しろと」
「まあ貸してみろ」
 吉田が頭上から風車を取ると、蜜色の髪の毛の束ねている部分に挿した。
「貴様っ、これではまるで私が阿呆のようではないかっ」
「いやいや、よく似合ってるぞ。なあお恋」
「うんっ」
 全く……と店の出口に向かう。
「帰るぞ。お恋」
 店の親父に金を払い、早足で店を出た。
「おーい、お恋」
 吉田が風車を振った。
「ありがとうなー」

 

 家に戻れば、まず赤燕が大笑いした。
「面白い簪してるじゃねえか! わはははははは……は」
 笑い声が途中で止まったのは懐刀を向けられたからである。
「丸腰の仲間に何つー物騒なモン向けてんだ。お前それでも武士か」
「戸籍が無くば……無礼討ちをしても沙汰は無い」
「おい、現実的な台詞を吐くな」
 確かに赤燕は清からの亡命者である。当然戸籍は無い。幾ら気に食わないから殺したといってもバレないといえばバレない。
「おお、猫ですか」
 慶庵が喉をぐりぐりと撫でた。
「三毛猫ですか。可愛いですねえ」
 要領の良い男である。
「お恋、この猫貸してくれませんか?」
 じーっと口の巧い陰陽師を見つめて、問う。
「何処に連れて行くの?」
「いや、今夜島原に行くんですけどね。こんな可愛い猫を連れて行ったらモテるでしょう?」
 島原。幕府公認の遊郭である。当時は維新志士が集い談合する場所でもあり――。

 

 しゃんしゃぎしゃんしゃぎしゃしゃしゃしゃしゃしゃんしゃん。
 三味線の音が響く島原の揚屋で、慶庵は酒を飲んでいた。
「わあ、ほんま可愛いわあ」
「うちにも抱かせてえ」
 遊女舞妓の歓声が響く。その中心に居るのは一匹の猫。お恋の拾って来た猫である。あちこち撫でまわされて喉を鳴らしている。
「やれやれ、やっぱり連れて来なきゃ良かったですかね。すっかりあっちにカットちゃん達を取られてしまいましたよ。女性に可愛いものは本当にデ カット オプ ヘット スペック ビンデンですねえ」
「それ如何いう意味どすか?」
「カットは猫。日本語に直すと猫にかつおぶし、ですよ。カットちゃん達」
「きゃー、カットちゃんやて」
 再び上がる歓声。
「ああ、俺はもちろん、明里にリーフデ イス ブリンドゥですよ」
 隣の遊女の肩に手を回し、耳元で囁く。遊女は零れおちそうな泣き黒子を緩ませて微笑んだ。
「慶庵はん、それいっつも明里(あけさと)おねえさんに言うてはるけれど、如何いう意味なん?」
 舞妓の一人の質問に微笑む。
「恋は盲目。恋は闇。恋は曲者。って意味ですよ」
「そう言う事やから、あんたらもう行ってえな。これからは二人っきりの時間どす」
 舞妓達が去ると、明里の顔から笑みが消えた。
「慶庵先生」
「解っていますよ」
 す、と紙包みを明里に渡す。
「あんまり蘭学を喋りはらへん方がええんとちゃいますか?」
「ステイル ワータルン ヘブン ディープグロンデンですか?」
「ほらまた」
「能ある鷹は爪を隠すって意味なんですけどね。俺は能が無いもので、あなたを引き寄せるにはこれしか無かったんですよ」
 布団に転がって慶庵は煙草盆を探す。明里が煙管を渡すと、深々と吸い込んだ。
「その様子だと効いているようですね。薬」
「お陰様で」
 すう、と紫煙が棚引く。
「知っています? この煙草の煙にも毒が入ってるんですよ。その薬みたいに気付かれずに」
 わざと煙を吸い込みながら問い返される。
「そんなん知ってて何で吸うてはるのん? お医者様が」
 慶庵から逃げ出すように、猫が明里の膝に収まった。
「俺は陰陽師ですよ。あなたを利用している悪い陰陽師です。で、副長さんのご様子は?」
「…………うちも悪い女やね」
「純粋な悪は美しい」
「本気で言うてはる?」
「さあ」
 猫を撫でながら明里は話す。猫はくすぐったそうに身を捩る。
 副長。新撰組には二人の副長が居る。一人は土方歳三。もう一人は山南敬助。明里は山南の愛人という事になっている。けれど愛した事は無い。一度たりとも。
「順調やわ。だんだん薬を貰いに来る日が増えてはる」
「そうですか。くれぐれも量を間違えないでくださいね。直ぐに死なれたら計画失敗だ」
「解ってるよ。直ぐに楽になんてしてやらへん。駒菊おねえさんの敵。絶対楽にしてやらへん」
 今年の九月。揚屋で新撰組前局長、芹沢鴨は暗殺された。新撰組隊士によって。
「何でおねえさんが殺されなあかんかったん」
 その揚屋に居た遊女達も殺された。女達に直接手を下したのは山南。
「自慢たらしく言うんよ。あいつ。俺が女達を殺したて。女を何やと思とんねん」
 殺された駒菊は島原に売られて来た明里が、色町が辛くて泣いている時、唯一抱き締めてくれた人だった。九月、明里は病に倒れた。誰一人見舞いに来てくれぬ中、駒菊だけが毎日来てくれた。それまで縁もゆかりも無かったのに。
「なあ、地蔵菩薩って知ってる?」「知りまへん……」「あんな、地獄に堕ちた人を助けてくれる仏さんや」「そうなん? どんな地獄でも?」「どんな地獄でも」「それを教えてくれる駒菊おねえはんはうちの地蔵菩薩や」「ふふ、地蔵菩薩は完全に悪い人は助けてくれへんよ」
 死を予期した言葉だった。遊女の病は放ったらかしが基本。それでも明里は回復した。駒菊が死んだ日に、床から立った。
 薬を袂に入れる。
「うちは地蔵菩薩に助けて貰われへんわ」
「俺もですよ」
「きっとうちは駒菊おねえさんの命を貰ったんや」
 慶庵の視線が泳いだ。
「それはありませんよ」
 顔を伏せたまま「何で」と。
「「泰山府君の法」という術があります」
「いきなり何どす?」
「聞いてください。その術は簡単に言うと人の寿命を司る神様と、交渉し、身代わりに死ぬ人物を立てて死にかけている者、死んだ者を蘇らせる、というものです」
「せやったら……やっぱりおねえさんが……」
「ですからそれは出来ないんですよ。泰山府君の法は大変難しい術です。何の修行もしていない素人が出来る術ではないのです。俺にだって使えない。いや、今使える術者がいるとはとても思えないくらい難しい術なんですよ」
「慶庵はん……」
 眦から涙が伝い、布団に染みを作る。
「あんた……甘い陰陽師やね」
「そうですか?」
「そこでうちのせいや、って言わはったら、もっとうちを利用できるんとちゃうの」
「……そう考えさせて付け込もうとしているのかも知れませんよ」
 明里の膝で猫がふぁーんと鳴いた。
「ほんまに……可愛らしい猫や」
 山南を麻薬で狂わせ、新撰組を内部から崩していく。効果は上がっている。山南は頻繁に明里を訪れ、薬を所望する。蘭学に通じた維新志士、慶庵の調合とも知らずに。
 計画通り、後に山南は精神錯乱を起こして出奔し、捕縛され切腹を命じられる。切腹を知った明里は山南の元を訪れる。慶庵と明里はそれきり会っていない。ギブアンドテイクの関係は、必要無くなれば終わるのだ。

 

「えーっあげちゃったの!?」
 手ぶらで帰って来た慶庵の耳がキーンとなる大声。
「はい。あげちゃいました」
「酷いよ! 僕が拾った猫なのに!」
「いや、だってねえ。可愛いおねえさんに頼まれたらあげるしかないじゃないですか」
「ない事ないもん! ねーっあに様――っ」
 千鶴の手の中で風車が回った。紫の風車を慶庵も受け取っている。赤い風車は赤燕。
「慶庵」
 くるりくるり。
「Goed」
 無表情な一言。
「発音良いですね」
 良い。という意味のオランダ語である。お株を取られたのをからかうように風車が回る。

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 

 


四 七度殺して下さい

文久三年十二月
 川原でお恋が読むのは黄草紙。その中でも現代ではゴシップ紙と呼ばれるものだ。
「あに様、やっぱり書いてあるよ」
 見出しは「真に七度転生か」。千鶴が読んでいる瓦版の見出しも同じであった。
「策は上々だな」
 七日前。芝居小屋で火事があった。下手人は小屋の中で割腹自殺。自宅からその芝居から受けた感銘によって火を点けた、と遺書が見つかる。犠牲者は一人。芝居小屋の主兼芝居の脚本家である。彼は小屋で休憩に眠りこけている間に犠牲になった。
 芝居の内容とはこうだ。
 愛し合った男と女。なれど男は炎の化け物であった。女を抱けば女を炎で焼き殺してしまう。それでも女は誓うのだ。「何度でも焼いてください。生まれ変わってまたお会い致しましょう」。そして七度女は転生し、男に六度焼き殺される。七度めに死んだ時、彼女を憐れんだ仏が彼女の次の転生を、炎の神鳥朱雀にしてやる。そして炎の化け物と朱雀は結ばれる。
 タイトルは「妾は七度転生す」。
「宗教がデタラメだ」
 千鶴の感想はそれだけであった。正確にはそれだけしか言わなかった。
 それでも芝居は大盛況であった。火事が起こる前は。
 火事が起こった途端、人々は掌を反す。「あんな危険な芝居は上演すべきではない」。芝居は幕府ご禁制となった。
 千鶴はうっすらと口角を釣り上がらせる。
「大衆とはいと操り易きものよ」
 火事は千鶴達の仕業であったのだ。
 あの芝居小屋からは新撰組に多額の寄付があった。無論、代わりに芝居小屋に対する便宜を図る、という条件で。下手人、とされた男はその金の中でも裏金の運び屋。その男が芝居小屋に入っている時に、お恋達は侵入した。あっけなく男は斬り殺され、芝居小屋の主は慶庵の麻酔によって眠らされた。慶庵は陰陽師と表向き名乗っているが、実態は蘭学を学んだ医者だ。そして服に仕込んだ針には強力な麻酔が塗られている。針一つで人を昏倒させるなど造作も無い。芝居小屋に火を放つと、お恋達は脱出。
 そして。
「布石は上々だ」
 千鶴はまた言った。お恋は黄草紙を読み続ける。同紙に書かれている猟奇殺人の記事が気になるらしい。悪趣味な娘である。
「氷――っ」
 突如した声に思わず顔を顰め、ぼそり、と「悪趣味繋がりか」と吐き捨てる。
 現れた美丈夫はエロティックな視線を向けて寄って来た。……新撰組の隊服のまま。
「土方。貴様何のつもりだ」
「お前はぶらぶら散歩をしていたら、偶々自分が落とした象牙の櫛を見つけても拾わねえのか? 普通拾うだろう。いや、拾う以外にあり得ない」
 何処までも自分勝手に突っ走る男に、いっそ海まで突っ走って言って入水自殺しろ、と睨みつける。
「新撰組は隊服のままぶらぶら散歩をするのか。随分と生温い組織だな」
 嫌みである。新撰組の局中法度では「士道に背きし者、切腹」。
「いや、隊服のままぶらぶら散歩している訳じゃない。たった今まで市中見回りだったんだが、お前を見つけた途端、奴隷を辱めながら散歩するご主人様に切り替わったんだ」
「勝手に切り替えるな。しかもお前はご主人様ではない」
「ほう……反抗的な態度だな。躾が必要か」
「人の話を直線で聞け。歪めるな。曲げるな。貴様の基準を捨てろ。むしろ命を捨てろ」
「この道に入ってから命は捨てたも同然だ。三回女から刺された」
「士道で命を捨てろ。色恋の道で命を捨てて如何する。後、三回も差されて何故死なぬのだ貴様は。死ねば良かったものを」
「ご主人様に奴隷が刃向かっても高が知れている。と、いうわけでお前に逃げ道は無いぞ」
「逃げる気はないが徹底的に刃向かうつもりだ。確実に仕留める」
「いや」
 土方の瞳が嗜虐的に細まった。
「お前に俺を殺すことはできない」
 嘲笑で返す。
「……何を根拠に?」
「お前に俺が近付けば、お前は必ず怯える。そんなに俺が怖いか? それとも……」
「黙れ下郎!」
 怒鳴ってから、動じた事を恥じる。
「ほら、やはり怯えている。氷、逃げる気は、本当に無いのか?」
「……無いな。貴様が如き輩から何故この私が逃げねばならぬ」
 だんだらの羽織が背を向けた。
「俺がこの趣味に目覚めてから何年経つと思っている? また会おうぜ、俺の氷」
 ひらひらと手を振るのに舌打ちで返す。
「あに様……大丈夫?」
「案ずる必要はない」
 腕に立った鳥肌は着物で隠れている。
「それより……今宵から出るぞ。火の玉が」
「うんっ」

 

 最初に火の玉を見たのは寺の子坊主であった。
「うう……行きたないな」
 そうは言っても出物腫れものところ嫌わず。夜中にでも厠には行きたくなる。嫌なのは厠に向かう途中に墓地が如何しても見えてしまう事だ。
「まだあの仏さん、そのまんまやねやろな」
 新仏とは先日の火事で死んだ芝居小屋の主だ。
「嫌やなあ……」
 子坊主は死体が苦手であった。理由も何も無くただ怖いのだ。寺の者に臆病者と笑われるが、それでも怖いものは怖い。
「大体和尚様かて、蛇が苦手やないか」
 ぼやく事で気を散らした。外は月光のみだ。
「寒いなあ……。……何や!?」
 急に見えた明るいものに子坊主は大声を上げた。その明るいものは例の新仏の上で光っており、その形状は丸く……。
「ぎゃーーーッ火の玉ーーーーッ」
 大声を聞きつけた寺の者が駆けつける。そこに火の玉は無く、子坊主が気絶していた。
 二回目は住職が見た。
 気絶した子坊主を馬鹿な事を言うなと叱りつけ、そんなものいないと証明してやると、弟子達と四人で新仏の墓で夜明かしをした。
 寅の刻。
「そろそろ夜が明けますね」
 弟子の一人の言葉に鷹揚に頷く。
「ほれ、やっぱり何も……」
 起こらん、と言う事はできなかった。新仏の上の土がバンと音を立てて舞い上がったのである。
「な、何や!?」
 土くれが舞い上がった場所から、赤い球体が浮き上がってくる。一人が叫んだ。
「ひ、火の玉やあっ」
 泡を食って逃げ出そうとする弟子達を制し、住職は経を詠み始めた。経が続くにつれ、火の玉は回転乱舞する。炎に火照った住職の顔が闇に浮かぶ。経が終わる頃、火の玉は消えた。
 翌日は噂を聞きつけた野次馬が五人連れでやって来た。酔っ払った勢いで季節外れの肝試し、という訳だ。新仏の墓の前で「まだかなあ」「出るかなあ」等と言い合っていた。実質誰も信じてはいない。誰かが「寒いから帰ろう」と言うのを待っているのだ。
 体が完全に冷え切った頃、ようやく一人が言った。
「わし風邪ひいたみたいや。帰ろ」
 ほっとして墓に背を向ける。
「やっぱりデマやったんやな」
「しょうもない事してしもたわ。うう寒」
 バン。
 破裂音と同時に愚痴は途切れた。背後にはめらめらと火の玉が浮かんでいた。
 四日目、墓は見物人で埋め尽くされていた。
「また出るかな」「怖いわあ」「芝居小屋の祟りやで」。
 口ぐちに騒ぎ立てる人々で溢れ返った寺。その隣の料亭の一室に彼らは居た。
 珍しく千鶴が下座に座っている。その隣に赤燕。そして目前には、小柄で細面に醤油顔の男が座っている。肘掛けに腕を預けた姿に何処か倦怠感を漂わせていた。その隣にはぽってりした唇の女。こちらも倦怠感を漂わせているが、男とは別の雰囲気だ。
「木の葉を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。よく考えたな。千鶴」
「……恐悦至極です。高杉先生」
 小柄な男は維新志士高杉晋作(たかすぎしんさく)であった。この男の配下に千鶴一派は従っている。今日、高杉と穏便に会えるよう千鶴は火の玉騒ぎを作り上げたのだ。
「で、あれは如何いう仕掛けなんだ?」
 高杉の瞳に好奇心が映る。膝をぐぐっと乗り出すと「如何なんだ?」とまた問うた。日頃の倦怠感はこの少年のままの好奇心の裏返しなのかもしれない。
「赤燕」
 頭を掻きながら、唯一大柄な男は説明を始めた。
「あれは燐ですよ」
「燐?」
「人間の体には燐というよく燃える物質が含まれてんです。で、死体のあちこちに火薬を仕掛けておく。それに金属片も」
「金属?」
「あの墓地の付近では以前にも火の玉が見られたという話があるんです。それも赤じゃなくて白い。これはプラズマという現象です。つまり、自然発生した電気の塊。要するに電気が流れやすい土地なんですね、あそこは。で、死体に入れた金属片に電気が通ると、その熱で火薬が爆発する。それをきっかけに燐も燃えだす。これが火の玉のタネです」
「そうか。そうか」
 高杉は何度も頷いた。面白い事がこの男は何より好きだ。火の玉のトリックは相当お気に召したらしい。
「そのプラズマの知識も英国人が教えたのか?」
 何の気なしに問うてからしまったと思ったのだろう。「あ、いや……」と口ごもる。
「高杉先生」
 案の定女が咎めた。
「ん……いや……すまん」
 ぐい、と膝を乗り出す。
「何だ。お前も清国人か?」
 赤燕の問いに女は頷く。
「やっぱり訛りで分かるな。何か懐かしい感じだぜ。故郷に帰ったみてえだ」
 女は俯いた。
「あなたの故郷は……まだあるの?」
「……無えよ。英国人に取られちまった」
「あたしもよ」
 阿片戦争。英国からの阿片の売買を清国が断った事から始まった戦争である。最新式の軍備の英国に勝てるはずも無く、清国は大敗。半植民地状態となった。赤燕はその阿片戦争の際日本に逃げて来たのだ。
「まっせっかく会えたんだ。しんきくさい話はやめて一杯飲もうや!」
「貴様が仕切るな」
 ツッコミをものともせず、仲居を呼ぼうとする。
「おーい」
 返事が無い。
「おーい、酒ー」
 返事が無い。
「おーい、聞けえええ!」
 ついに怒鳴ったところで襖が開いた。
「遅くなってすみません」
 吉田と山崎である。そして何故か彼らの手に酒が。
「店の者は如何した?」
「また火の玉が出たって全員出払っているよ。こういうのを因果応報というのかな。おや、今日は初めて見る女性が」
 女がうっそりと笑った。
「子見南子 子路不説 夫子矢之曰 予所否者 天厭之 天厭之、ですわ」
「言ってくれるな」
「何て言ってるんですか?」
山崎が問う。
「『孔子が南子を見ました。子路それを喜びませんでした。夫子これに誓って曰く、我がすまじき事は天これ厭たん。天これを厭たん』ってさ」
「つまり如何いう意味なんですか?」
 赤燕はバリバリと頭をかいた。
「知らねえ」
「孔子が南子と会ったのが子路には面白くなかったが、孔子は誓いを立てて「私の行いに間違いがあれば、天が私を見捨てるであろう。天が私を見捨てるであろう」とおっしゃった。すなわち、因果応報という事だ」
 さらりと答えた千鶴は姿勢良く正座したまま、「で、それが如何した?」とでも言いたげだ。説明してくれるのはありがたいが、もうちょっと「優しく教えてあ・げ・る」みたいな雰囲気にはできないものだろうか。できない。断言する。
「要するに火の玉騒動を起こしたせいで、酒にありつけないところだったという事か」
 高杉がげらげら笑った。細い体が思いっきり揺れる。笑う時はいつもこの癖が出る。
「ところで君は?」
 ようやく女の名前を聞いた。本当は直ぐ聞こうとしたのであろうが、こういう不器用さが吉田らしい。
「シャオメイ。小さな美と書きます」
「よろしく。ところで今日は何のために?」
 吉田に向かい、小美は握手を差し出す。
 握手が交わされると小美はサクランボのような唇で酒を口に運ぶ。赤い舌が唇を這った。
「佐幕派の連中を阿片で腐敗させられないかと考えまして」
 何でも無い事のように告げた瞬間。赤燕が怒鳴った。
「ふざけるんじゃねえ! あの悪魔の薬のせいで何人清国人が廃人になった!? 何故国を奪われた!? 俺達の誇りを汚すつもりか!」
 小美は嘲りの艶めかしさを見せる。
「阿片のせい? 笑わせてくれますわね。薬は常にただの粉。それを使うのは人。破滅するのは手を出した自分のせい。廃人には好んでなったようなものですわ」
「何だと!?」
「落ち着け。赤燕」
 冷静な口調で千鶴が問う。
「如何思われます? 高杉先生」
「幕府をぶっ壊すなら巧い手だ」
「高杉先生!」
 大声を手で制す。
「幕府をぶっ壊すなら、と言っているだろう。使えねえんだよ、その方法は。確かに佐幕派の連中に阿片を出回らせりゃ向こうは大打撃だ。けれど、それは確実に民間に流出する。日本が阿片中毒ばっかりになる。それじゃ元も子もねえだろうが。それによ」
 山崎から酒を取り、銚子からラッパ呑みする。
「面白くねえだろうが。そんな手使って幕府潰してもよぉ」
 銚子が卓上に置かれる。この論議は終わったのだ。
「さあて、明日はもう発たなきゃならねえ。今日はもうお開きだ。帰んな。あ、酒は置いて行け」
 畳の上にごろりと転がって再び銚子からラッパ呑みしている。
「はい。帰るぞ、赤燕。高杉先生、ご酒はほどほどに、という訳ですので」
 まだ酒の入った銚子を取る。
「これは没収させて頂きます」
「え? ちょっ待て千鶴! おい、持って行くな! おーい、千鶴ちゃーん!」
 懇願を聞き流しつつ外に出ようとする千鶴達の耳に中国語が飛び込んで来る。ひどく早口のそれは赤燕のみ理解できた。
「妾の転生は終わらない。芝居小屋の焼け跡で」

 

 しとしとと小雨が焼け落ちた材木を濡らしている。
「これじゃ自慢の火薬も使えないわね」
 小美は中国服から伸びるしなやかな足を組ませて待っていた。材木の上で。
「その服……覚悟ができてるのかしら?」
 赤燕も中国服を纏っていた。
「できちゃいねえさ」
 す、と芝居小屋跡を指差す。
「あの脚本、書いたのはお前だろう」
「あら、よく分かったわね」
「そりゃ分かるに決まってる。昔っからお前が書くのは女が死んで救われる話ばっかりだ」
「生れついての性かしら。それとも……未来を無自覚に予測してた?」
 中国服の胸元が開いた。
 胸からきっと下まで伸びている、痛々しい火傷の痕。
「ねえ。あたしはあなたを信じていたわよ」
 白い指が火傷痕をなぞっていく。
「何度生まれ変わっても、きっとあなたと結ばれるって思ってた」
「俺もだ」
「そう、じゃあ」
 中国服の襟が閉じられた。
「お互い馬鹿なガキだったのね。虚しいわ。愛しいわ。ねえ、火薬使いの赤燕さん」
 雨に濡れているのもお互い構わない。
「あなたはどっちを抱きたいの?」
 無言に指を振りながら続ける。歌うように。
「奸智に長けた狐さん? 人殺しが大好きな鬼のお嬢さん? ああ、でも狐さんだったらあなたは女を愛さない人ね。それだったら悔しいわ。ねえ……どっち?」
 声を絞り出した。
「抱きたいからあいつらについてるんじゃねえ」
 小美の顔が歪んだ。嫉妬と憎悪に。
「そう……そうなの……あなたは同志を再び得たのね。で、如何するの。また焼くの?」
「もう二度と……あんな間違いは犯さねえよ」
「間違い? 間違いで済ますの?」
 小美はヒステリックに笑う。
「あなたのせいで私の父さんも母さんも兄さんも弟も妹も、みーんな死んだのよ?」
 阿片戦争時、赤燕は少年兵として、火薬使いとして前線に立っていた。
「何年もかかったわ。あなたを探す時間は一生で一番長かったわ」
 その日は小美の家を借りて火薬の調合を行っていた。水を汲みに井戸へ出て、つるべを落としたのと同時だった。
 今まで入っていた家が爆発した。
「火薬はただの粉。破滅するのは使う人のせい。けれど、あたし達は使っていなかった。使っていたのはあなた一人よ」
 生存者は小美一人。そして赤燕は、逃げた。海を渡って日本へ逃げた。
「ねえ。如何してくれるの?」
 地に両手を付く。
「すまなかった。詫びる」
「詫びる? そんな事で詫びたつもり? ふざけないで」
 小美は短刀を赤燕に投げ渡した。
「死んでよ」
 短刀が雨に濡れる。
「死んでよ」
 濡れた短刀を掴む。手が滑るのは雨のせいだけじゃない。落とさないのは握力のせいだけじゃない。
「早く死んでよ!」
 短刀を真っ直ぐ喉に向ける。
「やっと死ぬんだ! あはは! あはは!」
 喉に刃の冷たい感触を覚える。次に感じたのは痛み。なれど、喉からではなく手から。
「何よあなた!」
 短刀を奪い取った者は薄紅の振り袖を雨に濡らしながら問い返した。
「君こそ、誰?」
「な……ッ」
 凛、と別の声が響く。
「随分と安い芝居の大根役者だな、赤燕。閑古鳥のみ客にして如何する」
「大根の上土まで付いてますね。如何するも何も如何しようもないんじゃないですか」
「お恋……千鶴……慶庵……」
「何なのよあなた達!」
「逆に問い返す。貴様は、何故私達を知らぬのだ?」
「な……」
 千鶴は淡々と
「赤燕は正式に高杉先生に就いている維新志士ではない。あくまで私に付いているだけだ」
「そ……それが如何したのよ」
「ならば何故高杉先生の方に先に赤燕を連れて来いという報が入る。高杉先生の事を赤燕が知っているとは限らぬのだぞ。逆もまた然り、だ。一言そんな奴は知らんと言われれば終わりだ。赤燕が京にいる、と知っているのなら、私を探すのが普通ではないか?」
「そ……それは……あなた達が隠れ潜んでいるから京の何処に居るのか分からなくて……」
「また矛盾だ。高杉先生は九月に奇兵隊総監を辞められたばかり。足跡を辿るのならば、京に居ると分かっている私達の方がずっと探しやすい」
「う、うるさい! 高杉の方に偶然先に会ったのよ! そう言う事ってあるでしょう?」
 千鶴の口角が釣り上がった。
「ついにボロを出したな」
「……どういう意味よ……?」
「私達は吉田稔麿を通して高杉先生の命令を受けている。私達の居場所は高杉先生は知らぬのだ。知っているのは吉田のみ。なれどあやつはこう言った「初めて見る女性」と」
 女の顔が青黒く変色した。
「そろそろ効いて来たようだな」
 ごぼり。
 女の口から大量の血が吐き出される。
「何を……」
「一服持った。慶庵調合の毒薬だ」
「な……あた……しが……本物だったら……如何する気だったのよ……」
 この上なく冷徹に千鶴は言った。
「維新に阿片を使おう等と申す無能者、本物だろうと偽物だろうと生かしておいて益は無い」
 女は倒れた。
「赤燕」
 全てをジオラマのように眺めていたのに、お恋が声をかけた。
「あのね、あに様があの女の人を偽物じゃないか? って思った理由、もう一つあるんだよ」
「……」
「自分がそんな目に遭わせた人を見て、赤燕が気付かないはずが無いって」
 赤燕の口元が緩んだ。
「あの芝居、七度めの転生は朱雀になるんだったな」
 短刀を手に取ると、焼けた材木を赤燕は彫り始めた。
 女の死体の周りに作られる、羽根、羽根、羽根。
「何処の誰だか知らねえが、これで転生は終わりだぜ。俺はまだ死なねえけど」
「赤燕……」
「ああ。気付いていたさ。この女の想いは」
 恋する女は朱雀となった。もう恋する者を殺す事は無い。
「間違えた振りをしたままの方が良かったか……?」
「良いわけないだろっ!」
 喰ってかかるお恋の頭をぽんぽんと叩く。
「そうだな。良い訳ねえ」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


五 拝み殺して下さい

元治元年正月
 その男は加茂の野原を歩いていた。
 急いでいる風ではない。のんびりしている風でもない。ただ、歩いている。
 派手な花柄の刺繍の入った着物を重ね着している。高下駄が時折小石に当たってこつりという。
 齢が良く分からない。ただ若者としか表現できない。
 顔はとても整っている。千鶴のような清純な美貌でもなく、お恋のようなきゃいきゃいとした可愛らしさでもない、妖しげな色気のある顔である。
 暗闇なので隠されていたが、随分と小柄だ。
 そうこうしている内に彼は町中に入った。
 目指す音が聞こえてくる。
 周囲は土壁。とん、と勢いをつけて跳び、土壁の中に失礼した。分厚い土壁である。
 随分大きな屋敷だ。そのまま真っ直ぐ向かうと、はっきりと音が聞こえた。
 土壁越しに聞こえてくるのは肉が裂ける音、骨が断ち切られる音、刀がぶつかり合う音。
 一対五、六人か。
 見当をつけて、また耳をそば立てる。
 哄笑が闇夜に響き渡った。
「アーハハハハハッ! まだだ! まだ死ぬな! まだ足りないんだまだァ!」
 ……良い趣味してるな。と胸中で呟く。
 斬り合いの音が止んだ。代わりに漂ってくる血肉の臭い。
「ククククアーハハハッ」
 まだ哄笑は止まない。次の瞬間だった。
 土壁がばらばらに斬り開かれたのである。
 とっさに屋根の上に跳ね上がって逃れる。その身のこなしはまるで猿だ。
 瓦や土壁の破片の向こうから黒い着物に赤い椿の模様、赤い簪が見えた。
 屋根を走り、伝いながら今度は口に出して呟く。
「人間業じゃねえ」

 

 翌日の昼、またしても彼は同じ場所を歩いていた。
 死体はすっかり片づけられているが、生々しく血の痕が残っている。血の量を見ると六人相手だったようだ。
 軽く肩を竦めて先程の野原に戻る。
 命令無しに動いている身だ。大っぴらに出歩けない訳ではないが、なるべく討幕派と関わりたくはない。
「お兄さんお兄さん」
 それなのに、向こうから声をかけて来た。
「…………………………・何ですか?」
 たっぷり沈黙したのは声をかけて来たのが桃割れに髪を結った十七程の娘である事が理由ではない。その娘は、昨日の人斬りであったのだ。
 娘は屈託なく笑いながら問う。しかも草原に寝そべって。
「お兄さん、暇?」
 ポーカーフェイスで答える。
「暇に見えますか?」
「すっごく暇そう」
 ポーカーフェイスを崩さず。
「お兄さんはねーとっても忙しいんですよー。今も仕事中なんですよー」
 勝手に始めた仕事ではあるが。
「昼間なのに忙しいの?」
 不思議そうな顔をされる。少し気になった。
「私はどういう仕事だと思ってます?」
「陰間」
 ……聞くんじゃなかった。
「私は陰間じゃありません。と、いうかあなた陰間の意味分かってらっしゃいます?」
「馬鹿にするなよ! 君みたいな恰好して男の人と遊んで稼ぐ人だろ!」
「正解です」
「ところで何して遊ぶの?」
「……基本的なところで理解の欠如がありますが、此処は往来です。あなたにそれを教えたら私が変態と思われます。自力で調べてください。保護者には聞かないように、一生の後悔をします」
「んー、よく分かんないけど君が人に知られたらまずいようないやらしい仕事してるって事?」
「本当の陰間に失礼です」
「だって君いやらしい感じの格好してる」
「この着物を選んだのは私じゃあないです。と、いうかいやらしいから離れてください」
「じゃあ、何してる人なの?」
 紅を塗った唇が反った。
「祈祷師ですよ……。拝み屋、霊能者、何でも呼び名がありますが、ね」
「ふうん、で、京まで何しに来たの?」
「何で京の者じゃないと分かるんです?」
「だから馬鹿にするなよ! 京言葉じゃないからに決まってるだろ!」
「そこは常識的なんですね。あなたも……」
 ちらりと視線を娘の口元に移す。
「京言葉じゃありませんけど」
「僕は京女じゃないもん。生まれた所の訛りは直したんだよ」
「ほう……」
 娘はまだ草原に寝そべって両肘で上半身を起こしている。
「若いお嬢さんが行儀が悪いですよ」
「だって立ってたら寒いもん」
「家に帰りなさい」
「あに様に追い出された」
「え……何やったんですか?」
 昨夜のはやはりやり過ぎであったのだろうか。
「書類書いている時に後ろからしがみ付いて「抱き人形ー」って遊んでたら邪魔だって追い出された」
「そりゃ相当鬱陶しいですよ! 本当邪魔ですよ! 何やってるんですか!」
「何だと! 君に僕らの絆は切らせないぞ!」
「別に絆を切る気はありませんけど、お兄さんの堪忍袋の緒はもう切れた後でしょう」
「あに様堪忍袋の緒、やわやわだからなあ。しょっちゅう切れる」
「しょっちゅうやってるんですか!」
「で、話は戻るけど、何しに来たの?」
 真っ黒な目がこちらを見据える。
「私は祈祷師ですよ。京の都に怪しい出来事が多いってんで、祓い清めに参りました」
「怪しい?」
「ええ。飴買い幽霊、墓場の火の玉……そして札貼り侍」
「へえ……札貼り侍まで知ってるんだ」
「祈祷師、ですからね」
 唇を釣り上げたまま答える。
 札貼り侍とはここ七日程連続して起きている人殺しである。その死体のあまりの異様さから、巷ではもっぱら妖怪変化の仕業と噂されている。
 それ、に襲われるのは侍ばかりだ。彼らの躯には必ず額に深紅の札が貼ってある。そして札を剥がすと彼らの顔は札の貼ってあった所だけ、ミイラのように干からびているのだ。
「そんな最近の事を知ってるなんて、いつから京に居るの?」
「ごく最近……ですよ」
「今まで何処に居たの?」
「それはあなたも知られたくない事なんじゃないですか?」
 ごろり、と娘は仰向けに転がった。
「それはその通りだ」
「ね。そういう訳で詮索は無しって事で」
 下駄を鳴らしてその場を離れる。今は時では無い。

 

「佐幕派ばかりだな」
 札貼り侍の犠牲者のリストを全て見終わった千鶴が言う。
「吉田のおじちゃんに報告する?」
「まだ時期尚早だ」
 それを聞くとお恋はまた玩具に夢中になった。
 小さな木の板に小さな木の杭が沢山打ちつけてあり、それを立てかけて平べったい人形を落とし、カタカタと引っかかる音を楽しむ、シンプルな玩具であるが相当気に入ったらしい。赤燕も作ったかいがあったというものだ。
「でも、僕らのほかにも狙っている人居るみたいだよ」
「佐幕派をか?」
「ううん」
 首を振り、また玩具をカタカタ鳴らす。
「札貼り侍の方」
「……何故知っている?」
 海老反りのように起き上がり、そのまま座る。
「会ったから」
「誰に?」
「祈祷師のお兄さん。京に怪しい事が多いから祓い清めに来たんだって。京の人じゃないよ」
「どんな人でしたか?」
 慶庵が割って入った。
「うーんとね、陰間みたいな恰好で――」
 一通り姿口調が説明されると、慶庵は頭が痛そうに唸った。
「うー……あいつかあ……」
「知り合いか?」
 千鶴に首を縦に振る。その困り切った顔を見て、赤燕がははあ、と。
「お前、男にも手ぇ出してたのか」
 成程。と納得する兄妹。慌てて否定する。
「違いますよ!」
「ええ!? 汚れを知らない初心な少年が垂らし込まれた揚げ句捨てられて、復讐を誓い京まで上って来て慶庵の命は風前のともし火なんじゃないの!?」
「そこまで言ってませんよね! 何で命の危機まで発展するんですか!?」
「じゃあ世間の荒波に揉まれて生きる事に何の希望も見出せなくなっていた青年を、口八丁で仮初めの希望を見せ、信じ切られたところで何も言わずに姿を消したのを追って来て慶庵の命は風前のともし火なんじゃないの!?」
「どんだけ外道だと思われてんですか俺は!」
「ま、風前のともし火部分は冗談としても……」
「そこだけ冗談じゃ駄目です! 全部冗談にしてください!」
「じゃあ何なのさ」
 額に手を当ててぼそり、と言う。
「あれは令尼(れいに)と言いまして……俺の息子なんですよ」

 

「今日の死体はあれですよ」
 山崎の案内で辻を曲がると、確かに真っ赤な札を額に貼られた死骸が転がっている。
「ちゃっちゃっと見てくださいね。俺だってそんなに無理できないんですから」
「解っている。如何だ? 慶庵」
 札を剥がすと、やはり、顔の額がミイラのようになっていた。
「間違いありません。俺の開発した「血吸いの札」ですよ」
「如何いう仕組みだ?」
 札をくるりと裏返すと、薄い割れたガラスと針がへばり付いている。
「注射器の要領です。この札を額に押し付けると針が突き刺さって血液を吸い上げ、内部のガラスに溜まる。必要な分吸い取ったらガラスの容量も一杯ですから更に強く押してガラスを割るんです。すると札が溜まった血で真っ赤に染まる、と。息の根を止めようと思ったら、確実に仕留める血管の場所を把握していないといけませんが、令尼なら可能です。俺がいろはを叩きこんでますから」
「そうか……。父親が相当な不良だと息子も影響を受けるのだな」
「俺が元凶みたいに言わないでくださいよ」
 項垂れるのを軽く無視して山崎に向き直る。
「して、貴様はこの件、如何する?」
 肩を竦めて返答する。
「黙っておきますよ。俺が討幕派だってバレたら困りますからね。あんたって人は解ってる癖に聞くんだから」
「ならば撤収するぞ。世話になった」
「あの……それだけですか?」
「それだけだが?」
「何かお礼とかそういうのは……」
「今言ったであろう。その両の耳は飾りか。飾りならば不格好だ。取り替えろ」
「何!? 何で俺罵られてんの!? そうじゃなくて物品的なものですよ!」
 慶庵が懐から紙包みを取り出す。
「ありがとうございました、山崎さん。では」
 十秒後、「何でお礼に下痢止めええ!?」という怒声が響く事になる。

 

 闇夜を走っていた。背後から提灯の灯りが追いかけてくる。
「姿を見られたな……」
 令尼は呟く。
「何だあいつの速さは!」「ま、待て!」
 その台詞が終わらぬ内に、令尼は屋根に跳ね上がった。そのまま一直線に町屋の上を走り抜ける。追っ手が横付けで追って来る。令尼はまた跳ねた。通りを一またぎして、向かいの屋根に飛び移る。
「何処だ!?」
 声が遠のいていくのを確かめながら、何度も跳ねた。飛び移るにつれて追っ手の声が聞こえなくなった。
 カツ。
 最後の屋根に飛び移ると、下駄が瓦に当たって音を立てた。しまった、と思うが聞いている者もいるまい、と思い直す。
 しかし。
「遅かったね」
 屋根の上の暗闇から声がした。思わず目を見開く。
 そこには、黒の上下に赤い椿の簪を挿した侍が立っていた。
「待ち伏せ……ですか?」
「ううん」
 愉しそうな声だ。
「気付かれないように追いかけて行って先回り」
「それを待ち伏せっていうんですよ……」
 余裕があるように見せかけているが、実のところ余裕など皆無だ。
 あの全力疾走を気付かれぬように、追って来て、なおかつルートを読んで先回り。
「ねえ」
 再び声が発せられた。
「何です?」
「鬼ごっこしようよ」
「わざわざやらなくても……あんたはもう鬼でしょうよ。人斬りお恋さん」
「あれ? 何でその話知ってるのかなー?」
 じり、と後ろにさがる。
「長州では少しばかり噂になってましてね。ご存じなかったんですか」
「うん。知らなかったー」
 きゃらきゃらと笑って屋根の上に座る。一件隙だらけ。その実、間合いに入ったら体の一部とサヨウナラだ。
「ねえ。それよりもさ。しようよ。鬼ごっこ」
「お断りします。あんた、俺なんかと鬼ごっこするより、男前と色恋沙汰での鬼ごっことでもなさったら如何です?」
「君も十分カッコいいと思うけどなあ。色恋沙汰は興味ないけど」
 次の瞬間、幾重にも纏った着物の胸倉が掴まれた。目の前に娘の血に誘う顔。
「捕まえた。僕が捕まえたから今度は君が鬼だよ」
「……参加するとは……言っちゃあおりませんが……」
 胸倉に力が込められる。思わず血吸いの札に手を伸ばす。
 ぱしんと音を立ててその手が叩かれた。
「参加しなくてもいいけど……そうなったら君の大事な人が死んじゃうよ」
「大事な人……? 何の事やら」
 作り笑いに無邪気な笑いが返される。
「君のお父さん。蘭学に通じる為に脱藩して、今は表向き陰陽師をやりながら維新活動をやっているお医者さん」
「!」
 息を呑んだのがバレたのであろう。またお恋は愉しげにきゃらきゃらと笑う。
「クク……うぞうぞするなあ……」
 次の瞬間、お恋は頭から先程またいだ通りに飛び降りた。くるりと一回転して着地する。
「早く追って来なよ」
「ち! 意地の悪いお人だ!」
 令尼も屋根から飛び降りた。
 そのまま黒い着物を追う。
「おい! お前!」
 向こうで声が上がった。
「ぎゃあああッ」
 次に血の臭いと悲鳴が木霊した。
「何があった!?」
 今度は背後からの声。
「あ! お前はさっきの……」
 先程の追っ手であった。一人か。
 札を取り出し、相手の眉間に貼りつける。手に力を籠めると、血を吸い取る感触とガラスが砕ける感触。
 追っ手の男が絶命した途端、今度は三人の男が現れる。だんだらの羽織は。
「新撰組……ですか」
「貴様、何者だ!?」
 うっそりと答える。
「ただのしがない……祈祷師ですよ」
「ふざけるなッ」
 上段の構えで斬りかかって来た男の上に跳ね、逆に頭上を取る。
「失礼しますよ」
 血吸いの札を眉間に貼りつける。男の頭部に体重をかけ、背後から斬りかかって来た男の頭に跳びかかって札を貼る。
「きええええッ」
 最後の新撰組隊士は突きを放って来た。とっさに方向を湾曲して動き、眉間に札。
 三枚の札が赤く染まった。
「さあ、鬼ごっことやらを続けますか……」
 地を蹴って走り出した。悲鳴が聞こえる。あちらか!
 見当をつけてからはショートカットをする事にした。屋根の上を駆け抜けていく。
「おかしい……」
 悲鳴と血臭の方向は如何考えても祇園。繁華街だ。目立つ事は避けるのが人斬りの常。
「まさか……祇園の人を皆殺しにしようっていうんじゃ……」
 通常に考えればそんな事をしても意味は無い。しかし……相手は……通常では無い。あの殺意に酔いしれた永久の闇の瞳。
「考えていても仕方ない」
 再び足を速める。刺繍を縫い付けた着物が夜に閃く。
「俺達は、明るい所に出ちゃいけない。だからって……」
 祇園に到着した時、店の提灯と言う提灯が全て切り裂かれていたのだ。当然辺りは無明の闇。
「何や何や?」「いきなり灯りが消えたで」
 野次馬が大量に集まっている。常人なら何も見えない状況に好奇心を持って。
 この中で相手の気配が分かるのは人殺しに慣れた者。すなわち、令尼とお恋と。
「静まれ!」
 新撰組。
 屋根から降り、野次馬の中の一人に声を掛ける。
「捕まえましたよ。お恋さん」
 クスリ。
「君も捕まりそうだよ」
 次の瞬間、背後の首が刎ね飛ばされた。
「紛れるならもっと巧くやりなよ。新撰組さん」
 分からなかった。
 抜刀からの納刀まで、一切気付かなかった。
「如何したんだ!?」
 闇の中、血臭に気付いたのであろう新撰組達が走って来た。
 敵は三人。
 一人目は一直線に突っ込んできた。体を捻ってかわし、眉間に札を貼り付ける。
 二人目はその瞬間を襲った。横薙ぎに払って来る刀。しかし僅かに令尼のスピードの方が勝っていた。とっさに鳩尾に蹴りを加え、相手が呻いて体勢を崩したところに札を貼る。
 その札を貼っている間に刀を振りかぶる風切り音がした。
 殺られる。
 しかし、刀は振り下ろされなかった。お恋が間に立って、新撰組隊士の刀を受け止めていた。
 新撰組隊士の眉間に札を貼った時、お恋は大声を上げた。
「わらわは天照大神なり!」
 バン。
 隣の茶屋が爆発し、焔が辺りを照らし始める。
 気を取られている間に、着物が切り裂かれ、下着の肌襦袢一枚の姿にされる。そして顔に血が模様のように塗りたくられた。
「何を……?」
 問いの答えは無かった。群衆に紛れてお恋は叫ぶ。
「わらわは天照大神なり! わらわの末裔、現人神の時代は来たれり! 皆の者、天皇を崇めよ! 崇めずないがしろにする無礼者共はわらわが天刑を下したぞえ! 真紅の札はわらわの札、日輪の色の札なり!」
 誰の事を言っているのかは分かった。群衆は皆令尼に平伏していたのである。

 

 いつもの飲み屋で、千鶴と吉田は酒を酌み交わしていた。
「しかしお前の大胆さは凄まじいな。神まで味方に付けるなんざ」
「神? 然様な者居るとは思えぬ。居ても頼ろうとは思わぬ」
「……不遜だぞ」
 非難がましい目を無視して、稲荷寿司を口に運ぶ。形の良い唇がもくもくと動く。
「大衆とはいと操り易きもの」
「またその台詞か」
「己を正義と思い込むことによって、人は悪辣非道な振る舞いを己に許す。逆にいえば代議名分が無くば動かぬ」
「……・お前に代議名分なんてあるのか?」
「私は例外として必要としていない」
「ああ、そう」
 酒を猪口に注ぐ。
「要するに、人心を味方に付けるには、それが正義の行いと思い込ませねばならぬのだ」
「……・その言い方何とかならんか?」
「ならぬな」
「そうか……まあ良い。続けてくれ」
「現在の正義、すなわち最も権力がある者は幕府だ」
「それは俺達が変えていくことだ。俺達が正義となり維新を成し遂げて」
「黙れ。話の途中だ」
 一言で切り捨てられ、仕方無く稲荷寿司に齧りつく。美味い事は美味い。
「故に、正義を変える為には更なる権力が必要だ。人々の象徴となる存在がな」
「それで天照大神か」
「うむ。しかし実在せぬ物を象徴とするには時間がかかる」
「いや、だから実在せんと決まった訳じゃ……」
「黙れと言っている」
「……・」
「そこで使えるのが天照大神の末裔とされている天皇だ。あれは象徴に有効だぞ」
「そこが分からん。如何やって天照大神を出現させたんだ」
「出現などしておらぬ」
「……?」
 首を傾げる吉田の顔を見て「間抜け面だな」と一言。
「令尼の着ている着物はお恋の言っていた事から分かっていた。慶庵のみつくろった通りの着物だとな」
「……それが?」
「まずは夜な夜な佐幕派を殺して回っている令尼を探し出し、お恋の後を追わせる。お恋の方が足は速いから、先に祇園に行かせて提灯を全て消す。これで辺りは暗くなる」
「それは野次馬に行った奴も言っていたな。急に火が消えた、と」
「そこで新撰組とやり合う。令尼は血吸いの札を使う。お恋はそれまでの道のりで新撰組隊士を斬っている、さて、人を斬ったら何が流れる?」
「血?」
「疑問形にするな。他の物が出て堪るか」
「いや、色々考えたぞ。魂とか涙とか」
「その血が役立ったのだ」
「……無視か」
「令尼が棒立ちになっている間に、お恋が着物を切り裂き、顔に血で化粧をした。そして赤燕が爆発を起こす。尋常でない状況での尋常でない姿の者、これは一体何であろうか? 考えが纏まる前にお恋が名乗りを上げる。天照大神、とな。状況が状況だ、民衆は信じ込む」
「成程。だが、何故令尼が棒立ちになると予測できたんだ? 普通抵抗するだろう」
「名前を呼ばせたのよ」
「名前?」
「そう、他の者に気付かれぬよう、慶庵が名前を呼んだのだ「令尼!」とな」

 

「すみませんでした」
 令尼は深々と土下座をした。
「随分デカイ息子だな」
 赤燕の感想に慶庵が微笑む。
「血は繋がっちゃおりませんよ」
「へえ、慶庵が若作りなんだと思った」
「お恋……それは誉めてるんですよね?」
「けなしてるよ? 「じゃあ相当若い内から遊んでたんだと思った」って言おうとしたもん」
「……」
 令尼の髪を掴んで慶庵が顔を上げさせる。
「痛っ」
「この子はね、俺が陰陽師に成り立ての頃、祓い殺すのを頼まれた子なんですよ」
 座敷牢にその子供は座っていた。まだ幼い顔に表情と言うものは悲哀以外浮かばない。
『陰陽師様。こちらがうちの娘が鬼に孕まされた鬼子で御座います』
『鬼子……?』
 少年の細い指を見る。
『はい。孕んでいるのが分かったとき、相手を問いましたら、毛むくじゃらで大きな角を生やした鬼だと』
『ほう……』
『直ぐに殺しておけば良かったのですが、何分鬼子を宿したと知れ渡らせる訳にも行かず……。しかもこの鬼子口が利けるようになると、毎日言うのです』
『何を?』
 少年が口を開いた。乾いた唇から発せられたのは小さな声。
『殺すと祟るぞ』
『ひいっまた言った! 陰陽師様! この鬼子を調伏してください! なんておぞましい声だ』
『そうですかねえ、結構可愛い声だと思いますが。まあ、これは鬼子じゃありません。レイニーデビルですよ』
『れいにーでびる?』
『ええ。泣き虫の悪魔。正体は猿に食い殺された子供の亡霊です』
『何でも良い! 早く退治を!』
『いや、こいつはこの国では珍しいので、俺が連れて帰ります。さあ、来るんだ』
 初めて出た外で、子供は初めて着物らしい着物を着せられた。
『うん。やはり良く似合っている』
 俯いたまま子供は問うた。
『何故助けた』
『外に出たくなかったのか?』
『俺は悪魔なんだろう』
 大笑いが響いた。心底可笑しそうに、その陰陽師は馬鹿にした。
『お前、あんな馬鹿な話を本気で信じてたのかうわはははは!』
『じゃ……じゃあ……』
『お前はただの捨てられた子だ。それに、言っただろう? 泣き虫だって』
 ぎゅ、と抱き締めてくれた大きな手の持ち主は言った。
『お前の名前は令尼に決めたよ』

 

「ねえ、令尼、僕何で君がこんな事したのか分かっちゃったよ!」
「お恋……」
「慶庵と一緒に居たかったんでしょっ。慶庵に帰って来て欲しかったんでしょっ」
「……」
 家の扉が開いた。
「それは困る」
「あ、あに様!」
「千鶴……」
「慶庵は我らの維新において失うのは大きな痛手だ。令尼とやら。貴様の役目は終わった。失せろ」
 令尼は俯いたまま立ち上がった。のろのろと玄関に向かって行く。
「すみませんでした。失礼致します」
「待て」
 千鶴が呼びとめる。
「貴様は何を買って来いとも聞かずに使いに行くのか。何をする気だったのだ。無能め」
 ぽかん、とした表情に続けて命ずる。
「貴様の行為は愚行だが結果的に得たものはあった。そして戦闘能力もある。私の手駒として動くのなら、命は助けてやらん事も無い」
 令尼の顔が慶庵の方を向いた。
「慶庵様……」
 鋭い叱責が飛んだ。
「話をしているのは私だ。自分でその程度の事も考えられぬ手駒など不要ぞ!」
 令尼は廊下で膝を付いた。
「仰せのままに、千鶴殿」
「あに様優しいーーっ」
「お恋、抱きつくな、鬱陶しい」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


六 集い殺して下さい

元治元年六月。
 ごろごろと男達が転がっている。
 虚ろな目をし、言葉も発さずにただ呻き声を上げて。
「如何だ?」
 慶庵は首を振った。苦しげな顔は「医者」のものだ。
「駄目ですね。もう手遅れです」
「十一人、か」
「ええ……」
「全てか」
「全て、常習した後、いきなり過剰摂取を行っています」
 舌打ちして呟く。
「愚か者共が」
「しかし、阿片を常習しようと思えば、相当な資金が必要です。維新志士達にそんなに金があるのでしょうか……?」
 令尼が口を挟む。板張りの床が呻き声で振動する。
「慶庵、令尼」
 千鶴が転がっている男達を指差した。
「楽にしてやれ」

 

 一条の外れにその家はある。平屋に小さな庭があり、先程まで食事をしていたのであろう香りが漂っていた。
「で、話は何だ?」
 千鶴がじろりと睨みつける。
「美人がそんな顔するもんじゃないぜよ。無愛想じゃのう」
 作り笑いを龍馬が浮かべる。
 油断のならない相手、とお互い認識しているのだ。
「粗茶ですが」
 とん、と令尼が三人の前に湯呑を置く。直ぐに緊張から立ち去った。
「いやー京の六月は蒸し暑いな。土佐の夏はええぞ。暑いのが帰って気持ちええ」
「地元自慢など知った事か」
「しかも夏ミカン美味いしな。あのちゅーって酸っぱいのが堪らん」
「さっさと用件を言え! 言って帰って死ね!」
「いや、それじゃったら言う意味ないき。何ぜよその三段階」
「はッ龍馬が自殺なんてするわけねえだろ馬鹿が。こいつは「世界人類と自分の命、どっちを取りますか?」って神に聞かれたら「それは自分の命取ったら、この世はわし一人のもんちゅう事じゃな! ひゃっほう!」とか言う男だぜ」
「酷ッ! 八雲! おまん俺の事そんな風に見てたがか!?」
「じゃあ世界人類取るのかよ?」
「自分の命取るけど「ひゃっほう」とかアホそうな歓声は上げん!」
「そこ比較的如何でも良い事じゃね!?」
「さっさと用件を話せ! 漫談がしたくば道でやれ! 言っておくが面白くはないぞ!」
 ついに怒鳴った千鶴に、相変わらずの笑みを龍馬は向けた。爬虫類の笑顔とはこんな風であろうな。と思う。
「おんし、維新に阿片を使おうとしとった奴の事覚えとるかのう」
 先日の赤燕の係わった事件だ。
「……それが?」
ずず、と音を立て、龍馬が茶を啜る。隣に座っている八雲は左目に黒い眼帯をしていた。先日お恋にやられた傷だ。
「それが、か。冷酷非情と聞いておったが。さて、本当の事か怪しいもんじゃ」
次の瞬間、八雲が龍馬の顔を机に叩きつけた。
カツ、という音を立てて何か龍馬の背後に突き刺さる。
 鈍く光り、柱に突き刺さっているのは棒手裏剣。
「ほう……独眼になっても腕は変わらぬようだな。随分立派な飼い犬だ」
「てっめえ……・!」
 激奮するのを龍馬が手で制する。千鶴は何事も無かったかのように茶を啜る。
「見ての通りだ」
「冷酷激情、とでも言うておくか。そう言うと雪女に似ておるの」
「さあな。性格分析をするのは勝手だが、自分もされている事を念頭に置いておけ」
「ほう」
 龍馬も茶を啜る。
「わしらの事はどう見る」
 す、と白い指が龍馬を指す。
「大胆狡猾」
 八雲を指す。
「烈火短気」
「わはははは!」
 龍馬が豪快に笑った。千鶴と八雲は顔を顰める。
「そういう嘘くさい馬鹿笑いが根拠の元となっているのだ」
「嘘くさいか? 笑顔は人間の潤滑油ぜよ。油は使えれば良い。たとえ偽物でもな」
「ふん……。へらへら笑うのが武器か。四国はタヌキの産地と聞くが真のようだな」
 再び八雲を指差す。無礼を承知でやっている。
「貴様、右目はもう使えまい。義眼を入れられぬほど貴様らの財政がひっ迫しているという話は聞かぬが……?」
 八雲は頬杖を付いた。
「入れねえよ」
 眼帯をとんとんと指差す。
「幕府が倒れるまで、俺は義眼を入れねえ」
「願かけか。随分と日本人めいた事をする。坂本龍馬も迷信を教える事もあるのか」
「なッ! 迷信なわけあるか!」
 怒鳴る八雲に口元だけ緩める。
「おや? 私は「坂本龍馬が迷信を教える事もある」と言っただけぞ? 貴様が素直に教わった通りやっているなどとは一言も言っておらぬが?」
「……ッ」
 龍馬が本当に唇を綻ばせた。
「八雲は素直に言う事をよく聞く奴じゃ」
「龍馬!」
「照れんでもええじゃろ」
「照れてるんじゃねえよ! ムカついてんだよ! 最終的には迷信か本当がどっちなんだ!?」
「さて。信じれば真となり。信じなければ嘘となる。最終的には幕府は倒れるんじゃからどちらでも同じぜよ」
 千鶴の蜜色の目が何処を見ているのか分からなくなる。
「幕府は倒れる。言いきったものだ」
「おんしは倒幕派じゃろう? それなのにほがな事言うがね? それとも」
 龍馬の目が更に細くなり、ほとんど糸のようになる。
「本当の目的の為には倒れられたら困るとでも?」
 千鶴の視線が戻って来る。
「何の話か言っている意味が分からぬな」
 電流のように走る緊張。
「それより本題に入ったら如何だ?」
「まあ待て。それより酒は出さんのか? わしらは薩長同盟を成立させたばかりじゃ。祝いの酒ぐらい用意してくれても……」
「生憎と酒の買い置きは無い。まあ例えあったとしても無いと言うが」
「そうか。それなら外に飲みに行くしかしゃあないのう」
 三人が立ち上がった。
「不味い酒になりそうだな」
「どないな酒でも甘露ぜよ。特に揉め事をこなした後の酒は何よりの甘露じゃ」

 

 出会い茶屋。
 ごく簡単に言うと逢い引き場所である。
 そこの板張りの長椅子に、四人は座っていた。留守番の赤燕を置いての千鶴一派である。
「八雲と龍馬のおじちゃん、何処行っちゃったんだろう?」
 お恋が椅子の上で足をぶらぶらとさせる。黒い上下の着物を着て帯刀している。
「何処でも知った事ではない」
 四人の視線が出会い茶屋の中をうかがう。
 睦言を繰り返す男女にはその異様な視線は気付かれない。
「多いな」
「多いですね」
 帯刀している侍が多い。それも討幕佐幕半々ずつの割合で。
「おかしい」
 茶を啜り呟く。
「何が?」
「気付かぬのか。討幕派の者が分かりやすくいるにも関わらず、佐幕派は知らぬ顔をしている」
「女と逢い引きするんだから気が緩んでるんじゃないですか?」
「それはない」
 一人の侍を指差す。
「佐幕派は皆、あのように常に臨戦態勢に入れる構えだ」
 ついでもう一人の侍を指差す。
「あちらは倒幕派。異様さは……貴様らなら分かるな?」
 討幕派の侍は一様に目が落ちくぼみ、頬骨が浮き出している。死人が歩いているようだ。
「……阿片、ですかね」
 また佐幕派の侍を指差す。
「そして、奴らは皆、男一人でずっと居る。女と逢っている様子はない」
「つまりは……」
「ああ」
 出会い茶屋の奥をじっと見据えた。向こうには戸が付いている。それ以外の出口はない。
「何者かを見張っている」
 がたん。
 また侍が入って来た。
「どっち?」
「討幕派だ」
「千鶴、もしかして討幕派全員の顔を覚えているんですか?」
「そのような訳が無かろう」
 侍をじっと見据える。
「京に居る者しか覚えておらぬ」
 侍はやはり落ち窪んだ眼をしていた。目の下が真っ黒に染まっている。
 茶屋の女を呼び寄せるのもだるそうに手招きした。女が寄って来る。侍はぼそぼそと問うた。
「からしなは居るか」
 女はきゅうと唇を釣り上げた。
「はい。奥へどうぞ」
 茶屋の奥。扉の鍵を取り出すと、女は扉を開けた。
「お待ちかねですよ。ごゆっくりどうぞ」
「成程な」
 千鶴は席を立った。
「千鶴。また危ない橋を渡ろうとしていますね」
 横目で慶庵を見る。
「それが何か問題でもあるのか?」
「問題無いよ。僕、危ない橋だーい好きっ」
 はしゃぐお恋に肩を竦める。危ない橋に遠回りをしてでも行くか、最短ルートが危ない橋なら渡るか。この兄妹の差はそれだけなのだ。
 つかつかと千鶴は茶屋の女に近づいて、耳元で囁く。
「からしなは居るか」
 女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、直ぐ営業スマイルを取り戻すと鍵を手にした。
「はい。奥へどうぞ」
 扉が開かれた。
 四人が入ると、鼻に付く臭い。
 そして先程の侍が虚ろな目で倒れている。
「何? これ」
 お恋の問いに慶庵が答える。眉を顰めながら
「からしなとは芥子、要するに阿片の材料です」
「すなわち」
 扉を閉めた女に振り向きざまに懐刀を吐き立てる。
「がほッ」
 喉から血を流し、女が崩れ落ちる。
「此処は阿片窟と言う訳だ。幕府が推奨している、な」
 つまりは維新志士達に阿片を吸わせ、弱体化させる。
 完全に中毒にした上で致死量の阿片を吸わせる。
 それが先程の廃人達という訳だ。
「しかし、坂本龍馬がただ単に情報提供だけをするとはとても思えませんが」
 頷くと、二階への小さな階段を指差した。
 そこからミシ、ミシと小さな足音がする。
「あなた達、何をしているの?」
 小さな声。ほとんど少女のような声だ。
「維新活動だ」
「維新活動……そうなの……」
 虚ろな目の女が下りてくる。着物は貴崩れきって青白い肩や足が見えていた。
「そうなの……だったらあなた達は人殺しなのね……」
「うん」
 お恋が頷く。普通の生業を聞かれた口調で。
「人殺しは悪い事なのよ……?」
「知ってるよ」
「人殺しは悪い子なのよ……?」
「だから知ってるってば」
「悪い子は……死ななくちゃならないの……」
 はっと令尼が血吸いの札を取り出す。
 女に貼り付けようと飛びかかったが、女は傍の煙草盆で防いだ。注射針が折れる。
「お恋さん! 早く反応してくださいよ」
 抗議にはぽかんとした返事が返ってきた。
「無いんだ……」
 女が背を向けて二階に上がり始める。
「その人には殺気が無い!」
 剣術の達人は、真剣で戦う時必ず相手の殺気を読む。それによって太刀筋を予測し、避けたり逆手に取ったりする。
 人の戦いの場で殺気が無い事は……あり得ない!
 千鶴がお恋を見据えた。
「殺気の無い敵が相手。怖じ気づいたか?」
 ニイ、とお恋が歯をむき出し笑う。
「いや、面白そうだよ……。うぞうぞするなあ」
 女が天井の梁に両手を掛けた。
「やっぱりあなた達は……悪い子……」
 べき、べき、と音を立てて天井の梁が引っ張られる。
「悪い子は……ちゃんと死ななきゃ駄目……」
 ばぎゃん!
 梁がへし折れた。その中から薙刀が現れる。天井と同じ大きさの薙刀が!
「馬鹿な……」
 唖然とする前で大薙刀が振り下ろされた。
 出会い茶屋の横の壁が吹っ飛ぶ。
 お恋はもう一度呟いた。
「うぞうぞするなあ……」
 がらがらと崩れる瓦礫を踏みわけ外に出る。
「ちゃんと殺してあげる……。大丈夫
「……地獄はきっと良いところ……」
「へえ、勝つ気満々じゃないか」
 それでも、相変わらずこの女からは殺気が無い。
 抜刀!
 息も吐かぬ速さで女の体を横薙ぎにする。
 超重量武器の欠点はスピード。その重さ故に大ぶりにしか動けない。
 ガチ。
 しかし刀は通らなかった。
 代わりに鳴る金属音。
 着物の斬られた部分から覗いているのは鎖帷子。
「胴を狙っても駄目か……」
 令尼が血吸いの札を取り出した。女に向かって走り出す。
 それより早く、女は薙刀を振り上げた。
 ドオン。
 爆発のような音を立てて、地面に薙刀が振り下ろされる。小柄な体は衝撃で吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられ呻く所に、もう一度、薙刀が振り下ろされる。立とうとした矢先だった故、衝撃波をまともに食らってしまった。
次に薙刀を持ち上げる前に、お恋は女の肩を刺し貫いた。痛みでもうこんな大きな薙刀は持ち上げられない。
予想は裏切られた。女は薙刀を大きく持ち上げると、空中にぶん回した。
風圧でお恋も吹き飛ぶ。
「お恋! その女は何か薬で痛覚が無くなっているようです!」
 慶庵が叫ぶ。受け身を取ったので大した傷はない。痛みは酷いが、また立ち上がる。
 何より戦いでの痛みは、お恋の心を昂ぶらせる。
「ねえ、あに様、あの薙刀厄介だねえ」
「そうだな。で、すべき事は」
「当然!」
 お恋の足が地を蹴った。薙刀の目前まで跳び上がると、一気に刀を振り下ろす。
「……刀で一回斬ったくらいで……この薙刀は壊れない……」
 ニイ。
またお恋が獰猛な顔をした。
「一回しか分からなかったの?」
 再び爆発音がする。
 薙刀が木端微塵となっていた。
「二十回斬ったんだ」
 着地と同時に、女は崩れ落ちた。
「さあ、止め!」
 正眼に刀を据え、一気に斬りかかる。
「!? 何すんだよ!?」
 その刀に鞭状に繋げられた短刀が絡みついていた。こんな物を使うのは一人しかいない。
「悪いな。その女は殺させる訳にはいかねえんだ」
 短刀を外さずに目の前に立つ。
「如何いう意味?」
 瓦礫の中から龍馬が姿を現した。
「慶庵と令尼ちゅうたか? 中に怪我人がおる。助けたれ」
 瓦礫の中に入って行く二人を見ながら、龍馬は頭を掻いた。
「如何いう事さ。殺しちゃいけないって」
 龍馬は女に向かって。
「わしが分かるか?」
 女は答えない。
「わしが分かるか? おりょう」
 女の両目から涙があふれ出した。恥も何もない滅茶苦茶な涙だ。
「龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様アアアッ」
「よく頑張ったのう。おりょう」
 女――おりょうの背中をぽんぽんと叩いてやると、ゆっくりとその着物を肌蹴させた。
 真っ白な背中が露わになる。
 そしてその背中には。
「薩摩 長州 同盟の儀」という刺青。
 また着物を着せかけてやりながら、龍馬は宣言した。
「薩長同盟成立じゃ! 新たな時代の先駆け同士、手を結んだ! 後は日本全土が新しい時代に進むだけじゃ!」
 おりょうがピンク色に頬を染める。愛しい男の力強いこえ。
「その同盟の証が背中の刺青というわけか……。その事を知った幕府の者がその女をかどわかし、幕府に訴えるに最も益のある時期を待っていた……」
「欲深い奴じゃからのう。ついでに阿片窟も経営して一石二鳥じゃ。で、その元締めは?」
 千鶴は瓦礫の中に声をかけた。
「元締めを連れて来い!」
 即座に令尼の返答。
「もう血吸いの札を使っちまいましたから無理ですよ! なんせぶくぶく肥えて重たくて!」
「……だ、そうだ」
「そうか。ほたら慶庵に伝えてくれ。おりょうにおかしくするのに使われた毒を抜く薬の調合を頼む、と」
「何故私がわざわざ伝えねばならぬ? 言ったであろう、馴れ合いはせぬ、と」
「言うたはずじゃがの、利用はさせて貰う、と」
「千鶴!」
 走って来た男が大声を上げた。大分に息を切らせている。
「何事ぞ? 赤燕」
「吉田稔麿が火急の用だ! 急いでくれ!」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


七 襲い殺して下さい

 一条の自宅に戻ると、吉田はいつになく苦しげな面持ちで座っていた。
「すまない千鶴。二人きりで話したいんだ」
「構わぬ」
 目の前に正座した千鶴を苦しげに眺めながら、吉田は言った。
「升屋喜右衛門が捕縛された」
「!」
 珍しく千鶴は息を呑んだ。
「まさか……」
 こちらの言わんとする事を察したのだろう。頷く。言葉はやけに響いた。
「新撰組に、だ」
 升屋とは当時維新志士達が集っていた店である。
 情報収集。
 武器の売り買い。
 私的同盟。
 それらが行われていた場所であった。
 千鶴は升屋を利用した事は無い。なので情報が漏れる事は無い。
 されなのに、吉田が知らせて来るのを急いだという事は。
「……何を吐いた?」
 吉田は暫く無言になった。
「何を吐いた」
 もう一度問うと、顔を上げて答えた。
「俺達の知らぬところで、とんでもない計画が持ち上がっていた」
「とんでもない?」
「洛中を、火の海にすると……」
「何!?」
 千鶴が目を見開く。
「具体的には……何処に火を付ける気なのだ?」
 ぼそぼそとした口調。
「御所と荒神口のん中川宮邸。混乱に乗じて、参内しようとする中川宮と会津容保を途中で襲撃、言っては黒谷の会津邸へ討込みをかける。長州は七卿を擁して出陣し、京都を占領して一気に詔勅を手に入れる。失敗した時は長州に天皇を奉ずると……っ」
 どん、と吉田は畳を叩いた。
「成功するはずが無い!」
 また畳を叩く。
「成功が許されるはずもない!」
 どん。
「ごく普通の民がどんなに苦しむかわかっていないのか! 維新の目的は民のためだ! 何を履き違えている!」
 千鶴は髪を掻き上げた。真っ白い耳が見える。
「そうか……お前は民の為に戦うのだったな……」
 いきなり胸倉を掴まれる。びくり、と体が跳ねた。
「お前は違うというのか千鶴!」
「は……放せ……」
 震え出した千鶴に気付き、吉田は手を放した。
「すまん」
「いや」
 沈黙する二人。ホトトギスが場違いにのどかに鳴く。
「お前が男が怖いのを知っていたのに……・」
 つ、と千鶴は立ち、障子を開けた。
「ほら、吉田。見てみろ。あのホトトギスはつがいだ」
 ゆっくりと顔を上げると、寄り添ったホトトギスが鳴いている。
「あれはな、私の故郷ではテッペンカケタカ、というのだ」
「故郷……会津か?」
「ああ、テッペンカケタ! テッペンカケタ! と鳴くだろう。それでテッペンカケタカだ」
「俺には今までそんな風には聞こえなかった……」
「では何と聞こえていた?」
 えへん、と咳払いをして裏声を付く。
「キョッキョケキョケキョ!」
「ふ……ふふ……はははは」
 千鶴は笑った。けらけらと。
「何だその奇声は、はははは!」
「お前が言えといったんだろう! そっちこそ奇声だ阿呆! はははは!」
「誰が阿呆だそれを言ったら貴様は阿呆の塊だ! あはははは!」
 ひとしきり笑い合った後、障子を閉める。
 千鶴はまたきちんと正坐をした。
「吉田。私は完全に維新の為に策を練っているわけではない」
 吉田も坐り直す。
「解っているさ。お恋の為にはこうするしかないのだろう」
「否」
 障子から日の光が蜜色の髪を光らせた。
「私の利己主義でやっているのだ」
 蜜色の髪に思わず手を伸ばそうとして、やめた。
「天照大神は太陽の女神だったな。では、月は?」
「何だ藪から棒に」
「さっきのお前も相当藪から棒だったぞ」
「……そうだったな。月は、月読命、天照大神の弟だ。日本ではそういう事になっている」
「日本では?」
「欧州ではダイアナという女神だ。狩りが好きな猛女」
「へえ……流石神まで策に使うだけあるな」
 心底感心したらしく、何度も頷かれる。
「それから、欧州ではな」
 日の光が酷く強い。「もう沈むぞ!」という警告だ。
「月の光を浴び過ぎると狂気を発すると言い伝えられている。月の英語はルナ。狂気の英語はルナシー、だ」
「千鶴……」
「私達は月の下に。お前は太陽の下に」
 吉田が膝を上ずらせて、寄って来た。
「千鶴、それでも、それでも策を授けてくれ! 頼む!」
 千鶴は目を閉じた。
「その情報は誰からだ?」
「山崎。新撰組監察方山崎蒸!」
 目を閉じたまま、思考を巡らせる。
「それは……確かな情報だな」
「ああ」
 即答であった。
「吉田。貴様はどんな方法でも良いのか?」
「構わない。奴らの愚挙を止められるのなら、どんな方法を使っても良い」
「ならば」
 筆と硯と紙を取り出す。
 さらさらと書きだされる作戦を読んで、吉田は息を呑んだ。
「本気か?」
「本気だ。どんな方法でも構わぬと、言ったであろう」
「……・分かった……」
 深く深く沈みこんで、吉田は立ち上がった。
「吉田。くれぐれも今日は外に出るな。お前は必要な人物だ」
 こちらを見てにっこり笑ってきた。
「千鶴。お前は嫌かも知れないが、俺はお前が好きだ。これ以上ない友人だと思っている」
「吉田……」
 頼りなげに手が動いた。女々しさに自分で舌打ちした。結局手は何も掴まなかった。
「山崎に伝えてくる」
 襖が閉まる直前、吉田と目が合った。穏やかな目だった。
「心配するな」

 

「京焼き打ちを阻止する」
 新撰組局長近藤が宣言した。
 ずらりと並んだだんだら模様の顔が引き締まる。
「監察方の情報によって、今宵討幕派の会合が開かれる事が分かった!」
 近藤は拳を握った。
「奴らの言い分はこうだ「京を焼き、新たなる自由で民衆が幸せな国を作る」」
 だんだらの羽織が風に揺れる。
「あえて言おう! 馬鹿言ってんじゃねえや!」
 日が暮れていく。
「町を焼いておいて神様気どりか! 自由な国であろうがなかろうが仁義ってもんがある! 俺達新撰組の仁義は人々を護る事だ! 護って護って死んだら本望! 護って護って生きたら恩の字! それで俺達は士道を掲げてるんだ!」
 日が落ちる。辺りを紫色に染めていく。赤と青の境界線が分からない。
「俺達が京を護る!」
「ウオオオオオッ!」
 気合いの声が上がった。
「場所は池田屋だ!」
 日が落ちた。月影は雲に隠れた。漆黒の闇夜。

 

 ざ、ざ、ざ。
街道を歩く音。
 幽霊のように提灯が点っている。屋号は「池田屋」。
 沖田総司は扉を開けた。体が興奮して血が滾った。出迎えた女中が悲鳴を上げる。
 その悲鳴をかき消すように、近藤の声が響いた。
「御用改めである!」
 一気に新撰組は突撃した。階段までは一本道である。
 維新志士の一人が飛び降りてそのまま刀を突き立てようとした、沖田総司がその切っ先を刀の峰で受けた。相手が動転した隙に足払いをかける。倒れるとその喉元に刀を突き立てた。
 がたがたがた。
 刀を引き抜かれると同時に、階段からその維新志士は落下した。
 階段を三段上がる。
 沖田は跳躍した。
 階段の上で待ち構えていた維新志士を逆に頭上から襲った。
 一人の脳天を割った感触があった。
 もう一人は下から上がって来た原田の槍の餌食となる。
「土方さんも来れば良かったな」
 土方は監察の情報が間違っていた場合に備えて別の店に行っていたのである。
「うおおおおッ」
 今度は横腹を狙って来た。
「甘ぇよ」
 刀で受け止める、そして跳ね飛ばした。相手は階段から落下した。
「一人逃げたぞッ!」
 階下から数度の斬り合い音の後、大声が聞こえた。
「何やってんだ」
「構わん。今はこの大勢が先だ」
 近藤が冷静に言う。近藤は本当はいつも冷静なのだ。激情には絶対に駆られず、状況を見事に判断する。そして決定を下す。
 沖田達はそれに従う。
 だってそうだろう刀が持てる身分になったら、大将は有能な奴が一番に決まってるじゃないか。
 襖に血が飛び散る。
 畳に内臓が飛び散る。
 維新志士が三人走ってきた。一人を斬った時壁際に追い詰められた。
 ザクッ。
 二人の刀が首の両サイドスレスレにささる。
「危ねっ」
 敵の背後か隊士二人が斬り付けた。二人はばったりと倒れる。
 連続剣技で維新志士を斬り裂いていく。
「何故だアアッ」
 維新志士の一人が叫んだ。
「何故この世は俺達を受け入れない!? 何故だ!? 誰か教えてくれ!」
 絶叫しながら男はこちらに突っ込んできた。
「そんな大事な事をなあ!」
 腹に刀を突き立てる。
「てめえで考えないから受け入れられねえんだよ!」
 維新志士が倒れた。
「土方副長の部隊到着です!」
 隊士が叫ぶ。
「おうおう、野郎のビビる顔ってのは艶が欠けて面白くねえ」
 階段から逃げようとした維新志士を斬ったのであろう。だんだらの羽織が血に染まっている。
 土方達が持って来た松明に維新志士達の躯が映し出された。
 唯一残った維新志士が叫ぶ。土方が答える。
「慈悲を!」
「与えねえ」
「助けてください!」
「許さねえ」
「命ばかりは……」
「不許可だ」
「自害を……」
「許してやる」
 維新志士は自らの喉を脇差で掻き切った。

 

「おいで、マリア」
 鳩が慶庵の呼びかけに応え、縁側に止まった。彼自慢の夜でも使える伝書鳩だ。
「千鶴。池田屋の一件は巧くいったようですよ。維新志士は全滅です」
 池田屋の一件を操ったのは千鶴であったのだ。
 長州派の手で維新志士達を殺しては、他の何人もの維新志士が自分も切り捨てられるのではないか? という危惧を抱く。
 現に千鶴は切り捨てた。
 池田屋に揃った面々には千鶴一派が同じ文書を配って歩いた。「今宵池田屋に来られたし。長州派人斬り一味、またの名を飴買い幽霊、墓場の火の玉」と。
 千鶴達の名が漏れる事は無いが、決定的な名乗りだ。誘われて池田屋に集まった面々は何の疑いも抱かず池田屋に集合した。
 そして千鶴は、新撰組を手駒に使った。
 池田屋は升屋の拷問に耐えかねての自白と、合致する集会場所だったのである。
 ただ日時が違うだけ。監察の山崎が「日取りが早まりました。今夜です」と言えば新撰組は池田屋を襲撃する。
 襲撃は成功した。京に火を放とうとしていた維新志士は全員死んだ。
 全ては千鶴の手の内のはずだ。
 しかし。
「あに様、如何したの? そんな不安そうな顔して」
「……・そんな顔をしていたか?」
「していたじゃなくて今もしてるよ? 如何したの?」
 不安を表に出すのは自らに禁じているはずだった。不安でそわそわしている策士など信用されない。
「如何も……せぬ……」
 策略において勘を信じてはいけない。策略と斬り合いは違う。
 なのに……この胸騒ぎは何だ……?
「あに様、あのね、辻斬りしちゃいなよ」
「! いきなり何を……?」
 文机がガタンと音を立てる。
 お恋は畳の上できゃらきゃら笑った。
「だってさ、だってさ、あに様なんかモヤモヤしてるんだもん。モヤモヤしてる時は自分が一番やりたい事をやる特別な日なんだよ。お祝いなんだよ。僕なら一番は人斬りだよ」
「……貴様……まさか本当に辻斬りを……」
「だーいじょうぶ、あに様に言われた人以外は斬ってないよ」
 急に立ち上がったため文机がまた音を立てた。
「出かけてくる」
「うん。いってらっしゃい。あに様」
 「いってらっしゃい」を強調して、妹は見送った。
 千鶴は走った。昨日の雨でぬかるんだ土が着物に跳ねた。気付かず走り続けた。
 道を歩くのがじれったくなった。
 薄青の着物は月夜ならば見える。だからお恋は黒を着る。千鶴が来ているのは女物の薄青い紫陽花柄の着物だった。しかも草鞋ではなく草履だった。
「構うものか」
 屋根の上に跳ね上がる。お恋ほど巧くは無い早くもない。それでも屋根伝いの方が早い。カツカツと河原が鳴った。
 吉田稔麿が住んでいる対馬藩邸の前で屋根から飛び降りる。
 大きな木造りの戸をどんどん叩いた。
「失礼! 失礼! 開けてください! 開けて! 開けろオッ!」
「何どすかあ?」
 寝巻きに羽織をひっかけただけの女中が出て来る。
「吉田は、吉田は居るか!?」
 女中は顔を顰めた。
「けったいなおなごやなあ。吉田さんなら居てはりますよ」
 心の底から安堵の息が出る。膝が崩れ落ちそうだ。
「ああ、出て来はった。あんまり夜中に騒がんでおくれやす」
 暗闇の奥からゆっくりとした足取りで、人が来る。
「吉田……」
 出てきた男は千鶴を一瞥して女中に問うた。
「何じゃい、このおなごは」
「何や彦左衛門さんに会わせろ言うてはるんどす」
「……へえ……別嬪じゃのお……。男吉田彦左衛門、別嬪が夜来るのは大歓迎じゃ」
 声が途切れそうになる。
 はく、はく、と口を開き、再び問う。
「吉田……稔麿は……?」
「何じゃい」
 残念そうな上迷惑そうな顔で彦左衛門は唾を吐いた。
「あいつなら、今晩は大事な事があるとか言うて出かけたわ」
 唇が乾き切った。
「出か……けた……?」
「おう。じゃけえねえちゃん、わしと今晩遊ばんかあ?」
 もう声は聞こえていなかった。
 即座に踵を返して池田屋に走った。理性では行ってはいけないと分かっていた。新撰組は未だ確実に居る。
 屋根に再び飛び上がった。暗闇に生える白。薄青は白に見える。
 屋根の上からずっと下を見た、何度もバランスを崩して転んだ。痛みを感じる間もなく走った。
 見つけた。
 池田屋から……一条の千鶴一派の家に向かう途中の道で! 倒れている吉田稔麿を。
「吉田あッ」
 屋根から飛び降りる。
「吉田! 吉田!」
「お……千鶴かあ……」
 発せられた声は酷く眠そうであった。
「無事だったんだな……良かった……」
 千鶴は叫ぶ。
「何を言っている! 私に安否の気遣いなど必要な訳が無かろう! 貴様こそ何故外に出た!?」
 半分眠りかかった目を開けてこちらを見て来る。
「いや……山崎の奴に騙されちゃってさ……。千鶴が池田屋に居るって……。てっきり作戦変更なんだと……」
 嘘だ。本当は。千鶴を守ろうとして池田屋に行ったのだ。
「愚か者! 無能! 阿呆!」
「……はは……俺は千鶴を怒らせてばっかりだな……」
「違う! そんな事を言いたいのではない! 察しろ馬鹿め!」
 吉田はゆっくりと目を閉じて、懐の何かを掴んだ。
「お前の考えは俺には察する事はできない……。お前の頭が良すぎるからな……。だから勝手に言わせてくれ……俺は死んでもお前が好きだ……一番の友人だ……」
 吉田の腹からは血が出尽くすくらい流れ続けている。
「私も……私もお前が一番の友人だ! 死んでも、死んでも!」
 吉田がいつもの安心感を与える微笑を浮かべた。
「千鶴……それじゃ駄目だ……」
 目が閉じられていく。
「お前の人生はこれからまだあるんだ……もう一番なんて決めるなよ……」
 目が完全に閉じられた。
「吉田ッ。起きろ吉田ッ! 目を開けろ! この私が言っているのだ! 目を開けろオオオッ」
 漆黒の闇に雨が降り始めた。
 吉田稔麿。享年二十三歳。葬儀は本人の生前の希望により神葬される。
 翌日、京の町は新撰組の凱旋で沸き立った。
「ねえ、あに様、町の人達、楽しそうだね」
 お恋が石段に座って眺める。
 槍や刀を鮮やかに、「誠」の旗を振り立てて、だんだらの羽織が歩いて行く。
「おーっ氷! 氷じゃねえか!」
「……土方……」
 能天気な声に顔を上げると、土方の端正な顔があった。
「昨日は大変だったんだぜえ。維新志士とか名乗る無頼野郎共をばっさばっさとよお。ん? どうした? 氷」
「……ね……」
 懐刀に手をかけた。
「死ねえッ土方!」
 懐刀が抜かれるギリギリでお恋が止めた。ぎちぎちと刀を抜こうとする手と押さえる手。押さえる手の力の方が強い。
 耳元でお恋が囁く。
「あに様、此処は人通りのど真ん中だよ?」
 軽い音を立てて懐刀が落ちた。
「おいおい、本気で殺そうとするなよ。俺は死ぬ気はねえから、お前が捕まるぜ。じゃ、またな、氷」
 ひらひらと手を振って土方が行列に戻る。
「お恋……」
 小さな声。
「帰るぞ……」
「うんっ待ってあに様!」
 懐刀をそっと拾い上げ、お恋は呟く。
「他人が殺してちゃ、うぞうぞしないなあ。別に僕の獲物だった訳じゃないけど」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


八 抱き殺して下さい

 千鶴は呉服屋の店内に居た。
「へえ、やっぱり縮緬より友禅がお似合いどすなあ」
 店の男が千鶴の姿をまじまじと見て、ほうと息を吐く。
「お客さん、私は三十年おなごを見てきましたわ。そうしたら分かりますねん」
「何が」
 如何でも良いとでも言いたげだ。実際言いたいのだろう。
「魔性、が」
「……魔性?」
「へえ。普通、魔性や傾国や云うたら、色っぽくて艶っぽくて体から甘い匂いがしているような、そういうおなごを考えはりますやろ」
「それが」
 口調はやはり変わらない。
「ちゃいますねん。それは普通の人並み外れて綺麗なおなご。本物の魔性いうんは、凛としてて気高くて媚びたり絶対せえへん」
「……」
 髪の毛を適当に弄る。結うほど長くはないし、色も薄いからかつらも使えない」
 番頭は勝手にしゃべり続ける。
「本物の魔性はね、どんな手を使っても手に入れたい。自分だけのものにしたい。そしてそれを実行させてしまう。それが魔性の性。お客さんも気をつけておくれやす」
「必要無い」
「お客さん、着て帰りはりますのんか? 今前のお召し物包みますよって」
 正座をして、風呂敷に包む作業を眺める。
 あやめを散らした友禅を身に纏い、口に紅を引いた姿の千鶴は、外を眺める。雨が降り出していた。
「……梅雨か」
 店の外に出ようとすると、番頭が蛇の目傘を渡した。
「いらぬ」
「おなごは体を冷やしたらあきまへん。それに、言いましたやろ。魔性、やて」
 蛇の目の傘は雨を見事に防いでくれた。
 高価な物なのではないだろうか。
 くるっぽー。
 鳩の鳴き声にびくりとする。
「何だ。慶庵の鳩では無いのか……」
 鳩はこきこきと首を曲げながら、またくるっぽー、と鳴いた。
 そっと屈んで、手を招く。
「ち、ち、ち、おいで鳩すけ。何も持っておらぬが」
 鳩は無視してとてて、と去っていった。
「……・馬鹿らしい」
 呟くと足を速める。
 向かうは、新撰組屯所である。

 

 一条の家にお恋の大声が響き渡った。
「あに様が帰ってこない!?」
「お前も今まで帰って来ませんでしたけどね。日が暮れてから何刻も経ってますよ」
「これでも途中で抜けて来たんだぞ!」
 お恋が抜けて来たのは維新志士の池田屋事件の顛末を如何するかと言う会合。に、言ったと見せかけてその実、新撰組の襲撃を期待していったのである。
「せっかく近藤勇も土方歳三も永倉新八も斎藤一も居たのに一人も斬れなかったんだよ!? ちょうど「御用改めである!」って聞こえた途端に令尼が迎えに来たんだよ! 酷いよ! 人間のする事じゃないよ!」
「その発想が人間のする事じゃないと思うぜ」
 赤燕のツッコミは聞こえない振りをする。
「で、あに様は如何したのさ!?」
「いや……だから……帰ってないだけですよ」
 地団太を踏むようにお恋は言いつのる。
「だって黙って遅くまで出かける事なんてないじゃないか! ご飯作るから!」
 食事を担当(むしろ家事全般を担当)している者が黙って出かけるとはただ事ではない。
「遊郭とかじゃないんですか? あれでも一応男ですから」
「そんな訳無いだろ! 慶庵じゃあるまいし!」
「そうだな。どこぞのイカサマ陰陽師と違って色恋沙汰は駄目だ、あいつは」
「……俺の悪口言いたいだけでしょ、あなた達。令尼は信じてくれているようですが。ね?」
 す、と視線を逸らす息子。
「ちょっ! 令尼!? お前までそういう目で見てたのか!?」
「いや……だって……先日お使いで買って来さされた本がね……」
 そう言って箪笥の後ろから黄表紙を取り出す。タイトルは「真に好色女を十人切り」。
「…………」
 息子にエロ本を買いに行かせた男に対する目は冷たい。
「あ、それから寝言で「六人目のおるいちゃんが一番良かった」って言ってました」
「令尼!? 何ばらしてるんだお前は! っていうか人の寝言を聞くな。聞いたら胸の内に閉まって置いていずれ砂上の楼閣のように崩れさせろ!」
「あんたの威厳は砂上の楼閣の床下しか残ってませんから大丈夫ですよ」
 無言でエロ本を取り上げ、箪笥の裏に仕舞い込む。
「で、千鶴の話ですが」
「あ、無かった事にしようとしてる」
「はい。発言は挙手をして、却下しますから。話を戻しますが、千鶴の様子におかしなところはありませんでしたか?」
「はい、はいはーい」
「はい、お恋」
 お恋は思い出す。と、いっても常に感じていた事なのであるが。
「全部」
「全部?」
「全部おかしかったよ! 策を練ってもいつもは僕に殺させてくれるところを殺させてくれなかった。逆にいつもは放っとくところも念入りに殺させてくれた」
「そうですか? 策は結局上々でしたが」
「令尼全然分かってなーい! ホントだもん!」
「お恋」
 慶庵は冷静に問うた。
「それはいつからですか?」
 即答である。
「池田屋の件……吉田のおじちゃんが死んだ時からだよ」
「で、今回新撰組の局長副長各隊長が居ない事は千鶴は知っているんですよね?」
「そりゃそうじゃん。あに様から聞いて僕が出かけたんだから…………あ」
 ようやく全員が気付いた。
「千鶴の行き先は新撰組屯所か」
「誰か侵入できる策を考え付く人、居ます?」
 全員が首を横に振る。
「そんなら決まってるだろ」
 お恋がきっぱりと言った。
「正面から乱入してあに様連れ出して帰る!」

 

 す、す、と足袋の音が廊下を打つ。
「まあ上がりな。遠慮する事はねえ」
 山崎が襖を開けた。
「上がりな……此処にか?」
 襖の向こうは蒲団が堆く積まれた板の間。
「仕方ねえだろう。女連れ込んだなんてバレちゃ事だ」
「私は女ではない」
「男と言い張っても無駄っちゃ無駄だろ。他の隊士のぱっと見が重要なんだよ」
 山崎は喉の奥で笑った。
「それでも男と知っている私を、貴様は何故欲する?」
 板の間にきちんと正座した姿は。
「座れば牡丹っていうが……どちらかというと水仙だな」
 ニヤニヤと笑いながら、山崎は言う。
「ああ、テメエは男だ。だが美貌、品、教養、そして悪魔の知謀! 全てを兼ね備えている」
 うっすらと千鶴は笑う。
「確かに……池田屋までは私の策に狂いは無かった」
「そう、それだ。池田屋で俺はお前を出し抜いた! 能力が上の者の言う事を聞くのは当然だろう!?」
 興奮する山崎と鎮まる千鶴。
「その通りだ。無能な者は有能な者の命令に従う。それが道理」
「解っているじゃねえか!」
「して、貴様は何を望む?」
 山崎は千鶴の視線まで腰を屈めた。
「俺の手足となれ」
 体が震える。
「何のために」
 山崎はごそごそと囁いた。千鶴の髪を引っ掴み顔を上げさせて。
「俺はこの新撰組が欲しい! 監察なんて忍び仕事じゃなくて局長の座が欲しいんだよ!」
 髪に力が込められるも、苦痛は顔に出さない。
「俺の女になると誓えよ?」
 髪を更に引っ張る。
「俺の為にその悪魔みていに良い頭を使えよ! そのとびきり上玉の顔を使えよ! さあ、さあ! 誓え!」
 千鶴は山崎に飛びついた。
 その唇に自らの口を押しつける。
「これが答えだ」
 山崎は勝ち誇った。
「ちょっぴり痛かったぜ?」
「……・口吸いは初めてだったのだ」
「じゃあこの先も初めてか?」
「ああ……なれど……こう云う時は相手の身の上話を聞くと相手が溺れ斬りやすい、と聞いたぞ?」
「誰に……?」
 千鶴は無表情に男の名を言った。
「吉田稔麿だ」
 と、言っても彼は溺れさせられた挙げ句捨てられたがわだった、と言っていたが。
「へえ……じゃあ吉田先生のご教授、身の上話を聞かせて貰おうか」
「うむ……。私は会津の生まれだ」
 会津の苗字帯刀を許された家、文石、その家の長男として千鶴は生まれた。母親は父親が身請けした遊女であった。
 お母さんそっくり。綺麗ねえ。
 口々に褒めそやされた言葉の裏の棘を敏感に感じ取っていた。
 その母親は千鶴が乳離れした頃、死んだ。その頃から父親は千鶴に女の子の着物ばかりを着せ続ける。
 三歳になった時、妹と母親が同時に出来た。
 腹違いの兄妹。
 後妻は、千鶴の母親の妹。
 二人は従兄妹同士でもあったのだ。
「こちらでは、子供が学問を学ぶところを寺小屋というのであったな?」
 寺小屋で千鶴は神童とまで言われた。誰もが千鶴の出世を信じて疑わなかった。
 たとえ、二度の遊女の身請けで経済的にひっ迫した家であっても。
 お恋はお転婆で有名であった。
 女の兄さん男の妹。
 皆に揶揄されてきた。
 千鶴は十二になっても未だ女の着物を着ていたのだ。
「それは父の遺言だった」
 父は十の時死んだ。風邪をこじらせてあっけなく。そして亡き妻そっくりの千鶴を枕元に呼び、命じた。
「女の格好をしていなさい」と。
 前妻に未練があったのだろう。余程の未練だったのだろう。義母は遺言を守り続けた。
 その内義母が男を連れて来るようになった。千鶴はきっとこの方が新しい父上になるのだ、と思う。私は誰とも縁の無い子になるのだな、とも。
 お恋はその男によく懐いた。男もお恋を可愛がった。
 けれど。
 千鶴は如何してもその男が好きになれない。男が偶に見せるじっとりと湿った目が、嫌だ。
 ある日、義母が出かけている時に男が訪れた。お恋は庭で遊んでいる。
「母上なら留守にしてらっしゃいます」
「じゃあ、待たして貰うよ」
 座敷に坐る男に茶を持って行く。
「どうぞ」
 湯呑を置こうとした時、いきなり手首を掴まれた。湯呑が転がって砕けた。
「何をなさいます!?」
 着物の帯が男の匕首で切り裂かれた。
「やめろ! 放せ!」
 必死に抵抗する肌が撫でられる。ぞっとする。
「あに様!」
「お恋! 来てはならぬ!」
 着物の前がくつろげられた時、大人の男達の声がした。
「お前! 何してんだ!」
 村の男達をお恋が呼んできたのだ。意味は分からぬが兄が危機と感じたのであろう。
 その場は逃れた。その場は。
 話を聞いた義母は、烈火の如く怒った。男にではなく、千鶴に。
「お前が! お前が誘ったんだろう!」
 湯呑や掛け軸の千切った物や、花瓶を投げつけられる。
「違います違います」
「やめて! やめて母様!」
「黙っていなお恋! 千鶴、如何しても違うっていうんならね、証明してみなよ」
 懐刀が畳の上に転がる。
「それであんたが死んで、あの人が涙一つ零さないなら信じてやっても良いよ」
 手は伸ばせなかった。
「ほら出来ない! 親が淫乱なら子供もかい!」
 俯いたまま、義母に頼んだ。
「せめて……刀で切腹を」
 武士の子として死にたかった。
 母親は逆上した。
「ふざけるな! あの人の刀にはお前の汚らわしい手なんか絶対に触らせないよ! 絶対に!」
 父親の残した刀は無銘の日本刀。古くもない。
「お前がそこまで言うんなら。分かったよ! ちょっと待ってな!」
 義母が帰ってくるまでの間の十分ほどの時間、どれだけ長く感じた事か。
「あに様、あに様、死んじゃ嫌だあ」
 泣いている妹を抱き締め続けていると、昼間助けてくれた男達が入って来た。
「良いんですかい?」
「ああ、言っとくけど手加減なんかするんじゃないよ」
 お恋が剥ぎ取られた。
「やめろ!」
 着物が引き裂かれる。小さな足をバタつかせると、それも易々と床に縫いとめられた。
「やめてえーーッ」
 泣き叫ぶことしかできない。懐刀に手が届かない。怖い。怖い。
「助けてええーーーッ」
 誰に救いを求めたのかは分からない。
 ずんばらり。
上に乗っかっていた男のこめかみから上がずれた。
べちゃ、と情けない音を立てて床に肉体の一部が落下する。
思い出したように血飛沫が上がった。
「ぎ……・ぎゃああああッ」
 男達が悲鳴を上げる。
 父の残した刀を握っていたのは九歳のお恋。
 彼女は目覚めたのだ。
 天与の剣の才能と。
 殺人の快楽に。
 千鶴の上に乗っていた男がごとり、と落ちた。
 我先にと逃げ出す男達。その出口をお恋が阻んだ。
「逃がさない……」
 ニイ、と口元に奔る。漆黒の笑み。鬼の娘。
 一斬で一人の男の左脇腹から右肩までを斬り上げる。
 次の男は顔面に刀を一直線に突き立てる。
 最後の男は首を斬りおとした。残った唇が「あひ」と音を出した。
 血に塗れた娘に義母は完全に腰を抜かしていた。
 ゆっくりと刀を握ってお恋が近付いていく。
「お前、私が誰か分からないのかい?」
 ひたり。滴る血。
「母様だよ! 私は母様だよ!」
ひたり。
「助けておくれよおッ。私はお前の事は愛してるんだよおッ本当だよオッ」
「そんな事」
 頭上に日本刀を振りかぶる。
「知った事じゃないよ」
 義母は脳天から唐竹割にされた。
「お……お恋……」
 恐怖で動けない。自分も殺されるのだろうかと。
「あに様……」
 お恋はぺたり、と地に足を着けた。
「僕……捕まっちゃうのかなあ……」
 お恋は自分を助けようとして、血の性に目覚めた。
「逃げよう。お恋」
「何処へ……?」
「私が考える。案ずるな。お恋」
 逃げる荷物を纏めていると、箪笥から小さな紙が出てきた。
 タイトルは「千鶴元服名案」。
 高元。白村。秀秋。最後の案だけが義母の字であった。
「忠朋」
 その日、千鶴は女の成りのまま、妹と二人ぼっちで元服した。
 逃れ逃れて江戸へ。そこで高杉晋作と出会う。

 

「へえ、ガキの頃から男を垂らし込む奴だったんですか」
 山崎が鼻を鳴らす。
「ああ……だから怖くて堪らない……男と言う者が」
「誇り高いアンタが何でそこまで俺に言う? 俺も男だぜ?」
 腕を伸ばした。両腕が掴まれる。
「貴様だから、言うのだ」

 

 闇夜を影が走る。屋根の上を誰にも気づかれず。
 先頭はお恋、次に令尼、慶庵、赤燕と続く。
 誰も何も言わない。言う必要はない。何か言うエネルギーがあるなら走る方へ使う。
 新撰組屯所の壁は高かった。
 見張りの二人に慶庵が麻酔針を噴きつける。あっけなく見張りは昏倒した。
「あれ、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃありませんよ、あんな即効性の麻酔」
 閉じられた扉に赤燕が火薬球を投げつけた。扉に大穴が開く。
「な、何だ!?」
 闇夜の人は見えない。僅かにでも顔に灯りが当たろうとすれば即座に破壊する。
「何だお前達は!?」
 取り囲んだ四人をお恋が刀、令尼が血吸いの札、慶庵が毒針、赤燕が素手で、斃す。
「僕達が何だって?」
 お恋が刀を肩に担いだ。
「ただの人斬り集団だよ!」
「襲撃だあああーーーッ」
 屯所内に大声が響き渡る。即座に大声を出した者をお恋は斬り捨てた。
「何者なんだああーーッ」
 令尼の周りを侍が取り巻く。
「言ったでしょう」
 円を描いて貼られる血吸いの札。
「ただの人斬り集団だって。オン!」
 一気に血吸いの札が赤く染まる。
「俺はどっちかっていうと斬るより薬で治しますよ? あ、縫いはよくするかな」
 前方の隊士に手術縫合用の針を飛ばす。
「ぐあ……」
「何だ……苦しい……」
 狩衣の裾に手を突っ込む。
「古代呪術の結晶の毒薬、とでも言っておきましょうか」
「ただのニコチンだろう」
「うるさい。令尼」
 遠くから援護部隊が走って来る。
「騒がせてすまねえなッ」
 火薬球がその者達に炸裂した。
「あ!」
 隊士の一人が声を上げた。
「沖田隊長だ! 沖田隊長が来てくれた!」
 一人の隊士が振り返って沖田の元に走って行く。
「もう如何しようかと思いましたよ! 良かった! 沖田隊長が居てくれ……て?」
 一瞬の移動。
 その間に駆け寄って来た隊士を沖田が斬り捨てたのだ。
「局中法度。敵に背中を見せる事許さず。これを犯した者、切腹」
 沖田がとうとうと言う。確かに腹を切り裂かれている。
「お、沖田隊長! テメエ、テメエが沖田隊長なんて大声出すからーーッ」
 逆恨みで一番初めに声を上げた人物に一人が斬りかかる。
 刀が届く前に、その隊士も腹を斬られていた。
 距離は五メートルほどあるというのに。
「局中法度。私の争いを許さず。これを犯した者切腹」
 隊士たちがお恋達の方を見たまま下がって行く。
 異様な光景だった。
「で、人が気持ち良く寝てる時に叩き起こした理由は何だ?」
 隊士の一人が指差す。
「敵襲です!」
「あ、そうなの。じゃ、おやすみ」
「は……?」
 確かに沖田は寝間着姿ではある。が。
「ちょっとちょっと沖田隊長! それ、敵に背中見せる事になりますよ!」
「っていうか敵襲ですよ! 日本語通じてます!?」
「あー、俺、眠い時は英語しか通じなくなるんだ。ちょっと英語で言ってみて」
「え……あ……ヘイ」
「GOOD EVENING」
「全然分かりませんでしたけど、雰囲気的におやすみって言ってるでしょ、そうでしょ!」
「そこまで分かった君は英語の素質がある。頑張れ。挨拶程度なら簡単だ。ちなみに俺は挨拶で挫折した」
「やかましーわ! 沖田隊長! ちょっと! 何で戦わないんですかあッ」
 沖田が面倒臭そうに振り向いた。
「だって……俺、鬼と戦いたかったんだぜ?」
 お恋を指差す。
「そいつは今鬼じゃねえ。俺と同じ獣に成り下がっちまった」
「……・如何いう意味?」
 お恋が刀を正眼に構える。
「そういう意味だよ。殺したいままに殺すのが鬼。何かを守ろうとして戦うのが獣」
 落ちていた小石をお恋に投げつける。
 刀で叩き落とした姿を見て、また嘆かわしそうに言った。
「ほらな」
 お恋はぎっと見つめる。
「だから如何いう意味だよ」
「いちいち説明させんなよ。面倒臭え。要するにさっきの石。鬼の頃のテメエなら絶対刀で弾いたりしねえ。刀が傷ついて切れ味が悪くなるのを嫌がる」
 もう一度小石を投げる。今度は手前に落ちた。
「けどテメエは今刀より自分を庇った。殺すことより命を優先した。そんな奴はもう鬼と呼べねえ」
「待って!」
 まただらだらと帰って行くのを制止する。
「何?」
「沖田総司。こんな言葉を知ってるか?」
 正眼に据えた刀を上段に持ち換え、跳ね上がる。
「弱肉強食」
「ふん……」
 ガキン。
 刀が受け止められた。
「獣でもお相手願いますってか?」
「生憎、今は先を急いでいるから、鬼に戻った時に派手に斬り合いたいね」
「こちらも生憎。起きちまった以上はテメエを殺さなきゃなんねえ」
「行って!」
 お恋が三人に叫んだ。
「此処は僕が始末する! だから行って!」
「で、でもこの人数だぜ!?」
「命令に従わず不利益を招く無能者は必要無いってあに様なら言うよ!」
「はあっ」
 三人が盛大に溜め息を吐く。一斉に。
「やっぱあいつの妹だわ」
「極めて妹らしい」
「教育間違ってんじゃないですか?」
 ぼやくと即座に屯所室内に飛び込んだ。
「急ぎましょう。時間が無い」
 慶庵の言葉に頷くのを最後に姿が見えなくなる。
「何か探し物でも?」
「何で?」
「何か建物壊さないようにしてるっぽいなーと思ったんでね」
「正解。世界で一番大事なものを探してるんだ。金銀財宝も届かないくらいの音」
「うわ、台詞イタッ」
 三人の方に唯一居た隊士が走って来る。
「沖田隊長! そいつおん……」
 駿足だった。「女」と云い切らぬ内に隊士の首と胴体が離れていた。
「ったくテメエは磨きまくって光ってる玉だったってのに。余計な金玉まで付けちまいやがって」
 沖田が上段から斬りかかる身長差からして肩口を斬られる。
「付いてないよ、失礼だな」
 スライスされるはずの肩だったが、血が噴き出すだけで済んだ。
 済んだ。と思う。まだ死んでいない。
「斬られる瞬間、体をずらして致命傷を避けてるな。何処の流派か聞いても良いか?」
「聞いても良いけど君も答えなよ」
「え……いや……有名だぜ」
「うわーちょっと有名になったらもう自分を知らない人はいないと思ってる、直ぐ流行が廃れる有名人みたいな台詞」
 わざと遠い目をしてやると、向こうも刀を下段に持ち直し。
「長ッ! ちょっともったいぶった俺はそんなに悪いのか!? ま、とにかく、天然理心流。テメエは?」
「あー、僕は」
 下段に構えた相手にわざと同じ下段で挑む。
「我流!」
 刀同士が鍔迫り合いをする。
「我流って……要するに自分で適当にやってるって事じゃねえか……」
「適当じゃないもん。真剣だもん」
「いや、そっちの適当じゃねえんだけど」
 互いの刀を弾きあう、二メートル距離を取った。
 ドガン!
 派手な爆発音がした。同時に火薬の匂い。
「良かったね。探しもの見つかったよ」
「俺も良かった。テメエに鬼の瞳が戻って来たからな」
「そっか。じゃあ……」
「行くぜ……」
 お互い刀を平突きに構える。
「ハアアアアアアアアアッ!」
 ゴー ファイト!

 

 布団の置き部屋で、山崎は不審な物音に気付いた。
「何だよ……お楽しみはこれからって……と……きに……?」
 体が痺れているのだ。しかも焼けつくように熱い。
「貴様……私の口を吸った時に痛い、と申したな」
 千鶴が小さな赤い舌を出した。
 舌の上には。
「針……!?」
 口から針をそっと抜きだす。
「まさか……」
「想像の通りだ……。毒針よ……。貴様はいと容易き者だな……」
 ぐらり、と山崎の体が傾ぐ。
「う……うう……熱い……熱くて……寒い……」
 千鶴も息が切れ始めていた。
「そうであろうな……楽に死ねると思うなよ……」
 震える指を山崎に向ける。
「言っておいたであろう……これが私の答えだと」
「そんな……・お前も……鬼……だ……」
 そのままぱくぱくと口ばかり動かす。
「ふん……もう口も利けぬか……。脆すぎる男だな……」
 嘲笑しながらも千鶴の体も倒れていく。
「ふん……存外……心地良いものだな……お恋がハマるのも……分かる」
 目を閉じようとしたその時、扉が開いた。
「お前の妹はギリギリで帰ってきてるぜ」
「……赤燕……」
「無茶をしましたね。毒針を口に含むなんて」
「慶庵……」
「正気じゃないのは分かってましたよ。解ってませんでしたか? 慶庵様」
「令尼……」
「すっかり生意気になった令尼……あれ出しなさい」
 令尼が肩から下げていた袋から小瓶を取り出した。
「解毒剤です」
「飲まぬ……」
「飲め」
「飲まぬ……私の……失策のせいで……吉田は死んだ……生きる価値など……私には無い……」
 令尼がいきなり千鶴を蹴った。
「勝手言ってんじゃねえや。何人も殺した俺を生かしといて自分は死にてえだ? テメエは三文芝居の主人公か」
「……」
 ぐい、と赤燕が千鶴の襟首を掴んで壁から遠ざけた。
「耳塞げ。鼓膜破れるぞ」
 ドオン!
 壁が火薬球によって爆破される。
 耳を塞ぎ、目を閉じ、縮こまっている千鶴を慶庵が無理やり壁の穴へ引っ張っていく。
「あれを見ろ」
 目をぎゅっと瞑る。
 喉元に冷たい感触を受けた。
「見ねえと斬る」
おそるおそる目を開ければ、喉元に突きつけられたのは、義母の形見の懐刀。下で戦っているのは……。
「お恋!?」
 全身を斬られ、血を流しながらも沖田総司と獣の食い合いをやっているのだ。
「やめろ……」
 二の腕から血が。
「やめろ……」
 太腿から血が。
「やめろ……」
 脇腹から血が。
「やめろ……」
「嘘吐くんじゃねえよ」
 その場の三人の声が見事に揃った。
「テメエは維新活動にかこつけてるが、本当の目的は、お恋に思う存分人を斬らせてえからだろうが」
「お恋が愉しく生きられるようにしてえからだろうが」
「戦場で死なせたいからだろうが」
「お恋……」
 千鶴は叫んだ。
「やめるな! その戦いを存分に愉しめ!」
 赤燕が音響球を投げた。
 千鶴の声が届いたかどうかは分からない。本人達が絶対に教えないから。
 ただ、夜空に開いた真紅の花火は、とてもとても綺麗だった。

 

「はあ……ようやく鬼に戻ったってのに……敵前逃亡かよ……」
 屯所の囲いを乗り越えようとするお恋に、沖田総司がぼやく。
「悔しいんなら上ってくればあ?」
「ふっざけんな人の足おもっクソ斬りやがってよお……」
「傷跡も刺青みたいで格好良いかもよ?」
「……それもそうか。いや、傷痕と刺青が合体して新たな絵を描くってのあ如何だ?」
「その趣味、最高!」

 

「ん?」
「如何した? トシ」
「この状況で如何した? とか聞けちゃうあんたが如何した? だよ」
「あ、ああー。お前が作ったエロ俳句ならきちんと捨てといたぞ。正直、触るのにもだいぶ抵抗があったけど」
「あ、いや、今花火がな……。って近藤さん!? 捨てたの!? 俺が玩具奴隷達との愛しき日々を書いた俳句、捨てたのか!?」
「ごく純粋に気持ち悪い俳句だったわ!」
「この間出来た「俺のモノ 熱さに氷も 溶け落ちる」なんて最高の出来だったぞ!」
「今気付いたけど季語が入ってないよね! 川柳だよねそれ! つーかな! そのごっつ下ネタの何処が良いんだ。言ってみろ!」
「想像してみろよ。………………………………分かるだろ?」
「ちょっと想像しちゃった自分が憎い! お前の兄さんからの返事如何書けば良いんだ俺は!」
「え? 兄貴から手紙来てんのか? 何でだ?」
「お前の行いを赦してくれという嘆願書だ馬鹿野郎――ッ」

 

「明里、どないしたんや?」
「花火の音がしたんよ」
「こんな季節に花火?」
「きっと夢や。夢の花火やろ……」

 

「おい! 龍馬! 花火だぜ花火!」
「おおー遠くにこんまく見えたのお」
「……あたし見えなかった……。二人とも……ずるいずるいずるいずるい……」
「落ち着かんかいおりょう! 今度は近くで見せたるからな!」
「おおッ何処の祭りだ!?」
「お前も来る気かい、八雲……」
「何なんだよその態度の差!」
「差がなかったら帰って気色悪いわ!」
「龍馬様と八雲君だけで盛り上がってる……ずるいずるいずるいずるいずるいずるい……」

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正

 


仕舞 読み殺して下さい

「千鶴へ
 お前がこの手紙を読んでいるのは一体何年先の事か、俺にはさっぱり分からない。けれどなるべくなら俺が死んで何年も経った後であって欲しい。恥ずかしいから。
 宛名も本当なら「文石千鶴忠朋殿」って書くべきなんだろうが……。俺達の間柄でそれは何か落ち着かないからやっぱり千鶴と呼ぶ。
 千鶴。お前は今幸せか?
 これを聞くのは、俺がお前に幸せであって欲しいと願っているからだ。
 普通の友人なら、奥さんはどんな人だ? とか子供は出来たか? とかご両親は元気か? とかそういう事を聞くだろうけれど。千鶴はどれも持っていないだろう。だからせめて聞こうお前は今幸せか?
 と、聞いても答えは聞けないのだな。俺が生きていたとしても、お前は絶対に教えてくれないだろうし。
 だから、俺が勝手に考えた幸せ死後生活をお前に贈る。不吉だってまた怒るかな。今さらだぞ。あんな妹を持ったら。
 まずお前の死に方。歳は幸せを感じた分だけの歳だ。お前は蒲団の上で泣く。怖い。怖い。死ぬのが怖い。って。違う。嫌がらせをしたいんじゃない。お前にはこの世に未練を残して死んでほしいんだ。あの策は巧くいくだろうか、とか死の直前まで考えていてほしい。理由はお前にも分かっているだろう。お前は考える事で命を保っている。疲れる事はあっても、終わる事はない。何かをやり切ったら直ぐに次をやり切らなければならない。俺達はそういう人生を歩んできた。きっとお前は変わらない。でも、それは不幸じゃないと思う。やる事が無くなったお前が一番不幸だと思うんだ。
俺達は走り続けなければ生きられない生き物だ。分類するなら「武士」かな。そんな風に俺達は生まれてきた。よく疲れたら休めば良いなんて言う人が居るが、それは単にその人が「武士」という種族ではないだけで間違ってはいない。間違ってはいないけれど、「武士」にそれはできない。休んでいても次の戦を考えてしまう。
 でも、俺達はそれが幸せなんだ。こう書くとお前はまたそっぽを向いて「勝手に言っておれ」とか言うんだろうな。
 次の戦の事を考えるとき、戦の真っただ中に居るとき、俺達は初めて充実する。充実しない人生は悪くない。充実が途切れ途切れの人生も悪くない。ただ、俺達には向いていない。戦戦で追いまくられるのが性に合ってる。
 お恋はまだ生きているか?
 千鶴、お前も気付いているだろう。お恋はお前より先に死ぬ。あんなに無垢な小娘の癖にきっと血しぶきの中死んでいく。お前がお恋を見送る度、必死に神ではない何かに祈っているのを知っている。お恋を何度も前線から外そうとしたのも知っている。そして、あいつが血塗れでしか生きられないと解った時の絶望感も知っている。
 だから、せめて、お恋がもう死んでいたら、きっと俺の所にちょくちょく遊びに来ると思うから、お恋の好きな菓子を俺の墓にも供えてくれないか? 偶にで良い。それどころかごく稀にでも良い。きっと死んだ後に戦なんてものはないから、俺達は凄く暇なんだ。俺達は死んで初めて「武士」という種族ではなくなるのさ。楽観論はお前は大嫌いだったな。すまない。そして、先に逝ってしまってすまない。本当の望みは、布団の中で死ぬのが怖いと泣くお前を、抱き締めて、「怖くない」と言ってやりたかった。これをお前が読んでいるという事は叶わぬ夢なんだろうけれど。
 千鶴。侍の時代はもうすぐ終わる。けれど、「武士」という種族は絶滅しないだろう。何の戦か知らないけれど、戦戦と追い立てられて、変わり者よと揶揄されて、それでも絶滅しないだろう。
 千鶴、お恋が買って来た風車を覚えているか。俺達は同じ空の色の風車を受け取った。今でもこっそり取ってあるんだ。千鶴、お前は風車のように回り続ける。ならば死んだ俺は、偶に止まってしまった時に、ふうっと息を吹きかける。千鶴、お前は強い。少し息を吹きかけるだけで、直ぐにまたくるくると回るだろう。
 千鶴。お前は弱い。怖がりで、泣き虫だ。死んだ俺にはそれは如何する事もできない。だからお前が死ぬのを待つ。お前が死んでこっちへ来て「怖かった」と幼子のように泣き続けるのを、頭を撫でて抱き締める。生きている時のお前が絶対させなかった事をする。
 だから、生きている間は走り続けろ。止まったらお前は死んでしまう。
 俺は気が長いから千年先でも待ってやる。だから走って走って走り続けろ。
 幸せに、生きろ。                           吉田稔麿」

 

 

 完

 

 

2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正